「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」下品で壮絶で泣ける、とにかく観なさい

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あのどうしようもなくも愛すべき、銀河の守護者たちが帰ってきた! しかも今回は本気で泣かせにかかってきたぞ! 


スターロード出生の謎が(ギャグまみれで)明かされる!


前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』から約3年。マーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)最新作として『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』が公開された。前作で見事銀河の危機を守りきったスターロード、ガモーラ、ドラックス、ロケット、グルートの5人の落ちこぼれ集団が、今度はスターロードことピーター・クイルの出生の謎に関係した冒険に挑む。

前回の惑星ザンダーでの戦い以来、フリーランスの用心棒になっていたスターロードと仲間たち。今日も今日とて"黄金の惑星"で体力勝負の仕事に挑み、無事任務を遂行する。ところがアライグマ風の凶暴な傭兵ロケットが持ち前の手グセの悪さで強力な電池をちょろまかしたもんだからさあ大変、一転して黄金の惑星を統治するアイーシャの軍勢から猛攻を受けるハメに。もはやこれまでというところで、スターロードらは謎の老人の助けにより離脱に成功する。スターロード一行と合流した老人は"エゴ"と名乗り、自らがスターロード=ピーター・クイルの父親であると語る。幼少の頃に自分を捨てた父に対し複雑な感情を向けるピーターだったが、その裏では銀河規模の巨大な陰謀が蠢いていた……というお話。

監督は前作から引き続きジェームス・ガン。地球から遠く離れた惑星で繰り広げられるド正統派のスペースオペラでありながら、1970〜80年代の音楽やポップカルチャーが入り混じるという、なんとなく懐かしさを感じさせる演出の手腕は健在だ。今回もサントラにはこれでもかと懐メロが突っ込まれており、世代的にドンピシャじゃなくても「なんかこれ……懐かしいやつ……?」と即座に思える曲が劇中でもガンガン流れる。

さらに下品かつハイブロウなお下劣ギャグの連打も健在。特に今回は各キャラクターの説明とかが不要で「こいつはジョークを言うキャラです」みたいな説明がいらない分、冒頭から遠慮がない。ド頭で「半裸のおっさんの乳首の感度」というなかなかの速球を投げて以降際どい冗談の応酬が続くのだけど、これ一応ディズニーの映画なんだよなあ……。ディズニー映画でおっさんの乳首について言及されたのは多分初めてだと思われる。

しかし『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』のキモはそんなところにはない。この映画は「父と子」そして「家族」の物語なのだ。

親父と息子のドラマに落涙必至


映画は後半、ピーターに近づいた父エゴ、そして幼いピーターを拉致して宇宙海賊として育て上げた男ヨンドゥとの関係がフォーカスされる。それがどういう話なのかは是非とも劇場でご覧いただきたいのだが、これがまあベッタベタながら泣ける展開なのだ。前作のラスト近くを見た人なら誰もが思った「ヨンドゥ、なんかピーターに対してだけ甘くない?」という、その甘さの秘密が明らかになるのである。

というお話の核心についてはここでは触れないけど、この映画の巧妙なところはピーターと合わせ鏡になるように、ピーターの仲間であるガモーラと擬似姉妹関係にあるネビュラというキャラクターを配置している点だ。ネビュラは、MCU通して最大級の悪役であるサノスの養女としてガモーラと共に育てられながらも、当のサノスによってガモーラと戦いで競わされ、負けるたびに身体の一部を機械に置き換えられてきたという壮絶な出自のキャラである。彼女もまた育ての親に鍛えられたアウトローでありながら、ひょんなことから仲間という形で新しい家族を獲得できたピーターと異なり、どこまでも孤独である。このガモーラが見せる逡巡も本作の見どころのひとつだ。さらにピーターの育ての親であるヨンドゥにも、かつて彼を育てた人間と環境が存在したことが描かれる。

このように、ピーターとその父親との関係を軸にしつつ、様々な父と子の関係を入れ子構造のように配置することで、本作は「家族の形はひとつではない」というテーマを重層的に表現している。一見するとどこまでもバカっぽいお気楽なスペースオペラでありながら、根底では多様な親子のドラマに対し真摯に向き合う『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』。安直な話ではあるけれど、その果てしない落差のおかげで、この映画はより一層泣ける作品に仕上がっているのだ。
(しげる)