現地時間4月30日午前10時、ロシアGPの現場でザウバーとホンダのパワーユニット供給契約が発表された。

 交渉が始まったのは昨年10月の日本GPからで、約1ヵ月後のブラジルGPの現場では早くもザウバーのモニシャ・カルテンボーン代表とマクラーレン側の人間を交えた話し合いが行なわれ、その後もホンダ本社とザウバーの間で継続的に交渉が続けられてきた。


ザウバーは来季からホンダのパワーユニットを載せて走る そして今年3月の開幕戦オーストラリアGPの現場では大筋で合意に達し、発表は時間の問題と見られていた。詳細な契約内容の最終的な詰めに時間を要してここまでずれ込んだが、できるだけ早い時期での発表を望んだのはザウバーのほうだったという。

 それもそのはずで、2018年に向けてチーム体制を整えて準備を開始したい、というのがザウバーの狙い。事実、契約発表と前後して、すでにスイスのヒンビルにあるザウバーのファクトリーとホンダのHRD Sakuraの技術的なやりとりがあり、スタッフの行き来も始まっているという。

 2018年型マシンの開発はすでにスタートしていると、カルテンボーン代表は語る。

「はい、我々はすでにそうすべき状況にありますし、ザウバーとホンダのスタッフの行き来はすでに始まっています。もちろん、今年のマシンの現状には満足していませんよ。まだターゲットとした目標値は達成できていませんが、この先に向けてアグレッシブな開発計画を持っていますし、来季型マシンにも自信を持っています」

 契約は「2018年から複数年」とだけ明らかにされているが、実際には現行パワーユニット規定が固定される2020年までの3年間だと言われている。来季のザウバーにはマクラーレン・ホンダと同一スペックの2018年型が供給され、現在フェラーリからパワーユニットと合わせて供給を受けているギアボックスは、それに代わってマクラーレンから供給の確約を受けているという。

 このザウバーとホンダのカスタマー供給契約には、双方にとってメリットとデメリットがある。

 まずザウバーにとっては、現在最弱のパワーユニットであるホンダにスイッチすることにデメリットがあるのではないか? そう問いかけると、すでに栃木県さくら市にあるHRD Sakuraを訪れて自分の目で確かめてきたというカルテンボーン代表は一笑に付した。

「私としては、ネガティブな要素はないと思っています。確かに今のホンダの現状は厳しいものですが、私も実際にさくら市のホンダの施設を訪れ、そこで働く人たちがいかに献身的に仕事をしているかを見て、来季の性能向上は間違いないと確信しています」

 カルテンボーン代表がそう語るのは、ずっと供給を受けてきたフェラーリのパワーユニットも2014年は性能面でも信頼性面でもかなり苦しい戦いを強いられ、それが2015年になってようやく解決してきたという経験をしているからだ。

「現在の複雑な規定下では、パワーユニットメーカーが問題を抱えてしまうことはよくあることですが、どのメーカーもそういう過程を経て、いずれは問題を解決してきました。我々が提携するフェラーリだってそうでした。2014年はかなり苦労をしましたが、2015年に向けてすばらしい仕事をして問題を解決してきたんです。そこに到達するまでに、フェラーリだってものすごく長い時間がかかったんです。ホンダにもそれができないという疑問は一切ありませんよ」

 しかし、ザウバーにとって何より大きいのは、金銭的なメリットだ。

 フェラーリからパワーユニットとギアボックス供給を受けるためには、年間20億円以上の予算が必要になる。それを少しでも削減するために今季は昨年型パワーユニットの使用を決断したが、各メーカーの最新型スペックの開発が進むシーズン中盤戦以降の苦戦は目に見えている。

 それに対して、ホンダからは最新型スペックの供給が受けられ、後述するホンダ側への見返りの交換条件として供給料は破格の安さだとされている。その分の資金を、現在は十分にできていないマシン開発に投じることができるのだ。

 ホンダの来季型パワーユニットの性能がどれほどのものになるかは未知数だが、型落ちのパワーユニットで戦う厳しさに比べれば、チームとしての飛躍のチャンスも見えてくるというわけだ。

「この選択肢を選んだ理由は、ホンダと関係を構築することによって、さまざまなチャンスが開けると期待できるからです。ザウバーにとってはフェラーリとの関係を解消し、ホンダとの関係を始めることはとてもいい動きだと思っています」(カルテンボーン代表)

 つまり、どんなにパワーユニットの性能が低かろうと、有償の型落ちで走っている現在に比べれば失うものなどない。ザウバーにとって「デメリットなどひとつもない」というのは、本音だろう。

 一方、ホンダにとってはどうか。まず、データ収集という点でメリットがある。

「4台走るほうが2台よりも当然、多くのデータを収集することができますし、エンジンやハイブリッドシステムについてのフィードバックが増え、開発に生かすことができます」(ホンダ広報担当者)

 供給先が2チームあれば、単純にデータ量も2倍になり、開発を加速させられる。今年の開幕前テストでは車体側のトラブルでほとんど走ることができず、マッピングなどの熟成が不十分なまま開幕を迎えざるを得なかったが、このような場合にも作業が滞ることがなくなる。加えて、起きている事象が車体の問題なのかパワーユニットの問題なのかがはっきりするという利点もあるだろう。さらに、車体性能の比較も明確にできる。

