時天空の葬儀で遺影を抱えていたのは元小結・白馬

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 相撲ブームが沸騰している。そこで、「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が短期的に相撲コラムを執筆。今回は「時天空の巨大な遺影」について、紹介する。

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 両国駅に置かれた回向院への案内の看板には「間垣家」の文字があった。モンゴル出身、四股名は時天空、帰化して本名もまた時天空慶晃の間垣親方は今年一月三十一日、悪性リンパ腫により死去した。享年三十七。

 葬列の中に同じ一門でもモンゴル人でもない朱雀の姿があった。朱雀は東京農大の後輩であった。相撲関係者の側にまじらずファン・一般の人として並んでいて目立った。

 時天空の引退会見の日、私は居ても立ってもいられず、入れてもらえるかどうかわからなかったが時津風部屋に足を運んだ。日本語教師として働く中国からわざわざ駆けつけたというファンの方と「想像していたより全然痩せてなかったね、元気そうで安心した」と手を取り合いよろこんだものだった。あれからたった五か月しか経っていない。

 時天空は農業の研究のために日本にやってきた(東京農大在学中は『ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究』という論文を日本語で執筆している)。卒業後は大学院に進み、モンゴルで教職に就くつもりだった。そんなある日、時天空は在日モンゴル人コミュニティの中でまだ幕下力士だった朝青龍に出会った。そのとき朝青龍は彼に一万円を渡したという。

「恵んでやった」のではない。故国を思う学士の彼を尊敬して、給与のない身でありながら一万円を差し出したのだ。農大・時津風部屋を通しての大先輩である二代目・豊山(長濱)は、学内の夜間警備をして生活費の足しにしていたという。時天空もまた、時給千円でキャンパスの落ち葉掃きのバイトをしていた。モンゴルからの奨学金と合わせて八万五千円が収入のすべてだった。そんなときに無名の朝青龍から手渡された一万円はどれほど重いものだったろう。

 のちに力士からやがて親方となる(日本人になる)道を歩きながらも、故国のためになることを考え続けた。モンゴルにはなかった障害児向けの玩具(フェルトとマジックテープで出来ていて皮むき練習のできる果物おもちゃや、音が出て動物を動かせる立体絵本)の製作・寄贈に携わっていた。

 葬儀は出棺の時をむかえた。遺影を抱えていたのは元小結・白馬である。白馬は時天空の妹と結婚して、時天空の義理の弟になった力士だった。ところが結婚披露宴の直前に八百長問題が持ち上がり現役を引退させられた。めでたい結婚披露宴はそのまま断髪式も兼ねることになってしまったのであるが、うらみは一切口にせず「大好きな日本の文化である相撲の発展に繋がるのなら悔いはない」と明るくほほえんだ突き抜けた男である。現在は京葉道路沿いにモンゴルレストラン「ウランバートル」を経営している。

 その白馬の持つ遺影があまりに巨大でおどろいた。百八十七センチの白馬が鼻から上とふくらはぎから下しか見えない。縦の長さが百五十センチを優に超えている。

 生前の時天空の過ぎた気遣いや細やかさに、命が猛スピードで燃えてしまったのだろう、という悲しい思いは一瞬で吹き飛んでしまった。最後の最後まで笑わせてくれる。うれしい涙がこみ上げてくる。

 時天空は朝青龍をやぶった。時天空に「ネガティブなんて余裕だ。それどころじゃないだろう」と厳しく指導された東京農大の後輩、正代も、そして小柳(五月場所で三代目・豊山を襲名)も育っている。若武者にできる恩返しのループ、それは白星しかない。

※週刊ポスト2017年5月19日号