「OL辞めてピラティス講師一本で」二足のわらじをやめる覚悟がつくまで
火曜日の朝7時半、場所は有楽町のとあるジムのスタジオ。
ここから、フリーランスのピラティス講師、柴森雅子さんの1日が始まります。
今年で34歳になる柴森さんがピラティス・ヨガ講師として独立したのは、去年7月。それまではOLとしてフルタイムでオフィスワークをしながら、二足のわらじでピラティス講師を続けていました。
「4年ほど前に講師の資格を取ったのち、2年間はOLをやりながら土日や平日の夜にピラティスを教えていました。本当はピラティスに集中したかったけど、安定した収入を捨てるのが怖くて」
ところが、あることをきっかけに33歳の時、「ピラティスを含めた大好きなボディワーク一本で食っていこう」と決意します。シリーズ3回となる初回は、二足のわらじを脱ぐ決意を固めるまでのお話を聞きました。
ふたつの仕事を続けるのは大変では?
2年にわたり「ピラティス講師」と「OL」の両方を続けてきたという柴森さんですが、実際のところ、その生活は大変ではなかったのでしょうか?
「大変さよりも楽しさが勝っていました。平日は朝9時から夕方5時半まで恵比寿にある会社で働いて、そのあと都内各地のスタジオで夜の10時くらいまで講師をやっていました。土日もだいたいクラスが入っていましたね」
「でも、OLをやる前に飲食店で働いていた時期が長かったので、体力には自信がありました。飲食時代は1日12時間勤務することもザラでとにかくハードだったので、それに比べたら『二足のわらじでも大丈夫!』という感じでした」
「二足のわらじ」と聞くと、まず「体力的にキツそう」と考えてしまいますが、ご本人いわく「キツいってことはなかったですね(笑)」。残業がなく毎日きちんと定時に終わるOL+ピラティス講師という組み合わせだからこそ、無理なく続けられたそうです。
ピラティス講師のギャラがOLの給料を超えた時
フリーランスになると決める時、やはり気になるのは収入面。「OLを辞めてボディワーク一本で食っていく」と決めた時点で、講師の仕事だけで十分生活できるようになっていたのでしょうか?
「ピラティス講師のフィーは、スタジオによって異なりますが、1クラスいくらという固定になることが多いです。休んで他の講師に代行を頼んだ場合は、収入ゼロです。OLを辞めようと決めた頃は週にレギュラークラスを12本担当していました」
「その時点で、余裕をもって生活できるというほどではないけれど、OLをやってもらえるお給料と同じくらいは稼げるようになっていました。ただ、そこから税金を引かれたり、社会保険料を自分で払ったりしなくてはいけないので、手元に残るお金はかなり減りましたが」
12本担当していた時は、土日に2、3本、平日に1、2本レギュラークラスが入っている状態。会社にいる時間以外はぎっしりクラスで埋まっていました。副業としてやるなら、12本が限界なんだそう。
「友達からも呆れられるくらい、遊ぶ時間もなかったです」と話す柴森さんですが、二足のわらじ生活を始めてから一番満足感を覚えた時期だったようです。
「会社で働いている時間以外が、全部レギュラークラスで埋まった時は『やっとここまでこられた』と思いました。講師の資格を取ってスタジオと契約してから、2年かけてコツコツとレギュラークラスの担当を増やしてきました。第3回で詳しく話しますが、レギュラークラスを担当させてもらえるまでが、本当に大変だったんです」
「でも、最初の1本から始めて12本まで来られた。ピラティス講師の収入がOLの収入と並んだ時は、もう嬉しくて。これでやっと好きなことで生活できるんだ、と思えたから」
「普通のピラティス講師」はあふれるほどいる
2年かけてやっと収入面で「ピラティス講師だけでやっていける」というメドが立ち始めた柴森さんですが、まだ「一本に絞ろう」という覚悟が決まることはなかったと言います。
「ピラティス講師だけで生活できる自信はつきましたが、やっぱりOL辞めるのは、怖かったです。定収入がなくなって、本当に大丈夫かなあ、と」
そんな時、柴森さんは業界の先輩から、こんな言葉をかけられます。
「今のままでは、運動指導一本でやってる人には、いつまで経っても勝てないよ」
「あ、そうだよね」先輩の言葉を聞いた時、ストンと自分の中で納得できたという柴森さん。すでに自分でも気づいていたけれど、定収入を捨てることが怖くてなかなか決まらなかった心が、先輩のひと言でようやく固まります。
「やるなら本物になりたいという気持ちがありました。普通のピラティス講師があふれるほどいることは、よくわかっています。そのなかで本物の知識と覚悟がある人になりたい。大勢のなかのひとりじゃなくて、自分にしかできない“何か”が欲しい。先輩の言葉で、その気持ちを素直に認められたんです」
不安だから早朝バイトも始めて
ちょうど家庭の事情で金銭面での不安もあり、OLを辞めるのは心底怖かったと言います。
「ピラティス講師は、本当にカラダ一つ。病気やケガをしたら収入はゼロ。声が出なくなるだけでもダメ。OLは風邪で休んでもお給料は変わらないけど、クラスを一回休めば、確実に収入は減るし、お客さんやスタジオの信頼にも関わります。二足のわらじを脱ぐのは本当に怖かったです」
でも、逆にそうしたプレッシャーもあったから、「もうやるしかない。ピラティス講師で稼ぐしかない」という覚悟が決まったのだそう。会社からは「好きな時に休みながらでも続けてよ」と引き止められたものの、「講師生活を応援してください!」とキッパリ断り、フリーランスとなったのは、2016年7月、33歳の時でした。
「ピラティス講師の収入だけでも十分生活できるけれど、やっぱり不安は消えませんでした。だから、独立する直前に早朝のバイトを始めました。週に2回、朝の6時から9、10時までコールドプレスジュースのお店で働いてました。少しでも不安を軽くしたくて。ただ、ありがたいことにすぐに忙しくなり、ほぼバイトができない状況に。結局数ヵ月ほどしか続けられませんでした」
ちなみに、今日のように朝7時半からレッスンのある日は、5時半起床なのだそう。コールドプレスジュースのお店でバイトをしていた日は、4時に起きて始発で出勤していたので、それに比べると「今日はまだ遅いほう」とのこと。
「しんどくないんですか?」との編集部の質問に柴森さんは「好きなことだけやってるから、全然しんどくないですよ」と、疲労の色ひとつないツヤツヤの笑顔で返してくれました。本当にまったく平気そうです。
「とにかく好きなことに100%時間が使えるから、ストレスがないんです。前は50%も使えなかった。安定した収入を手放して得た一番のものはそれですね。収入面では、まだ二足のわらじ時代には追いつかないですけど、追いつけそうな感じはしてきました。頑張ります」
第2回は、柴森さんの日々のワークスタイルを詳しく聞いていきます。
柴森さんのブログはこちら
ウートピ編集部