教師格差! 親が任せていい教師ヤバい教師

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いい恩師に出会えるか出会えないか。それにより人生は大きく左右される。では、わが子の「担任」はどうか。同業者が尊敬してやまない“最高”の教師像とはどんなものか?  

■優れた教師は子どもの叱り方が違う

はじめに。

いきなりテーマと真逆のことを言うようですが、絶対的な「いい教師」と「悪い教師」というのは、存在しません。学級においては、教師の存在を2元論的に語れるものではないのです。

つまり、ある子にとって「最高」の先生は、同じ学級の他の子どもにとって「最悪」ということがあるのです。

たとえば、体育会系の運動大好き、超熱血が担任になったとします。担任になった4月早々「12月の縄跳び大会に向けて毎日朝練をやるぞ!」と子どもたちに宣言したとします。運動が大好きで勝負好き、縄跳び大会では絶対優勝したいと思っているA君には、最高の担任です。しかし、勝負事が苦手で、朝のゆったり読書が大好きなBさんにとっては、悪夢の日々の始まりです。

これは極端な例ですが、現実の教室では、これに近いシチュエーションがしばしば起きています。特に、中学校の部活動では、親からの評判においてこの傾向が顕著に見られます。

我が子を「強くしてほしい」と願う親と「運動好きになる機会になればいい」と思っている親では、同じ顧問に対する評価が180度変わるのです。だから、絶対的にいい・悪いを決められないのです。

この考えを前提にした上で、それでも「これが当てはまったら、まずまずいい教師である可能性が高い」という特徴を、教師の視点で3つ紹介します。これを逆にすれば、「悪い」の特徴にもなります。では、1つずつ見ていきましょう。

【いい教師の特徴その1:いい教師は、子どもの長所を見る】

学校に来るのは「子ども」です。様々なできないことや知らないことがあるからこそ、学びにくるのです。当然望ましくない性質もいっぱい持っています。

教師は大抵が真面目なので、できないことを正そうと丁寧に教えますが、子どもはなかなか正そうとしません。いや、正確には正せないのですが、教えている側には「正そうとしない」ように見えるのです。そこで、つい言ってしまいがちなのが、この必殺フレーズです。

「何度言ったらわかるの」

■いい教師は小さなことにこだわらない

これは、以前の記事(※)で述べたように、子どもは言われた内容をわざと破るのではなく、どうしても実践しなければならない切実感がわかないのです。いわば他人事の状態です。
※参照記事:『親が「言えばわかる」子どもなどいない』(http://president.jp/articles/-/17854)

いい教師は、そこにこだわりません。

欠点や望ましくない点については改善に向けて教えますが、「まあ、そんなものだろう」と大きく構えています。本気で叱るのも、命に関わることや人を傷つけることなど、的が絞ってあり、限定的です。

たとえば、朝会ったら、普通「おはよう」のあいさつをしますが、返さない子どもがいます。そこを叱るよりも「何かあったかな?」「自信がない子なのかも」と考えて様子を見ます。これはあくまで一例ですが、「望ましくない」程度の行為に対しては、そういった診断的な対応をします。

「いい教師」は、望ましくない点の「治療」よりも、いい点を見つけることに重点を置いています。あいさつに関して言えば、反応したこと自体を認めて伝えます。そうすることで、次の行動がよりよくなるだろうと考えているためです。

次に会った時は、そのよくなった点を認めて伝えます。つまり、周りではなく、昨日の子ども自身を比較対象とし、成長を認めているのです。

子どもが間違ったときの対応が違う

また、「いい教師」は、間違いへの対応が異なります。授業中、子どもの回答がもし間違っていたら……。

「いい間違いだね!」
「間違うからこそ学校に来ている」
「間違いを知ること自体が勉強」
「間違いは挑戦の証。挑戦すればケガもする分、成長もする」

など、子どもの間違いを全肯定しています。

子どもが学校に来ていること自体を、いいことと見て、それを認めていきます。我が子の担任に、そういう肯定的な雰囲気があれば「いい教師」の条件の一つを満たしていると考えていいでしょう。

ただし「鍛える」という視点で、行動の間違いなどを厳しく指導するのも「いい教師」でしょう。特に打たれ強く反骨精神の強い子どもであれば、優しく諭されるよりこの方が効果的です。

