李書磊は14歳で北京大学に入学したエリート

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「これまで海外に逃亡した腐敗犯は2万人、横領された国家資産は1兆元(約17兆円)にも達する。追及の手を緩めてはならない」

 こう檄を飛ばすのは李書磊・中国共産党中央規律検査委員会副書記だ。李書磊といえば、長年、習近平のスピーチライターを務めてきた最側近。10年後の「習近平後継」として頭角を現しつつあるこの男の人物像とは? ジャーナリストの相馬勝氏が迫る。

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 李書磊は今年1月、北京市副市長から規律検査委副書記に転出した。そのトップである同委書記は習近平の盟友かつ、最も信頼している党最高幹部の王岐山で、習近平指導部にとっての最重要課題である反腐敗闘争を一手に担ってきた。そのため、王は8回も命を狙われてきたといわれる。

 そのような党中枢の最重要部署である規律検査委のナンバー2格となる副書記に任命されたことで、李に対する習近平の信頼は並々ならぬものがあることがわかる。それは李が同委の中で任務達成が最も困難とされる国際部門のトップに就いたことが物語っている。

 そのポジションの正式名称は「国際追逃追臟工作弁公室」で、簡単に言うと「国際逃亡犯追跡逮捕・不法資産没収グループ」(以下、国際グループ)だ。

 リード冒頭の李の発言は3月21日から24日まで北京で開催された同グループ全国大会の演説の一部だ。

 実は李がグループのトップに就任したことは、この日の大会開催まで秘密にされていた。李は習近平の最側近だけに、李が大会に姿を現すと、中国全土から集まった220人の地方幹部の参加者からの「オオオオーーッ」というどよめきが会場全体を包んだほどだ。

◆14歳で北京大学入学

 それでは、習近平の期待が高い李書磊とはどのような人物なのか。

 李は1964年1月、元・明・清代の知府衙門(知事の役所)が置かれていたことで知られる南陽市に生まれた。この知府衙門は東西150m、南北240mと、面積は3万6000平方mに及び、いまも知事の執務室や居宅、他の役人の仕事場など150余りの部屋が当時のまま残っている。中国国内で当時の知府衙門が現存しているのは唯一、南陽だけで、これだけでも世界遺産級とされる。

 いまは博物館になっているが、実は、李がまだ14歳の中学2年生だったにもかかわらず、1978年に北京大学の入学試験を受けることになったのは、この博物館建設のために駆り出されたことがきっかけだった。

 李は幼いころから「神童」と呼ばれ、ずば抜けて頭が良くて、国語や数学、歴史などの学科のテストではすべて満点。

 李の父親は南陽市政府の文化担当の職員だったため、歴史にも博識だった李にも、博物館建設で知府衙門の展示の説明文などの作成の作業が割り振られた。李はこのような作業を完璧にこなしたことから、市長ら最高幹部が省政府に掛け合って、文化大革命(1966〜1976年)で中断されていた大学入試の第2期生として、特別に北京大の受験を許されたのだ。

 その結果、試験でもほぼ満点の成績で合格。晴れて、14歳での北京大入学が認められた。入学したのは図書館学科で、文学や歴史を学び、4年間で卒業したあと、修士・博士課程に進みながら、中央党校で教鞭をとった。

 中央党校には全国の党政府機関から極めて優秀な幹部候補生ばかりが選抜されるが、20代で中央党校の教員として採用されたのは李が初めて。いかに、李が優秀だったか分かろうというものだ。

 李は教授だった2004年2月、幹部研修で中央党校から西安市政府に派遣され、2006年1月までの2年間、党委副書記として地方幹部を経験した。

 北京のジャーナリストによると、この間、浙江省トップだった習近平が西安市を視察で訪れた際、李が説明役として習近平に随行。習近平は、学者肌にもかかわらず、こまごまと習近平一行の面倒をみる李の気配りに感心し、また、その学識の深さにも触れ、李に好印象を抱いたという。

 とはいえ、当時の李は、その3年余りのちに、中央党校のキャンパスで、校長に就任した習近平と再会することになろうとは想像もしなかったに違いない。2007年10月、第17回党大会で党政治局常務委員に選出された習近平は「党務担当」の最高幹部として、中央党校校長も兼務するや、翌月には44歳の李を副校長に任命。スピーチライターとして重用した。