 またそれは、マクラーレンにとってもメリットになり得ると、チーフエンジニアリングオフィサーのマット・モリスは語る。

「もちろん心配はしていないし、そんな必要はないと思っているよ。確かに、我々にとってはメリットもデメリットもある。データが増えることはもちろん、開発を加速させるという意味でメリットになる」

 ただし、ザウバーへの供給がマクラーレンへの注力を削ぐようなことにならないよう気をつけてもらいたいと、釘を刺すことも忘れない。

「供給先が多くなるということは、それだけリソースが必要になるわけだから、今までと同じリソース量でやることはできないよね。だから適切なリソースを追加し、それを適切に配置する必要があると思う」

 ホンダにとっては、パワーユニットの製造個数が増えることはそれほど大きな負担ではないが、ザウバーの車体に合わせた補器類のモディファイが必要となることや、現場のエンジニアやメカニックといった供給体制面での追加リソースが必要となることは確かだ。

 ホンダはすでにHRD Sakuraの体制を強化しているだけでなく、昨年からヨーロッパの技術者獲得も積極的に進め、コンサルタントという形での提携や、F1研究開発施設がある英国ミルトンキーンズでの勤務といったさまざまな強化を進めている。ミルトンキーンズでは、メルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレインズ社やフェラーリからのリクルートを希望するエンジニアの面接も度々行なわれているという。現場運営面でも、すでに2名の英国現地採用エンジニアに加え、ロシアGPからは昨年までルノーのカスタマー供給責任者だった人物をヘッドハントして現場に帯同させている。

 グランプリ週末は技術スタッフ数に制限があるため、復帰当初は主にF1第3期経験者で回して現場経験者を育成することが難しかったが、スタッフ数に制限のないテストなどの機会を利用して経験者を増やしていき、現場運営スタッフの育成も進めてきた。

 ザウバーへの供給体制は、守秘義務もあるためマクラーレンとは別体となる見込みだが、マクラーレンよりも小規模なものにとどめることも検討しているという。

「トップチームならギリギリまでセッティングを攻めることも必要ですが、カスタマーならある程度コンサバティブなセッティングで走ることも考慮して、データ担当のパフォーマンスエンジニアを配置しないなど、削れるところは削ろうと考えています」(ホンダ関係者)

 端的に言えば、リソースのことを考えれば「カスタマー供給はしたくないというのが本音」だと長谷川祐介F1総責任者も認めている。少なくとも2018年に3チーム目への供給はないというのも、そのためだ。

 しかし、それでもザウバーへの供給に踏み切ったもうひとつの大きな理由は、日本人F1ドライバーの実現だ。

 日本でF1を盛り上げるために、日本人ドライバーの存在が不可欠であることはホンダもよくわかっている。現状では”持参金”のないドライバーがF1にステップアップすることはほぼ不可能であり、このような機会創出のためにもカスタマー供給は不可欠だった。ザウバーとの交渉の中心となった山本雅史モータースポーツ部長も、そのことをはっきりと認めている。

 かつて小林可夢偉が2010年から3年間にわたって在籍したザウバーは、日本との関係も深い。カルテンボーン代表自身もザウバーのスタッフたちも日本人をよく知り、日本人との関係構築には長けている。

「まさにそのとおりです。我々は日本人ドライバーがいて鈴鹿で表彰台に乗ったチームですからね! 日本の人たちとすばらしい関係を築いてきました。ホンダとも非常にいい関係を構築していると、心の底から自信を持っています」

 日本人F1ドライバー起用の可能性について、カルテンボーン代表は含みを持たせてこう語る。

「現時点では何もわかりません。これからの状況を見守っていくべきでしょう。過去にも我々はそういった要素も含んだ戦略的な提携関係を(フェラーリとの間に)結んだこともありましたし、我々との間でそういった関係を結びたいとホンダ側が希望するかどうか、あらゆる可能性を吟味すべきだと思います。

 スーパーライセンス取得の要件や、その周辺の状況など、ルールは複雑です。そういったことは半年後に話題にすべきことであって、現段階で語ることはまだ難しいと言えます。チームにとってはコンペティティブ(競争力がある)なドライバーを起用する必要がありますし、最終的にはドライバー選択はチームの責任です。過去のパートナーとの関係がそうであったように、ホンダとの関係のもとでもそういったアプローチを採ることになります」

 そうは言うものの、実際にはすでにホンダが望むドライバー起用に関する条項が契約に盛り込まれていると考えるべきで、レギュラーシートのみならずテストやフリー走行といったチャンスも増えることになるだろう。

 あとは、若手日本人ドライバー自身がF1に必要とされるスーパーライセンスを取得する”準備”を整えられるかどうか、というだけだ。具体的に言えば、F2に参戦する松下信治とユーロF3に参戦する牧野任祐のふたりに来季のF1昇格のチャンスがあり、あとは彼ら次第なのだ。

 ザウバーとホンダのパワーユニット供給契約は、お互いにとってデメリットを補って余りある大きなメリットのある相思相愛関係だと言える。ある意味では、お互いにソロバンを弾いたうえでの打算的な関係でもあるが、レースの世界は結果がすべて。双方にとって実り多い提携関係になることを願うばかりだ。

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