安倍晋三首相は5月3日、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年に憲法を改正したい意向を示した。

 北朝鮮の核とミサイル開発が着実に進み、脅威が目の前に迫っているなか、また中国の軍事拡大が日本周辺の軍事バランスを大きく崩し始めているなか、これ以上、今の自衛隊という組織では日本を守り切れないという認識である。

 これまで7回にわたって自衛隊の歴史を振り返ってきた。現憲法下でも自衛隊は国内にそして国外で様々な活動を行い、成果を上げてきた。しかし、本当に差し迫った危機にあっては、自衛隊という法律の規定が日本の防衛を危うくしてしまう。

 最終回の今回は、この問題を徹底解説する。(前回の記事はこちら)

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憲法に明示的な規定のない自衛隊

 日本国憲法のどこにも「国防」についての規定はない。ましてや憲法制定後に「警察予備隊」から「保安隊」を経て創設された「自衛隊」の規定があるわけもない。

 憲法では、前文で、我が国の安全と生存を諸国民の公正と信義に依存すると謳い、この考え方に従い、第9条1項で戦争の放棄を規定し、同2項で陸海空軍戦力の不保持及び国の交戦権を認めないことを規定している。

 第1項の戦争放棄規定は、1928年の不戦条約に淵源し、この考え方は国連憲章に引き継がれるとともに、駒澤大学名誉教授の西修氏によれば、「世界の成典化憲法188を調べたところ、平和条項を持つ憲法が158(84%)にのぼることがわかった」と述べておられる。

 すなわち、戦争放棄規定が日本独自のユニークなものでないことは明らかであるし、また不戦条約は自衛権を否定するものではないことは、条約の審議、調印の過程で国際的に確認されている。

 憲法に明示的な規定のない自衛隊が、なぜ存在しているのか?

 それは政府が時代とともに変えながら行ってきた憲法解釈によってである。朝鮮戦争の最中、国内治安維持のため警察の予備の部隊として発足させた警察予備隊から保安隊へ、そして自衛隊へと転換し今日に至る過程で、政府は憲法解釈を変えてきた。

 しかし、現在の政府解釈では、「日本国憲法は、第9条に、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を置いている。我が国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。我が国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」としている。

 このような政府による憲法解釈に基づき自衛隊は存在し、創設以来今日まで、日本の領土、領海、領空で国家主権の維持のために、そして国民の生命と財産を守るために行動してきた。

 海外においても、世界中のあらゆる地域に展開して、国際平和維持活動、災害救援や人道支援のための国際緊急援助活動、あるいは海賊対処活動など、憲法の下にある自衛隊であるがための特殊な条件の下ではあるが、世界から派遣されている各国軍隊と共同で粛々と任務を遂行し、しかるべき成果を上げてきた。

 国の存立にとって不可欠な自衛のための実力組織が、国の基本法典である憲法において明示的な規定もなく、その時々の憲法解釈によって辛うじて存在たり得ているという事実は、果たしてこれが独立主権国家の姿として正しいのか、という疑問を抱かざるを得ない。

 ましてや外国人にとっては理解し難いであろうし、日本に対して不信感を持つことにつながるのではなかろうか。

 ここでは、これまで述べてきたような自衛隊が国内外で行ってきた各種行動の実績を踏まえて、国家存立の基本法であり最高法規である憲法に「国家防衛」およびその手段としての「実力組織(軍隊)の保有」についての明示的な規定がないことによる問題点を挙げる。

ぬえ的な存在

 第1点は、自衛隊をぬえ(鵺)的存在たらしめていること。

 憲法学者の大半が自衛隊の存在は憲法違反であると判断していると言われており、このことが法曹界や一般国民に与える影響は大きい。

 歴代政府は国会において、次のように言明してきた。

 「自衛権は、国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない」

 「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない」

 「自衛隊は、自衛のための必要最小限度の実力を有する組織であって憲法に違反しない」

 さらに、「自衛隊は通常の観念で考えられる軍隊ではないが、国際法上は軍隊として取り扱われており、自衛官は軍隊の構成員に該当する」と述べている。

 いったい「自衛隊は軍隊なのか軍隊ではないのか」、そして「自衛官は軍隊の構成員に該当するが軍人ではなくシビリアン(文民)でもない」とするならば、自衛官はいったい何者なのか?

