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 2017年5月10日、韓国の第19代大統領に就任した文在寅(ムン・ジェイン)大統領。文大統領の政見やこれまでの活動内容等については、韓国メディアのみならず日本やアメリカでも様々に報じられている。そんな中、韓国では文大統領の「再修生としての半生」という記事が注目を集めている。

「再修生」とは、日本でいう「留年生」という意味であり、一度チャレンジしたものをもう一度繰り返すことを言う。大統領選を前にした2月、文候補は自身を「再修(チェス)の専門家」であるとジョークながらに語っている。

「再修の専門家」とは、どういう意味なのか。隣国の大統領の数奇な半生を知る意味でも、そして彼自身の人となりを知る上でも、これは大事なキーワードであると思われる。

◆学生運動に没頭し受験失敗、逮捕拘束

 朝鮮戦争(1950-1953)の最中、53年1月に生まれた文大統領。彼が高等学校生徒であった1969年、当時の朴正煕大統領(罷免された朴槿恵大統領の父)は、当時2期10年が任期の上限であった憲法を、自身の政権延長のため、3選まで可能とする憲法改正に踏み切った。この憲法「改悪」に激怒した文氏は、学校でデモ隊を組み反対運動を主導した。運動に没頭する余り勉学が疎かになり大学入試に失敗。一度目の「再修生」となった。

 しかしその後、再び勉学に勤しみ、1972年に慶煕大学校法学部に首席で入学。一度目の挫折を最高の形で乗り越えた。

 大学生になった文氏は再び学生運動に没頭する。朴正煕大統領に反対する民主化運動の最中、文氏は警察隊の催涙ガスの直撃を受けたり、また逮捕されたりもする。ちなみに、韓国のファーストレディとなった妻とは、催涙ガスを受けた際に看病をしてくれた縁で仲を深めた。

 大学卒業後は兵役を務め、1978年に除隊。そこに父の急死が重なり、一家の長男として家族を守るため司法試験の準備を始めた。

 しかし試験には落ちる。二度目の「再修生」となる。翌年の1980年、必死に勉強し二度目の司法試験。しかし当時の全斗煥大統領が、韓国全土に広がる民主化運動の鎮圧のため、学生運動の前歴者を徹底的に追跡。文氏は訳も分からず拘置所に収監される。司法試験合格の報を、文氏は拘置所の中で聞いた。

 1982年、弁護士になった文氏は、後に韓国第16代大統領になる盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏の法律事務所に入所。「弁護士盧武鉉・文在寅合同法律事務所」を開設する。

◆文氏は慰安婦の日韓合意も「再修」とするのか?

 2003年2月に盧武鉉氏が大統領に就任すると、彼の秘書室長となり大統領を補佐。

 その後、李明博政権時に、盧武鉉氏が不慮の死を遂げた時には、第15代大統領であった金大中氏に呼ばれ、必ずや民主政権を取り戻してほしいと言われ、遂に2012年12月、韓国第18代大統領選に立候補する。しかし当時は韓国で絶大な人気を誇った朴槿恵大統領に僅差で敗北。彼の3度目の「再修生」生活が始まる。彼は自身の著書「終わりが始まりだ」の中で、この大統領選の敗因を「自分の力不足」であると素直に認め、再びチャレンジ出来る機を待つことになる。

 そして2016年12月。大統領の前代未聞のスキャンダルが発覚し、憤怒した国民のキャンドル革命により、朴槿恵氏が大統領を罷免。文氏は、第19代韓国大統領を決める選挙を圧倒的な大差で勝利した。3度目の「再修」を終えた。

 今回の大統領選は、空位の大統領の椅子を巡る特殊な選挙であった。また政策よりも、前政権に対する失望と、変化を望む国民の期待感が先行した感情的な選挙であったとも言える。

 文氏が獲得した圧倒的な票数は、その失望と期待の上に積み上げられたものだ。日本での、民主党への政権交代時もそうであったが、期待感が高ければ高いほど、裏切られた時の失望感は深い。内政外交の両面で難題を抱える韓国において、文氏がすべての期待に応えていくのは至難の業である。

 特に注目すべきは、対米、対日、対北朝鮮の外交戦略。特に日本との関係における、慰安婦合意については、韓国国内でも注目の的になっており、新たに就任した文大統領が日韓合意を、本当に破棄するのかが焦点となっている。

 現時点での韓国メディアの報道によれば、文氏の側近のなかでも合意破棄を主張する強硬派と、韓日関係の円滑な運営を主張する現実派が混在しており、予断を許さない状況であると言われる。

 文大統領自身がいう「再修」というキーワード。日韓合意において、彼の「再修」が行われるのか。行われるとすれば、そのタイミングはいつなのか。その「再修」をクリアする秘策があるのか、注目である。

<文・安達 夕 @yuu_adachi>