今季2得点を挙げている白崎。鳥栖戦で3ゴール目をゲットできるか。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

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 白崎凌兵が背負っている10番は、前エースの大前元紀から引き継いだものではなく、白崎自身が生み出す新たな価値によって光を放とうとしている。
 
 昨年までこのエース番号を背負っていた大前は、前線で獰猛なハンターの如くゴールを狙い続け、100%のパワーをもってゴールに襲いかかることで、ゴールを量産してきた。
 
 しかし、新たな10番である白崎は、前線だけでなく、時には最終ラインまで舞い戻り、左サイドを絶えずアップダウンしながら、自陣では相手攻撃陣に執拗に食らいつき、アタッキングエリアでは果敢にチャレンジし続けた。
 
 ゴールを狩るストライカーと、左サイドを制圧する万能型アタッカー。この2つの10番は似て非なるものだ。しかし、周りの目はそれを同一視してしまうことで、彼の下に多くの雑音が飛び込んで来る時もある。
 
「10番という番号はお話をもらった時はつけようと思ったけど、ずっとつけたいと思っていた訳ではなかった。どちらかというと、前の39番がしっくり来ていて、それで行こうと思っていたくらいでしたから。ありがたいお話なので、つけさせていただいて、僕自身は何も変化はないのですが…。やっぱり周りから相当言われますね。いろんな雑音が聞こえて来て、時には『いやいやいや』と思うことはあるけど、それだけ期待されているという実感はあって、それはありがたいなと思ってやるようにはしています」
 
 10番をつけたのは、山梨学院高時代以来だった。当時の白崎は前線にどんと君臨し、ボールを集約してはゴールを決めたり、時には個で打開したりと、まさに『王様の10番』だった。しかし、高校ナンバーワンストライカーの看板を引っさげて、鳴り物入りで清水に入団したが、プロの世界は甘くはなかった。
 
「プロに入ってからも、『俺は足もとにボールが入ればやれるよ』という感覚でいたし、『なんで俺が使われないんだ』とも思っていた。まさに『王様の延長線上』でしたね。実際に練習でもやれていたし、練習試合でも点を獲っていた。でも守備をして、チームのためにハードワークをしていたかというと、そうじゃなかった」
 
 ルーキーで開幕戦デビューを果たすなど、華々しいプロ生活のスタートだったが、徐々にピッチから遠ざかり、出番が回ってこなくなった。そして、2年目の2013年8月に出場機会を求め、当時J2だったカターレ富山へのレンタル移籍を決断した。この決断が彼を大きく変えた。
 
 富山で白崎は、自分に欠けていた重要な要素に気付くことができたのだ。
 
「チームとして戦うことの重要性を感じた。そこで富山に行って、その大切さを知って、使い続けてもらって、『もっと期待に応えたい』という想いが強くなった。それで富山に行ったシーズン(2013年)の半年間で、5、6点取れた。次の年は残念な1年になってしまったけど、いろんなチームの流れ、1シーズンを出続けることで気付いたことがたくさんあったんです。その気付きから自分を見つめ直したら、『俺はなんて思い上がっていたんだろう』って……」
 
 チームを勝利に導くためのハードワークがろくにできていないのに、自分のことばかり主張をしていたことに気が付いた。2015年に清水に復帰すると、FWではなくサイドハーフとして起用されるようになった。
 
 なぜFWではなかったのかといえば、白崎は富山での意識変化によって、攻守において流れに関わり続けられる力と、スプリント力を身につけたからである。献身的な守備を見せながらも、ゴールへの意欲は失わず、チャンス虎視眈々と狙う。このシーズンでは1試合当たりの走行距離で4度のリーグ最長を記録するなど、無尽蔵のスタミナと献身性を発揮した。
 
 2016年はこのプレースタイルでブレイクの時を迎えた。攻守において左サイドを制圧すると、J2での1年だったが、リーグ35試合に出場し、チーム最多のスルーパスを出し、7アシストを記録。持ち前のストライカーとしての本能も目覚め、自らも8得点をマーク。
 
 今年は10番を背負い、これまで同様に不動の左サイドのマイスターとして、J1の舞台で存在感を存分に発揮している。
 
「いろんなプレーができるようになった。ヘッドもそうだし、守備もそうだし、走ることもそう。いろんなことができるようになったなかで、じゃあ、そこからもう一歩ステップアップするためには、そういうプレーをしながら、自分の強みをどこまで多く出せるか。これが自分に課せられたものだと思います」