 まさに自衛隊を鵺的存在たらしめていると言わざるを得ない。

 憲法第9条2項で「陸海空軍の戦力はこれを保持しない」と言っているために、「軍」という用語を使うわけにはいかない。従って、国際通念では軍隊ではあるが「自衛軍」とは言わず「自衛隊」ですと言い逃れる。

 また、自衛隊が保持しているのは「防衛力」であって「戦力」ではないということになる。これに類した用語の使い分けは、自衛隊の装備品の名称であるとか自衛官の階級の呼称など随所に見られる。

 このような国家の存立を左右する重要事項が、憲法違反の議論の俎上に上り、あるいは国内と国際社会とで使い分けるダブルスタンダード状態のまま放置されていることが、許されていいとは思われない。

憲法解釈の制約下に置かれた組織

 第2点は、自衛隊は憲法解釈に基づく様々な制約の下に置かれた組織である。

 自衛隊創設以来、自衛隊と憲法の関係について、国会において様々な議論が行われてきたが、現在における自衛隊と憲法の関係についての政府の見解は、上に述べたように、

(1)自衛権は独立国が保有する当然の権利であり、憲法はこれを禁止していない
(2)自衛権行使の手段としての実力組織である自衛隊を保有することは憲法に違反しない
(3)自衛隊が保持すべき実力は自衛のための必要最小限度を超えるものであってはならない

 というものである。このことから言えることは、防衛・安全保障に関する法律や規則、防衛力整備等を決めるにあたって、「それは自衛のためか?」そして「そのための必要最小限度を超えないか?」ということが決定的な評価要素となる。

 そして、「取得する装備品の性能」であるとか「戦術・戦法」や「交戦規定(Rule of Engagement)」などが決められる。

 その結果、この条件に合致するものをリストアップして「ものごと」を決めるということになる。

 例えば、平成27(2015)年度に制定された「平和安全法制」における「重要影響事態安全確保法」や「国際平和支援法」に基づき自衛隊が行動するに当たっては詳細な条件が定められていて、その条件を満たす場合のみ行動することができると定められている。

 このように我が国の防衛・安全保障に関する法律・規則などは、「ポジティブ・リスト」で作成されている。すなわち、「やっていいこと」が定められていて「それ以外はやってはいけない」ということになる。

 また「自衛のための必要最小限度」ということから、防衛力整備についても、敵基地攻撃能力を有する爆撃機とか長距離弾道弾を装備することは認めておらず、もっぱら我が国の領土・領海・領空において、侵攻してくる敵や飛翔してくる弾道弾を迎え撃つことしかできず、これによって我が国の防衛を全うするということになっている。

 これに対して国際法や世界各国の戦争に関わる法規類は、「ネガティブ・リスト」で作成されている。すなわち、「やってはいけないこと」がリストアップされていて、それ以外は臨機応変に判断して目的達成のための最適手段を選択して行動することができる。

 それは、千変万化する状況の変化に適宜対応していかなければならないことが、戦場の常態であるという本質に立脚しているからである。

 ところが我が国の場合は、戦いの現場の指揮官にとってみれば、眼前の状況は定められた条件のすべてをクリアしているか否かを瞬時に判断して決心し、部下に行動を命じなければならない。指揮官は極めて過酷な状況に置かれていると言わざるを得ない。

 我が国においても国際社会の軍隊並みの「ネガティブ・リスト」による法規類へと変更してもらいたいものである。

 どこまでを「自衛」と言うのか、また「必要最小限度」とは攻撃側との相対的な関係で決まるが、何をもってどう評価・判断するのか。今日における高度に発達した軍事技術、複雑な国際情勢や防衛・安全保障環境を考えるとき、これまでのように憲法解釈によってその場を取り繕う対応は、もはや限界にきていると言わざるを得ない。

 政府はこれまでも少しでも「自衛」のレベルを超えると疑われる装備品は性能を下げて取得するなど、大きな政治問題とさせないレベルでの解決を図ってきた。その分、自衛隊の装備や行動に様々な制約を加えるという結果をもたらしている。

 この結果、自衛隊は、他国に侵略的脅威を与えない装備品をもって、我が国の領土・領海・領空において、侵攻してくる敵を迎え撃つことのみに専念することとなる。いうところの「専守防衛」である。

 これでは敵を打ち負かすことはできないし、もしこれで防衛を全うしようとするならば、スイスのように国土全域を要塞化するとともに国民全員が銃を持って立ち上がる気概と装備が必要である。

 従って、この様に限定された能力しか発揮できない自衛隊のみで我が国を防衛することはとうてい不可能であり、従って敵基地攻撃能力や外洋における攻撃能力を日米安保条約に基づき米軍に依存することが、必須の要件となる。

憲法9条のおかげで平和を維持できたという幻想

 第3点は、「憲法9条があるから戦後の日本は平和を維持できた」という幻想。

 戦後、我が国が戦争の惨禍に見舞われることなく、あるいいは戦争に巻き込まれることもなく平和を維持してこられたのは、政治、経済、外交、軍事など様々な分野での多くの努力があって、それらの総合的な成果として平和を維持できたのである。

