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1980年代から90年代にかけ、映画史にその名を刻んだ「台湾ニューシネマ」。その中心を担ったホウ・シャオシェン、チュウ・ティエンウェン、ウー・ニェンチェン、クー・イーチェンらが結集して作り上げた、エドワード・ヤンの監督第2作目『台北ストーリー』が4Kデジタル修復版として公開中だ。

エドワード・ヤンが「主人公の男女、アリョンとアジンは台北の過去と未来を表している」と語っていたように、本作はふたりの男女の恋愛物語に留まらず、移り変わる80年代の都市・台北を鮮やかに捉えた物語となっている。

 リアルサウンド映画部では、過去と街に囚われた男・アリョンを、哀愁と色気をまといながら“役者”として演じたホウ・シャオシェンにインタビューを行った。後に『悲情城市』、『憂鬱な楽園』など傑作を生み出したホウ・シャオシェン監督が、なぜ役者として本作に参加したのか。当時の台湾ニューシネマを取り巻く環境から、映画への思いまで熱く語ってもらった。

■人間というものはそうそう変わらない

--初公開から30年以上の月日が経過しているにも関わらず、今を生きるわたしたちにも通じる普遍的な価値観が映し出されています。

ホウ・シャオシェン:その通りです。人間というのはそうそう変わりません。本作に登場する若者たちが抱える葛藤や希望、家族の在り方は、どの時代、どの国でも変わらずにあるものだと思います。公開当時、興行的な成功を収めることはできませんでしたが、こうして日本の観客に興味をもっていただけていること、その事実が何よりもうれしいです。ヤンが亡くなってから10年が経ちました。彼が存命の間に公開することができなかったのが心残りです。

--あなたが主演・脚本・製作の三役を務めていることが象徴的なように、本作は「台湾ニューシネマ」の旗手となった方々がスタッフ・キャストとして総結集しています。

ホウ・シャオシェン:アメリカや日本に比べて、80年代の台湾映画産業は決して豊かなものではありませんでした。そのため、映画作りにおいても各分野のプロフェッショナルがほとんどおらず、撮影・編集・録音といった技術的なことまですべてを理解する必要がありました。ヤンの作品は、どの作品を観ても彼だと分かる画面構成がされていますが、それは彼がカメラの機能からレンズの種類まですべてを理解していたからです。

--『台北ストーリー』撮影時は、エドワード・ヤン監督からはどんな演出を受けていたのですか。

ホウ・シャオシェン:ヤンから“演出”を受けることはありませんでした。私は演技者ではありませんでしたし、ヤンからもそのまま自分自身を表現してくれればいいと。ヤンはアメリカ留学から帰ってきたばかりということもあり、当時の台湾で暮らす人々を肌感覚で理解していたわけではなかった。一方、私は客家人(※中国・台湾の国外で暮らす華僑)として、移り変わる台北の都市と人々をずっと見続けていました。アリョンはヤンの分身ともいえるし、私自身でもある。ふたりの関係性から生み出されたキャラクターだったと言えるでしょう。

■エドワード・ヤンの作品は時代の先を行き過ぎていた

--あなたにとってエドワード・ヤン監督とは?

ホウ・シャオシェン:ヤンとは出逢った瞬間から意気投合しました。彼とはとにかくウマがあった。でも、一緒に映画を作ったり、話し合う中で、日常生活を見つめている視点がいかに自分と違っているかも理解しました。彼にとって台湾というのは、独裁的な力に支配された、とてもありそうもないような現実だった。『台北ストーリー』は彼のそんな思いと、子ども時代のさまざまな記憶が水面に現れ出てきている作品になっていると感じます。しかし、彼の作品は時代の先を走り過ぎていました。だから当時の観客はそれに付いていけなかった。もっと早く、時代が彼の作品に追いついていたらと今でも思うことがあります。

--昨年公開されたドキュメンタリー映画『台湾新電影時代』を皮切りに、25年ぶりに劇場公開されたエドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』が大熱狂を生むなど、日本の多くの映画ファンが台湾映画に関心を寄せています。

ホウ・シャオシェン:VHSやDVDが生まれて自宅のテレビで過去の映画を観ることが可能になり、配信サイトの興隆、スマートフォンの普及で小さな画面でも映画を観ることができる時代になりました。こうした技術の進歩は喜ばしい反面、映画館で映画を観る機会が少しずつ失われていくのではないかという危機感もあります。過去の作品を様々なフォーマットで観ることができるなか、かつて我々が作り上げた作品が映画館で上映されること、そして多くの観客に届けることができている事実は大変喜ばしいことです。4K修復版として蘇った本作を是非映画館で体感していただければと思います。

(取材・文=石井達也)