わずか1年という短い期間だったが、イバンにとっては憧れのクライフと過ごしたかけがえのない日々だったという。
 
「ヨハンはバルサの父であり、彼と一緒に仕事ができて本当に光栄だった。じつに濃密な時間だったね。彼の言葉はときに難しく、容易く理解できない。その斬新なアイデアを僕たちが分かりやすくまとめて、噛み砕いて、クライアントに伝えるんだ。それこそいろんなプロチームと接したよ。南アフリカのマメロディ・サンダウンズやアヤックス、それにメキシコのチーバスとかね。当時はペップ・グアルディオラのバルサが全盛期で、そのオリジナルアイデアをどのクラブも知りたがった。忙しく飛び回っていたけど、楽しかったね。クライフは僕たちにとって唯一無二の存在。ひとりだけ、一歩先を進んでいた。アイデアがつねにフレッシュだった。ユーモアのセンスもたっぷりでね。心の底から尊敬していたから、亡くなったときは本当にショックだったよ」
 
 2013年、イバンの冒険はタイに到達する。1部リーグ・ラーチャブリーの新指揮官に招聘されたのだ。キャリア初の監督就任である。
 
 ラーチャブリーは過去2年で、3部から1部に昇格した躍進チームだったが、何年もずっと同じ主力メンバーで戦っていたという。プロクラブと呼ぶには未熟にすぎる組織で、選手補強などのバックアップは期待できない。しかも下位に低迷しているなか、シーズン半ばで就任したイバン監督に託されたのが、1部残留だった。「途轍もないハードワークだったけど、なんとか目標は達成した」と、彼は過酷なミッションをクリアする。
 
 タイのシーズン終了直後、イバンは運命的な出会いを果たす。カタールのアル・シャハニアで新監督となるロティーナの右腕に指名されたのだ。当て込んでいたコーチが「カタールに行きたくない」とドタキャンしたため、イバンに白羽の矢が立ち、共通の知人を通じて繋がったという。
 
「話をしてみてすぐに分かった。監督は僕と同じサッカー観を持っていて、彼の下でなら思う存分働けると。スペインのトップレベルで、申し分ない実績を持つ人物。僕が成長するために、学べることがたくさんあると感じたし、ビッグチャンスだと確信した。チームをどうマネジメントするのか。選手といかに接し、メディアと対峙するのか。どれもこれも貴重な経験の連続になった」
 
 カタールにおける二人三脚での挑戦はわずか1シーズンで終了したが、ロティーナとイバンは次なる活躍の場をともに模索した。興味のあるオファーが届くのを待ち続け、いくつかの選択肢があるなかで、指揮官がチョイスしたのがヴェルディ。イバンは興奮を隠し切れなかったという。
 
「また日本で仕事ができると思うと、ワクワクしたよ。日本サッカーに対して格別な思いがあって、選手は誰も学ぶ意欲が強く、なにより進化のスピードが速い。しかもヴェルディは歴史と伝統のあるクラブだ。監督とも、これは意義深い挑戦になると話していた」
 イバンにインタビューする前、正守護神の柴崎貴広と立ち話をした。すると在籍13年目の大ベテランは、こんな事実を明かしてくれた。
 
「試合がはじまって最後尾からゲームを見ていると、よく分かる。ほとんどイバンの言ってた通りなんですよ。ゲーム展開や対戦相手の動きが。毎回驚かされますよ」
 
 ヴェルディ躍進の原動力のひとつとなっているのが、まさにこのスカウティング力だ。イバンが寝る間も惜しんで分析し、徹底的に選手たちに情報を刷り込む。そのことごとくが当たっているからこそ、選手たちは不安を抱えることなく、ゲームで全力を出し切れるのだ。このイバンの分析力には橋本も舌を巻き、中盤の要として奮闘する内田達也も「信頼し切ってます」と太鼓判を押す。