自分の人生は、自分でしか生きられないし、どう楽しんでいけるかは、毎日の選択と気持ち次第。どんな生き方だって、自分で選んできている人は、いつだって魅力的に見えるし、自然と心惹かれるもの。コスモポリタン日本版では、人生を謳歌しているさまざまな女性の生き方を紹介していきます。

俳優、モデル/源 利華さん

【私の生き方】言い訳は一切しない!パリを拠点に生きる女優の生き方

俳優としてグローバルに活躍し、モデルとして「ケンゾー」や「ブルガリ」などの一流ブランドの広告を飾る源さん。パリを拠点に活躍する彼女だけど、それまでの道のりは険しく、異文化のなかで夢を叶えるために数々の困難に打ち勝ってきたそう。だからこそ溢れる凛々しさが魅力的な源さん。彼女の歩んできた道のりとこれからに迫ってみました!

―映画の仕事を志すようになったきっかけは?

映画は「受け身」で見るものじゃない。「人の人生を変える衝撃的な出会い」なんです!

中学1年生の頃に『いまを生きる』というアメリカ映画を観たことです。名門校を舞台に、型破りな先生が「自分の意見をもつこと」の大切さを説き、生徒の生き方が変わっていくというストーリーなんですが、当時の私の心に強く響いて…衝撃を受けました。

そのときに、「私も映画を通して人に影響を与えられることがしたい!」と、強く確信したんです。

個人的に、映画は「受け身」で見るものじゃなく、「出会い」だと思っています。映画を見て、自分の意思をはっきりと持てるようになった…私にとってこの映画との出会いは、その後の人生に大きく影響を与えてくれた、運命的なものでした。

―日本にいたときは、どんな女性でしたか?

自由に自分の情熱を活かせないことに、フラストレーションを溜めていた

実家は「娯楽は仕事にならない」という価値観の家庭で、学生時代は親の目と世間の目にすごく惑わされていました。それでも、自分の中で「絶対にこれをしたい!」という燃えるような情熱や、理想の世界があって。それを今、自分のいる場所で表現できない…そんな自由じゃない自分にフラストレーションがずっと溜まっていました。周囲も、とりあえず大学に行ったらそれなりにいい就職ができるし…という人が多くて、「本気で何かを頑張っている」という人に当時はあまり出会う機会がなく、ずっとモヤモヤとした気持ちで過ごしていましたね。

―大学卒業後は、日本でOLをしていたそうですが。

自分に正直じゃない生き方を、このまま一生続けていくなんて無理!だと思った

実は、大学時代に日本のタレント事務所に所属していたんですが、「自分は、これでは絶対に生活していけない」と思ったから、卒業後は商社に勤めることにしたんです。

そしたら、ある日会社で伝票整理をしているときに、「これは自分のしたいことじゃない! こんな自分に正直じゃない人生は、一生続けられない」って、突然泣けてきて。働き始めてから7カ月で会社を辞めて、気分転換に海外旅行に行くことに。その時は、自分の心がイヤだと感じることを毎日していたから、とにかく心の中にたまった汚れをデトックスしたくて。

当初は3カ月間、イタリア、フランス、スペインを周ってから、帰国して映画関係の仕事を探す予定でした。それが、フランスにいたときに、日本人女優役のオーディションがあることを知って、受けてみたら合格。結局ビザの関係で出演は実現しませんでしたが、その後にフランスに1年間滞在できるビザも取れたので、「せっかくだし、試してみるかっ!」と、渡仏することにしました。何も失うものはない状況だったんで(笑)。

―大胆な選択ですね! その後、渡仏されてからはモデルのお仕事をはじめたと。

渡仏後は現地の事務所に入りました。そしたら幸運にも、大きな広告のオーディションに選ばれ、モデルのお仕事をするようになって。撮影でプラハやサンフランシスコ、ロサンゼルスなどに行く機会もあり、当時は「バカンスしながら仕事をしてお金も稼げて、ラッキー。」という感じで、バカンスのような生活をしていました。

そうしているうちに1年がたって、この先のことを考えないといけなくなり…。「今まですごくラッキーだったから、これでフランス語が話せるようになったら、映画や俳優の仕事ができるようになるかも」と、ふと思ったんです。それで、「このままフランスで、自分の夢を挑戦してみよう!」と、パリを本格的に拠点にすることに決めました。

―その後、フランスでの映画出演はスムーズに叶いましたか?

モデルとは違い、映画では言語が大きな役割を果たすので、オーディションに行っても「流暢にフランス語が話せないから」と、落とされることが多く…日本人役があっても選ばれるのは、フランス出身のアジア人の人たちでした。

そこでフランス語を上達させるべく、フランス人の友達を作ろうと思ったものの、はじめは全然できなくて。語学学校に通っても、先生が言っていることがまったく理解できなくて続きませんでした。

結局、フランス語が話せるようになったきっかけも映画でしたね。週7回映画館に足を運んで、辞書を片手にわからない単語を調べていました。集中してフランス語を聞くようになってから、少しずつ日常でも話せるようになっていって。

言葉自体はスマホがあれば解決できることも多いので、難しくなかったんです。ただ、行動を読んだり、相手の考えを読むという文化を学ぶほうが大変でした。

―異国の地で夢を叶えるあいだ、挫折しそうになったことは?

