花が咲き誇り、大勢の人でにぎわっているその庭園に、きっちりしたスーツを着てゆっくりと歩き、我が子を見るかのようなまなざしで、周りを見渡したり、花を見つめたりしている白髪の男性の姿があった。

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花々が咲き誇る4月になると、日本からやってきた藤が植えられている上海の庭園「嘉定紫藤園」は大勢の来場者でにぎわう。滝のように垂れさがる紫の花々がなんとも美しく、風に乗ってやって来る香りを楽しみながら紫色の花の海にいるかのような気分を味わうことができる。花が咲き誇り、大勢の人でにぎわっているその庭園に、きっちりしたスーツを着てゆっくりと歩き、我が子を見るかのようなまなざしで、周りを見渡したり、花を見つめたりしている白髪の男性の姿があった。その男性は、「嘉定紫藤園の父」である藤本道生さん(85)だ。(文:範潔、陳●■《■は王へんに韋、●は日の下に火》。新民晩報掲載)

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藤本さんの「道生」という名前は、孔子の「論語」に出てくる「本立ちて道生ず」という言葉から取られたといい、中国とは生まれつき縁がある。藤本さんの実家である岡山県和気町は、約1200年前の奈良時代末期から平安時代初期の貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)が生まれた町。和気清麻呂は、最澄や空海などの遣唐使をサポートしたという逸話がある。中国の歴史や文化をこよなく愛する藤本さんは、「実家のある年長の人が上海で商売をしていたことがあり、日本に帰ってから、上海の友人を懐かしむ話など、その時の事をよく話してくれた。そのため、私も子供のころから上海にあこがれていた」と上海に対しては特別な思いがあることを語った。

1980年代、日中の民間交流が活発になり、当時和気町の町長だった藤本さんは、中国の都市と友好都市提携を結ぶことを提案し、最終的に素朴な趣でアクセスが便利な上海の嘉定区が選ばれた。97年、友好都市提携締結10周年を記念して、藤本さんは和気町の紫藤公園から花の房が長く、色が美しい柴藤を厳選し、接ぎ木して30種、約120株を育て、自ら嘉定区の南にある川のほとりに植えた。「米国ワシントンのポトマック川河畔沿いにの桜は、日米の友好のシンボルとなっている。上海の嘉定区の紫藤も日中友好のシンボルになるなら、それは本当に素晴らしいことだ」。

2000年に嘉定紫藤園が正式に開園し、02年に、70歳だった藤本さんは町長を退任した。それでも、藤本さんの上海に対する思いがあせることはなく、ほとんど毎年、自費で嘉定区にやって来て、自ら枝の剪定をしたり、育て方のコツを伝えたりしている。桜と違い、紫藤は心を込めて育ててあげなけらばならない。「枝や葉が多すぎると、花のつぼみに太陽が当たらず、次の年の開花にも影響する」という。上海の空港で乗り継ぎをするだけの時でも、「我が子」を見るために、わざわざ紫藤園にやって来ることもあるという。

「上海市民がこんなに紫藤が好きで、大切にしてくれているのを見ると、とても幸せでありがたい。だから、できるだけのことをして、紫藤の花を毎年満開に咲かせ、みんなにそれを鑑賞してもらいたい。この公園が嘉定に住んでいる人に永遠に愛される存在になればと思っている」。今年85歳の藤本さんは、「あとどれくらい生きられるか分からない。嘉定が紫藤の手入れをする専門チームを立ち上げ、そのチームに手入れの技術や経験を余すことなく伝えたい」と話す。今年2月末、藤本さんの勧めと手配で、剪定の技術を学ぶために嘉定紫藤園の技術者3人が和気町を訪問した。紫藤の剪定は通常1月末に終わるものの、中国の技術者に実際の剪定を体験してもらおうと、藤本さんは特別に和気町の剪定前の藤の枝を残しておいたという。

87年に初めて嘉定を訪問してからこれまで30年の間に、藤本さんは上海に70回以上足を運び、中国の他の都市にも数え切れないほど足を運んでいる。藤本さんは、日本の房の長い紫藤を中国に植えただけでなく、北京の故宮や桂林の七星公園、蘇州の留園などの房の短い中国の品種を日本に持ち帰って接ぎ木するなど、花を通して日中交流を促進してきた。「私は中国が好きで、上海は第二の故郷。遺骨の半分を和気町に、もう半分を嘉定の紫藤園に埋めてもらうのが願い」という。(提供/人民網日本語版・編集KN)