 「憲法9条があるので我が国は平和を維持できた」というのは、現実を無視した空想的な観念論であり幻想である。

 これまでの歴史が証明しているように軍事は平和を達成し維持するための重要な要素でありながら、軍事について知ることを忌避してきた多くの日本人にとって眼前にある平和は所与のものとして受け入れられてしまっている。

 その背後にある様々な努力、なかんずく軍事に関わる様々な努力があったことには思い致らない、と言うか「軍事」であるとか「戦闘」という言葉はタブーであってそのことについては考えないというのが我が国の現状である。

 戦後我が国は、朝鮮戦争を契機に国内治安維持のための警察予備隊を発足させた。その後の対日講和条約締結により我が国は主権を回復し、GHQは廃止されたが、占領間に制定された憲法を変えることなく、米軍の駐留を認めて我が国の防衛を米軍に依存する体制を選択した。

 その延長線上に今日の自衛隊がある。1991年のソ連邦消滅に至るまでの冷戦間、我が国は日本海およびオホーツク海を挟んで東側共産主義陣営の盟主であるソ連と対峙していた。

 冷戦間、自衛隊は米軍と協力してあらゆる手段を駆使してソ連空軍、海軍および陸軍の動向を監視し、その都度必要な措置を講じてきたことは、先に述べてきたとおりである。

 我が国は、西側自由主義陣営の一員として米国の核の傘及び通常戦力による庇護、そして自衛隊による主権を守るための必死の努力、このような自衛隊の存在と行動が、日米安保条約に基づく米軍の存在と相まって、極東ソ連軍の軍事行動の制約と抑止へと作用し、ひいては結果として冷戦の勝利につながっていったと言えないであろうか?

 冷戦後、中国は世界第2位の経済大国となりそれに伴って軍事力および海警の増強を驚異的な速度で進め、力を背景にした現状変更やその試みが、国際問題となりあるいは周辺国や我が国にとって大変な脅威となっている。

 我が国の周辺では尖閣諸島をめぐる東シナ海における中国による領海宣言および海警による恒常的な領海侵犯、防空識別圏を独自に設定して行っている航空活動など、これらに対する海上自衛隊および海上保安庁による警戒監視活動、さらに航空自衛隊による空域監視と領空侵犯に対する対処行動など、自衛隊員や海上保安官は過酷な状況の中で職務を遂行している。

 さらに、北朝鮮による核開発疑惑および弾道ミサイル開発と配備の進展、特に弾道ミサイル発射に対しては航空自衛隊および海上自衛隊は破壊措置命令に基づきその都度対処行動をとっている。

 これらの事案は、日本の主体的な判断と処置が第1義的に求められるものであって、かつての冷戦時代におけるソ連に対する事案を米軍との協調の下で対処するのとは異なるものである。現在の自衛隊は、冷戦時代とは異質な過酷さの中で職務を遂行している。

 国際社会にあっては、我が国は、国連の平和維持活動、国際緊急援助活動および海賊対処のための活動など様々な国際的な共同活動に自衛隊を派遣し、自衛隊員はそれぞれ世界各地において、平和維持、人道支援、被害・災害復旧、国家建設支援など、目に見える貢献をしている。

 このような戦後から今日までの現実を見てくると、我が国周辺においては、朝鮮戦争、冷戦間におけるソ連の行動、冷戦後の近年における中国および北朝鮮の動向など、これらの現実に直面して、これらを警戒・監視し対処するのに軍事力(あるいはそれに相当する実力組織)以外にどのような手段があるであろうか、ということを考えざるを得ない。

 一方、国際社会に目を転じてみても、戦後から今日まで戦争や紛争そしてテロや暴動などが世界各地で生起し、現在も続いている。

 これらに対して国連あるいは多数国が協力して、まずは軍事力をもって対処している現実がある。世界は公正と信義を信頼できる国々でできているとは到底考えられないし、これら不測事態に対処するのに軍事力抜きでは考えられないというのが現実である。

おわりに

 これまで縷々述べてきたように、自衛隊は、国内においては、国家主権(領土・領海・領空、統治機能)および国民の生命と財産を守るために行動し、そして海外においては、国連憲章で謳われた普遍的な価値観の追求と実現および国連創設の目的達成のために協力し、国際社会で名誉ある地位を得んと努力する国家の意図に従って、身命を賭して行動している。

 これほどの行動を命じる国家でありながら、国の最高法規である憲法に自衛隊についての規定は一切ない。

 それにもかかわらず命を受けた自衛隊員は、何を拠りどころに行動しているか、それは少なからぬ国民の理解と支援があるということと、国防に直接携わるということおよび国際社会に貢献できるということに誇りと使命感を持っているからにほかならない。

 本稿で述べてきたことが、自衛隊に対する認識を深め、その上で「憲法に国防や自衛隊についての規定がない」ということの是非を考える一助となれば幸いである。

筆者:田中 伸昌