もう正直、毎日です(泣)。日本人の役者には役自体が少ないので狭き門ですし、いつもオーディションに受かるか受からないかの状態の中で生きていくのはキツいですね。一番辛かったのが、2008年公開のフランス映画『陰獣』の出演決定の結果を待ってるとき。初の主人公役だったんですが、私は日本では有名ではないから、完全に役が決定するまで1年以上かかりました。その間は毎日「あっ、決まるかも。決まんない…。今度こそ決まるかも!」の一喜一憂の繰り返しで、精神的に辛かったし、これが決まらなければ女優を辞めようと思っていました。

そんなときに決定の結果を聞いて、「こんなに素敵なチャンスを頂いたんだから、一生懸命活かさないと!」と思い、演じました。

―映画への強い情熱に驚かされます!

私、別にカメラの前にいたいっていうわけじゃないんです。映画が本当に好きな映画オタクで、生涯を通していろんな形で関わっていきたいなと思っています。日常生活で突然インスピレーションを得てワクワクすることもあったり、普段の生活のすべてが、自然に自分の中で映画につながるんです。

今までオーディションでも撮影現場でも本当に苦しいことも多くありましたが、そのすべての経験で学んだ最も大切なことはただ1つ。映画は、クリエイティブな仕事だから、自由な発想が必要で、映画作りには「愛」だけを打ち込むべき、ということ。

―2013年には、アジア映画『Final Recipe』にも出演されましたね。

アジア各国から俳優が集まって、英語で撮影した映画なんです。本当に楽しい撮影でした。私はシェフの役だったから、NYで実際に3カ月間レストランの厨房で修業をして。その後も、レストランで使われるすごく重い鍋を、プロのシェフのように扱えるまで、家で延々と鍋を振りながら、台本をもってセリフの練習をしていました(笑)。

【私の生き方】言い訳は一切しない!パリを拠点に生きる女優の生き方

―海外で「強く、自分らしく生きていく秘訣」は?

自分の人生の責任は自分にある。誰のせいにもせずに生きていきたい!

日本で感じていた両親や世間の目から解放されて、パリに来てはじめて、すべてのことを自分で決断ができた。そういう「自由」っていうのが、私にとってすごく新鮮で。今生きているのは、誰のものでもなくて自分の人生じゃないですか。

それに私は自分の人生に自分で責任を持ちたいから、現状を誰かのせいにするという発想が大嫌いなんです。

たとえば、「渋滞のせいで遅刻する」というのは、予測して少し早く家を出なかった自分の責任。第三者に言い訳をするのは、私はすごく嫌。だから、「私がきちんと調整しなかったから遅れた」っていうふうに、自分の作りだした現状を、誰のせいにもせずに生きていきたいと思っています。そうすると、どんな状況でも、「自分の人生は自分次第」と、意志を強く持って目標の達成に進んでいけると思うんです。

―フランス人と交流するなかで、開花していった自身の内面は?

自分に正直に生きれるようになった

フランス人は意見をはっきり言う人が多く、彼らと交流するなかで、自分が異なる存在であることの素晴らしさに気づき、自分に正直に生きられるようになりました。日本にいたときは「主張しすぎてつぶされたら…」って、自分の意見を曖昧に言うこともありました。でも、いろんな人と自分の意見をありのまま交換する楽しさを知って、「こう言ったら、どう思われるか」ということは一切気にしなくなりましたね。相手を傷つけないようには気を付けるけど、自分の意見ははっきり言わせてもらう!

だから"したくないお付き合い"もしないようになったんです。昔に比べて、この出会いは私に必要、必要じゃないっていう判断が、自分の心の平安を保つためにできるようになって、どんどん自分に正直に行動ができるようになりました。今は頭ではなく心が全部決めてくれます。

プラスして、私は日本人であることに誇りを持っています。だから、「和を重んじる」ところや、相手を思いやり尊重する気持ちも素晴らしいと思います。日本とフランス、両方の良いところを取り入れていきたいです。

―周囲に合わせていると、せっかくの人生の選択肢まで狭くなりそうですね。パリに住まれてからは、「何歳までに、これをしないと」というような固定概念もなくなりましたか?

みんなが30代で結婚してるからしないと…っていうような焦りはないですが、自分自身の人生の目標として「40歳までにはこれをしたい」というのはありますね。

たとえば今は脚本を書くことに挑戦中なので、それをいつか映画化させたいという想いや、憧れの監督と仕事がしたい、もっともっと素敵な映画作品に出会いたい!といった夢はあります。

―今後の目標を教えてください!

映画ってグローバルな仕事だから、国境をなくして考えないといけないと思うんです。だから、文化も言語も違う人たちともっと仕事をしてみたい!

あと、世界の紛争とか本当に苦しんでる人に世の中が目を向けてほしいと強く思っていて。たとえば、欧米で起こったテロ事件は大きくメディアで取り上げられるのに、シリアで日々起きている恐ろしい現実はみんな話さない。1人1人の命の重さは同じなのに、その現状は許せないと思うところがあって。

自分自身が映画を観たことによって、人生がすごく変わった。だからこそ、いつか紛争などをテーマにした作品に参加することで、世界で起こっている問題への世間の意識を高めたいって思っています。美しいラブストーリーもいいけど、映画はパワーを持っているものだから、教科書的な面でも活かせる作品に携わりたいですね!

海外で夢を追う中で、ありのままの自分自身でいること、自分の人生を大切に自分らしく生きる「責任」を得たという源さん。

そして、どんな試練にも負けずに映画が好き!という気持ちを貫ける彼女の情熱は、何にも壊されず、地位を望むものでもない、不変のもの。そんな芯の強さこそが、内側から輝く魅力の秘密なのではと考えさせられました。

【源さんから学んだ自分らしく生きるヒント】

・好きな道を選べば、試練は起こる。それに打ち勝ってこそ、さらに輝く人生が待っている

・自分の意見を口にすることで、直観力が高まり、生き方も正直になる

・周囲を気にせず、自分の人生の目標にフォーカスする

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