子どもの間違いに対しては基本の対応策を持ちつつ、「絶対これ」と決めつけないで見ることがより大切です。

■いい教師の得意技は「陰口」ではなく「陰褒め」

【いい教師の特徴その2:いい教師は、子どもを尊敬している】

子どもや親の悪口を言う教師--。言わずもがな、これを「いい教師」と思う人はいないでしょう。

「いい教師」の特徴の2つ目は、子ども(と親)を尊敬していることです。子どもや親への「陰口・悪口」の代わりに「陰褒め」をしていることが多いです。

職員室にいると、「今日は○○さんがこんないいことをしてくれて」とか、「こんないいところを見つけた」とか、「△△さん、家でこんなことを言ってくれているんですよ」など、教師同士の会話の中で肯定的な発言が聞こえてくることがあります。

ちなみにこの「○○さん」「△△さん」は、周りからもちょっと手がかかる、対応が大変と思われている子どもや親のこともあります。

「いい教師」は、不当な差別をしないのです。固定概念や思い込みのないさっぱりとした視点で物事をみています。このため周りの一部からはやや疎まれていることもあります。

差別しない分、地位や立場に関係なく、誰に対しても言うべきことをはっきりと言うからです。人気テレビドラマの主人公の教師のイメージです(『GTO』主人公の鬼塚英吉など)。ドラマのような無茶苦茶なことはしませんが、それが一番イメージとして近いです。

いい教師の『ごんぎつね』の教え方がスゴい

「いい教師」は、子どもがやがて自分を追い抜く存在であることを知っています。その子の親が、教師として未熟な自分を大目に見てくれていることを知っています。だから、「いい教師」は、何かにつけて謙虚です。子どもから教わろうとするし、子どもの発言やアイデアに本気で驚きます。

私の尊敬する国語の大家である野口芳宏先生は、新美南吉の『ごんぎつね』(※)を題材としたある研究授業で、次のようなやりとりをしました。

※ (あらすじ)悪戯好きの子ギツネ・ごん。村人の兵十が病気の母親のために獲ったウナギをごんは逃がした。栄養補給できなかったその母親は他界。ごんは償いのつもりでイワシを盗み、兵十の家に投げ込む。だが、兵十はイワシ泥棒に疑われ、殴られる。反省したごんは自力で償いをしようと、山で拾った栗などを兵十宅へ届ける。ある日、自宅に忍び込むごんを見た兵十はまた悪戯にきたと思い、火縄銃で撃ってしまう。

『ごんぎつね』のラストの場面の直前に、「戸口に栗を固めて置いた」というくだりがあります(この後、ごんは見つかって鉄砲で撃たれます)。

先生は「なぜ栗を固めて置いたのか?」と問います。多くは「申し訳ないという反省の気持ちから」といった理由を述べ、先生の側もそう考えていました。

ごんが改心していく流れなので、それが、読み取りにおける一般的な解釈だったのです。しかし、ある子どもがこう発言します。

「固めて置いておかないと、見つかって殺されてしまうから」

つまり、放り投げていると、音がして見つかってしまうということです。「我が身を守るため」という視点です。

■最高の教師は、かなり「いい加減」だった

通常、教師は、研究授業のように大勢が見に来る場面で、「想定外の解」を好みません。授業の流れが大きく変わってしまい、その後の収拾がつかなくなるからです。

しかし、野口先生は違いました。

う〜ん、と唸って「その解の方が深い」と認めたのです。「認」という字は、「言」と「忍」。言葉をぐっとこらえて、頷くイメージです。子どもを尊敬していないと、できない反応です。

「いい教師」は、子どもの「天才性」を認めています。

親から見て、わが子に対する「リスペクト」を感じられるようであれば、それは間違いなく「いい教師」といえるでしょう。

【いい教師の特徴その3:いい教師は、いい意味でいい加減】

いい教師の特徴の3つ目は、「いい加減」さです。これは単に「だらしない」ということとは違います。そもそも「いい加減」とは「適当」のことであり、「ちょうどいい」を示すいい意味の言葉です。

だから「適当にやります」と言ったことで叱られるのはおかしくて、本来叱る側が間違えているのですが、時代の流れで誤用(解釈の取り違え)が市民権を得たのだから仕方ありません。それを上司にうっかり「それは本来間違っていますよ」などと指摘しようものなら、火に油です(はたから見ている分には面白いですが)。

こういうタイプの人は、間違っているのが自分だとわかると、さらに怒ります。なので、理不尽に叱られても、黙る方が上策。「無理が通れば道理が引っ込む」という諺は、強者の論理として真実です。

この「黙っていれば嵐は過ぎ去る」「大人が喜ぶ反応をしないと怒りはおさまらない」という認識を、多くの子どもは幼い頃から体験しているのではないでしょうか。なぜなら、世の中の大人は大抵が「子どもに対して細かい」からです(言う割に、大人自身ができているかは棚に上げているのもポイントです)。

