老舗企業は多くとも、成長を続けることは容易ではない。

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 日本は「長寿企業大国」とされる。グロービス経営大学院の田久保善彦研究科長によると、創業100年を超える企業は2,600社余りに上るという。が、老舗企業が必ずしも「今なお成長中」とは限らない。いや、なおも輝きを増し続ける企業は稀有と言って過言ではない。しかし、稀な企業には、それなりに共通した背景が存在している。

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 例えばロート製薬(以下、ロート)の前身:信天堂山田安民薬房の創業は1899年。「胃活(現在のパンシロン)」など大衆薬品を取り扱っていた。目薬に進出したのは1909年。後発。他社と同様の成分の目薬に工夫施し、あっという間に首位の座を掴んだ。それまでの市販の目薬は薬瓶から綿棒に薬液を浸み込ませて点眼していた。対してロートは「1日の複数の点眼に1本の綿棒を使うのは不衛生」「1回の点眼に手間がかかる」と、薬瓶と点眼用スポイトを合体させた『両口式点眼瓶』を開発し市場に乗り込んだのである。

 差別化はいつの世でも勝ち組企業になるために不可欠な要因であることを、あらためて教える逸話といえる。

 ロートは今日も目薬業界のトップ企業。が、大衆目薬メーカーだけでは、前3月期まで13期連続増配に象徴される「いまなお成長階段」という事実には頷けない。何故いまも成長企業なのか。現状の収益構造が「答え」を示している。総売上高に占める「アイケア(目薬)」部門は2割を割り込んでいる。対して3分の2近くを占めているのが「肌研(はだらぼ)シリーズ」を先頭にする「ヘルスケア(基礎化粧品)」部門。

 どんな経緯で化粧品分野に進出したのか。

 契機は1975年。当時、傷口の消毒・肌荒れ対策・ハンドクリーム代わりとして「万能薬」されていたのが「メンソレータム」。米国メンソレータム社で開発され、日本での総販売代理店契約は近江兄弟社が結んでいた。その近江兄弟社が多角化負担で経営破綻状況に陥った。当時の近江兄弟社の破綻を伝える新聞は『貴重な大衆万能薬が日本から消えようとしている。その影響は大きいと言わざるをえない』式に、大仰なものだった。

 そんな状況下で間髪を入れずに、ロートは近江兄弟社との間で「権利譲渡」交渉を始めた。が話は遅々。業を煮やしたロートは強硬策に出た。メンソレータム本社との直談判に活路を求めたのである。メンソレータムに固執した狙いはなにか。半年後、米国本社を説き伏した。と同時にこんな約定を取り交わすに至っている。「メンソレータムを活かした独自の商品開発を認める」。「目薬」「胃薬」に次ぐ第3の収益柱の確立を意図していたのである。事実、約定を交わして間もなく「薬用リップクリーム」「外用鎮痛消炎剤」等の開発に乗り出している。流れを掴んだ勢いは1988年の経営不振が表面化した米国メンソレータム社「買収」にも見て取ることができる(現在、米国メンソレータム社の元工場は、ロートの海外向け商品の製造拠点となっている)。

 2009年に創業家以外から初めて社長に就任した吉野俊昭氏は、こう語っている。

 「ロートを大衆目薬企業として安定した、言い換えれば安住していた状態から止揚するための判断だった。具体的にはスキンケア領域の拡充を進める上で不可欠な選択だった。言葉を選ばずに言えば『万能肌薬の製販権をその手に握ることで、世界を視野に入れたスキンケア事業が可能になる』という認識が背中を強く押した。」

 誰にも平等に福の神・貧乏神が目の前を通る。福の神と手を組んだ者が成功する。そう言ったのは、オリックの元社長・会長そしてグループのCEOを歴任し現在シニア・チェアマンなるポストに座っている宮内義彦氏である。ロートは福の神と手を組んだのである。