 習近平は2012年11月の第18回党大会で党総書記に選出され、すぐに反腐敗運動や「中国の夢の実現」などの重要政策を打ち出すが、「それらのほとんどは李が習近平に提案したものだ」と前出のジャーナリストが明かす。

 李は行政能力を高く評価され、2014年1月には福建省党委常務委員兼宣伝部長に就任。福建省は習近平が32歳から17年間も幹部として勤務した地元だけに、李が同省に幹部として送り込まれたのは、習近平の強い意向が働いたためであることは間違いない。

◆10年後の最高指導者

 その後、李は同省に2年足らず勤務しただけで、2015年12月には北京市に戻され、副市長として、首都北京の汚職取り締まりの最高責任者である市規律検査委書記に選出。

 北京では習近平が最高指導者に就任した2012年末から2015年末まで3000人以上が反腐敗運動で逮捕されているが、李が同委書記に就任して半年で、これまでの1年分に当たる1000人を摘発するほどの辣腕をふるった。とくに、市高級幹部である部長レベル級幹部は247人に達しており、大物幹部の摘発が際立っている。

 とりわけ、江沢民元主席に近いといわれていた呂錫文・北京市副書記は、李が北京市の同委書記就任直後の2016年1月、汚職容疑などで逮捕されている。習近平の意向を受けた李が腐敗問題への厳しい姿勢を市幹部らに見せつける狙いがあったとみられる。

 李は北京市副市長を1年務めただけで、今年1月には現職である中央規律検査委副書記に抜擢された。

「李書磊は2014年から1、2年ごとに部長、次官級、さらに閣僚級と、ロケット並みのスピード出世を遂げている。これは習近平が李を自らの後継者として位置づけ、最高指導部入りさせる思惑があるからだ。このままいけば、李は『習近平後継』として10年後の中国の最高指導者に就任する可能性が高い」

 と前出の中国筋は指摘する。それにしても、なぜ「10年後」なのか。それは、習近平が今年秋の党大会で打ち出す「党主席制」の導入が深く関係している。

 すでに今年2月号の本誌・SAPIOで、「総統制」という名称ながら、実質的な党の抜本的な組織改革である「党主席制」の創設を報じているが、改めて論じてみたい。

 同筋によると、改革案は李が発案し、習近平の最側近の一人でもある栗戦書・党中央弁公庁主任のスタッフが作成した。党の最高ポストとして「中央委員会主席」(党主席)を創設し、その下に実質的なナンバー2である副主席ポスト(複数)を置く。重要事項は主席と副主席が協議して決定するが、主席の意見が優先され、党主席の権限が極めて強くなる。

「党政治局」や党政治局員を兼務する現在の最高指導部である「政治局常務委員会」という組織は残るが、無力化されるだけに、権力が主席に集中することは明らかだ。

 それでは、いままで党の最高ポストだった党総書記はどうなるのかというと、名称だけは残る。党政治局の事務局部門である書記処のトップが総書記となり、主席が決定した重要事項を各担当部門に伝達、実行させる権限をもつ。

 これらの改革によって、これまでの定年は廃止され、任期も明記されないが、党主席は原則的に国家主席も兼ねるため、国家主席の任期である2期10年が党主席の任期のめどとなる。

 いまのところ、主席には習近平が、副主席には李克強首相、さらにもう一人の副主席には王岐山が就くとみられる。ただ、その場合、王が首相に就任し、李は全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員長に転じるか、あるいは李が首相を続投すれば、王が全人代委員長に転じる可能性もあるという。

「習近平が10年間、党主席を務めた後を襲うのは、年齢的に閣僚級のなかでも最も若い幹部の一人で、習近平の評価が高い李書磊を置いて他にはいない。すでに、水面下では、『ポスト習近平』を見据えた動きが出ているのだ。それは同時に『習近平院政』の布石でもある」と同筋は指摘する。

 すでに習近平は10年後の院政まで見据えているのだ。

【PROFILE】相馬勝/1996年生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。産経新聞外信部記者、香港支局長、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員等を経て、2010年に退社し、フリーに。『中国共産党に消された人々』、「茅沢勤」のペンネームで『習近平の正体』(いずれも小学館刊)など著書多数。近著に『習近平の「反日」作戦』(小学館刊)。

※SAPIO2017年6月号