■子どもに「何で忘れ物をしたのか?」と問う教師は……

その点、「いい加減」教師は、子どもを追い詰めません。

たとえば、忘れ物をしたとします。「何で忘れたの!」と厳しく追及するのは、無駄です。忘れたものは忘れたから忘れたのです。子どもがこの文言をそのまま親に伝えると、9割方キレられることがあろうことが予想できますので、何とか違う理由を作ります。

「昨日は習い事で」とか「お母さんが」とか。これに対する親の返答は決まっています。「言い訳をしないの!」です。「Why?」と問われたので「Because……」と理由を述べたのですが、当然キレられます。双方が不幸です。

そもそも、何がいけなかったのか。

「何で忘れたの!」のくだりです。「何で」は、どうでもいいのです。そこを「いい加減」の教師は、流します。「不都合が起きたから、どうするか」を優先します。または、一通り今後のことを含めた対策を決めた後に、最後に付け加え程度に聞きます。

「で、何で忘れたの?」。言い分も一応聞いてあげると子どもの心が休まるかな、という程度の認識です。この場合、聞いているようで、聞いてないかもしれません。言い訳をあんまり真正面で受け止めて聞くと、腹が立つと知っているからです。その意味でも、実に「いい加減」な聞き方です。

いい加減な教師の何がスゴいのか?

「いい加減」教師は、どうでもいいことをどうでもいいと流しています。

「どうでもいい」ことの基準は、人によって違うのですが、場と状況に応じてのこの基準設定がうまいかどうかが評価の分かれ目です(誤解なきよう申し上げると、忘れ物をなくしていくこと自体は、大切なことです。あくまで対応の仕方について述べています)。その代わり、大事なことには思いきり力を入れます。

たとえば、勉強がわからずに困っている子どものことを真剣に考えて対策をとります。
たとえば、情緒が不安定だったり、じっとしていられない子どもだったりと、特別な支援が必要な子どもへの適切な対応を学んでいます。

たとえば、いじめには即対応します。たとえば、子どもの悩みや願いをキャッチするのに敏感です。たとえば、礼儀や思いやりなど、人として大切なことには人一倍厳しいです。

「いい加減」教師は、「全力・熱血教師」というよりは、わが子にとっての「力の入れどころがいい」教師と言えます。

■減点主義の父兄が、教師を潰すのか?

【いい教師の特徴その4:実は「いい教師」も「悪い教師」も親が育てている】

繰り返し申し上げますが、いい教師と悪い教師というのは存在しません。ただ、「わが子にとって」どちらになるかです。

実は、どちらになるかは、「親が育てている」という面があります。

教師は、基本的に真面目です。業務は毎年雪だるま式に増え、子ども対応だけでなく親対応も困難をきわめ、精神疾患にかかる割合ナンバーワンが教師というデータが出ているこの時代に、わざわざ「教師になろう」と志す若者を想像してください。不真面目で不誠実な人が、なると思いますか?

それでも「悪い教師」というように見えてしまう理由は、何なのでしょう。

それが実は、先に挙げた「見方」なのです。特に、若手教師を潰してしまう親は、悪いところを探して指摘する傾向があります。これは私を含め複数の教師の共通した認識です。一方、若手教師を育てる親は、いいところを探して連絡帳や言葉で伝えているのです。

つまり、若手であっても、一人の人間として「尊敬」しているのです。私は幸いにも、初任校から後者の親御さんたちが圧倒的多数でした。そこで育ててもらったため、下手くそで生意気でも潰れずにここまでこられました。

親自身が、最高の教師・最低の教師を作る

いい親は、何でもかっちり自分の基準に当てはめようとしない「いい加減さ」があります。授業のうまさとか、宿題の出し方とか、あまり重要でないことにこだわりません(教師の授業のうまさはもちろん大切ですが、若手がベテランよりうまくないのは3秒考えればわかる話です。逆じゃ困ります)。

つまり、すべては親次第。

未来の日本をつくる子どもを育てる教師を、親であるあなたが育てている。ある意味、親が未来の日本をつくっているともいえます。「いい・悪い」と決めつける前に、「いいところ」を見て「尊敬」もしつつ「いい加減」に、目の前の担任の先生を見てあげて欲しいというのが、現場からの切実な願いです。

その「共に育てる」という視点が、ひいては子どもの望ましい成長につながると私は確信しています。

(国立大学教育学部付属小学校教諭 松尾 英明)