安倍首相がリーダーとして最も欠けている資質

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■【トップにつきまとう孤独感】

佐藤栄作が総理大臣在任中、御用始めで伊勢神宮に詣でたとき、随行する記者団から、何を祈ったか聞かれた。笑って答えたのが、総理大臣として胸の内を打ち明けられる人もいなくなったので、そのことを神に訴えたという内容でした。

そもそも、首相や社長などのトップの座につくと、深刻な孤独感に襲われるものです。大衆の前に立つときは、身構えた「自分」にものをいわせて押し通すが、独りになったときには、すさまじい寂寥感にさいなまれます。

かのナポレオンは、腹にできたタムシがかゆくて、独りになると、子供のように泣きべそをかき、従卒が「これが英雄か」としばしば怪しむほどの狂態を示すこともあったといいます。そこから「召使いの前に英雄はない」という箴言まで生まれました。

かつて岡野喜一郎が駿河銀行の頭取になったとき、ルーズベルトだったか、アメリカの大統領になって、ホワイトハウスの前に立ち、「ここより中は孤独の部屋だ」といった有名な話を口にして、「いよいよ、これから、頭取として厳しい孤独にさらされるわけだネ」といった。すると、さる友人が「トップが孤独だということは、はじめからわかっていること。もし、孤独を恐れるなら、トップの座につかねばいいのだ」ときっぱりいいきったそうです。

これくらいのことをいえる側近がいれば、どれだけ心強いことでしょう。

■【大臣にも1等から6等まである】

明末の碩学にしてすぐれた政治家だった呂新吾が、その著書『呻吟語』のなかで、大臣を6等分しています。

第1等の人物は、全く、私心や作為というものがなく、あたかも人間が日光を浴びて空気を吸い、水を飲みながらも、それを意識しないような人物。何とはなしに人々を幸福にして、禍はやってくる前に消してしまう。かといって「頭がすごく切れる」とか、「勇気がある人だ」といった評判や、「大変な手柄をたてた」というようなこともなく、知らず知らずのうちに人々がその恩恵を受ける。とにかく、いるかいないのか、わからないような存在だが、人々は無事太平を楽しむことができる人物、それが第1等の人物だといっています。

第2等の人物は、いかにもしっかりしていて、テキパキと問題に取り組み、剛直、直言、まっすぐに堂々と本当のことが議論できる人物。したがって、やや叡知や気概が露出して、ときには物議をかもしたり、反発や抵抗を招いたりします。しかし、どんな障害があっても、敢然として主張すべきは主張し、やるべきことはビシビシやってのけます。

第3等の人物は、ひたすら、事なかれ主義で、悪いことはもちろんやらないが、かといって善いことでも進んでやらない、安全第一主義の人間。面白味は全くありませんが、安全な人物であることはたしかです。

第4等の人物は、特に私利私欲のままに悪いことをするわけではないが、とにかく、自分の地位、身分、俸禄を守るのに汲々としている人物。口では天下だの人民だのというが、実際は、自分のことしか頭にありません。しかし、進んで悪いことをしないのが唯一の取り柄ともいえます。

第5等の人物は、権勢に乗じて野望にとりつかれ、自分に与する人間だけを重用して、そうでない人間を排斥します。我欲と私心の権化みたいな人物で、公儀を無視し、国政を乱してはばかることがありません。

第6等の人物は、野望をほしいままにして、天下に動乱を起こす破壊的人物。これが最下等の大臣です。

■【「老醜」がわからなくなった時が「老醜」】

周囲におだてられて、すっかり銅像を建てる気になってしまった財界人について、著者が記した文章の一部を紹介します。

死ぬということは、世俗の一切から脱出して、天地の巨室に永眠することにほかなりません。それなのにわざわざ、正何位勲何等前何々などと刻み込まれてはやりきれません。「アルツール・ショーペンハウェルの墓」とだけ記しているほうがむしろ好ましいと思えてなりません。

在原業平(ありわらのなりひら)の歌う「白玉か 何ぞと人の 問いしなば 露と答えて 消(け)なましものを」という心境くらいはもっていたいものです。

とにかく、生きているうちに銅像を建てるなどという愚行は、一刻も早く思いとどまってもらいたい。事業家、財界人としての実績を思えば、残念でなりませんでした。

しかし、ほどなく当人から電話がかかってきて、「銅像など、建てるつもりはない」ということでした。あたかもその日、イタリア・ネオリアリズム映画の監督、ロベルト・ロッセリーニの訃報とともに箴言が紹介されていました。

「私は銅像になりたくない。世間はたぶん、私が台座の上でポーズをとることをお望みかもしれないが、私はそんなところに上がりたくない。記念碑にはなりたくないのである」

これらを読むと、現在の首相に一番欠けているところは何かがわかるのではないでしょうか。

※本連載は『帝王学がやさしく学べるノート』からの抜粋に、修正・補足を加えたものです。

(プレジデント社書籍編集部)