2017F1第4戦ロシアGPで、今シーズンからメルセデスに移籍したバルテリ・ボッタス選手が、初優勝を遂げました!

前戦のバーレーンGPではポールポジションを獲得したものの、3位フィニッシュ。いくらマシンが良いと言えど、いきなり優勝は難しいか……と思っていた矢先の出来事だったのでびっくりしました! 素晴らしいスタートと冷静な走りで、誰もが納得の優勝でしたよね。

5月8日(月)発売の「F1速報ロシアGP号」でボッタス選手の初優勝を振り返りながら、今号の見どころも見ていきましょう!!

■FOCUS OF THE GRAND PRIX

「最初のブレーキングになるターン2までが長いから、ポジション獲りが重要になる。」そう考えていたボッタス選手は、3番手グリッドから好スタートをきり前にいたフェラーリ2台をかわし1番手へ。後続とのギャップを広げていき、これは楽に優勝できるか?と思っていましたが、タイヤ交換後、周回遅れに出くわしてリズムを崩してしまいました。

2番手のベッテル選手と4.6秒あった差も2秒以内まで迫り、直接対決に! その時ボッタス選手は「チェッカーまで、無線はできるだけ使わないでほしい。」とチームに要求。

ボッタス選手の要求に従った、担当エンジニアのトニー・ロスは「緊張していたんじゃく、集中しようとしているのが分かったからね。」とその時の様子を振り返っています。

そして後ろから迫るベッテル選手のプレッシャーを受けながらも、冷静な走りで見事1位フィニッシュ! あまり感情を表に出さないボッタス選手ですが、内に秘めていた想いがあったようです。

「普段はそんなに感傷的になることはないんだけど、F1の表彰台で聞くフィンランド国歌は特別だ。移籍してからいろいろなことを言われ続けた。ナンバー2ドライバーとかね。でも、僕はクルマに乗っている時はそんなことを考えなかったし、これからもそう。今日はレース人生でも最高の走りができた。これからも同じように完璧なレースをしてどんどん勝ちたい。」

■TURNING POINT

一方、予選で2008年振りにフロントロウを独占し、レースペースではメルセデスより自分たちが一枚上手、と自負していたフェラーリは、セバスチャン・ベッテル選手が2位、キミ・ライコネン選手が3位でフィニッシュ。

2015年シンガポールGP以来のポールポジションを獲得したベッテル選手はレース終了後、複雑な表情を見せながら以下のように分析しています。

「ここまでの3戦から考えて、第一スティントではメルセデスよりちょっと速いと予想していたけど、それは間違いだった。このコースは前走車に接近しづらいからラップリーダーにアドバンテージがあるのは確かだけど、バルテリ(ボッタス)はウルトラソフトで僕らとのギャップを広げた。こっちはまったくついていけなかったんだ。スティント後半でちょっと挽回できたけど、やり合うほど接近できなかった。ちょっとしたサプライズだよ。レースでのウルトラソフトについては間違いなく彼らの方が良い仕事をした。」

「今回はハード側のタイヤでもなんとか抵抗できると思っていたんだけどね。もっとも、僕のタイヤはバルテリより7周も『若かった』んだから、速くて当たり前だ。それにしても、序盤3戦とは状況がまったく違う。その理由を見極めなければならないね。」

■ザウバー・ホンダ2018年に誕生!

かねてから噂のあった、ホンダとザウバー。ロシアGPでついに、ホンダがザウバーへ2018年からパワーユニットを供給することを正式に発表しました。

私達日本のF1ファンにとって、ホンダのパワーユニットを積んだマシンが増えることはとっても嬉しいのですが、苦戦中のホンダ。果たしてこのままエンジン供給をしても大丈夫なのか心配になるところですが、F1界からは期待を寄せる声が届いています。

「これでホンダの開発スピードは間違いなく上がるだろうから、来年以降が楽しみだ。」(バーニー・エクレストン)

「F1界にとって非常に喜ばしい決定だ。いまは苦しんでいるホンダだが、彼らはきっと復活してくるよ。」(FIA会長ジャン・トッド)

そして、なぜザウバーはフェラーリからホンダへパワーユニットを変更するのか、ザウバーのモニシャ・カルテボーン代表は次のように語っています。

「皆さんは『フェラーリを捨てて、なぜホンダを選んだのか?』と聞くでしょうが、かつてフェラーリも同じように苦戦していた時期がありました。来年までまだ十分に時間はあります。」

「ホンダとのパートナーシップは、ザウバーが新しく生まれ変わろうとしている最も明らな証です。」

すでにザウバーの首脳陣はHRD Sakuraを訪問しているのだそう。今シーズン4戦が終わったばかりで来シーズンのことはまだまだ想像できませんが、ザウバー・ホンダの誕生で日本でF1がもっと盛り上がってくれることを期待したいですね!

■once upon a grand prix Legend of Greatest Racers

歴代のドライバーを振り返る「once upon a grand prix Legend of Greatest Racers」。今回は1982年ワールドチャンピオン、ケケ・ロズベルグ特集です。

ケケがワールドチャンピオンを獲得した1982年(ウィリアムズ在籍)、全16戦で競われたシーズンは、優勝者が11人に分散し、3戦以上するドライバーは皆無という大混戦! そんな中、ケケは1勝のみでチャンピオンを獲得しました。ちなみに、1勝のみでチャンピオンになったのは、1958年のマイク・ホーソーン以来の出来事なのだそう。

チャンピオンを獲得した翌年、ウィリアムズはエンジンをホンダV6ターボに替え、ケケは1984年ダラスでホンダ第2期初の勝利をもたらします。

「完走たった8台、コースを踏み外す車が続出する中、2時間オーバーの熱戦を制した要因はエンジン云々よりもケケの腕によるところが大きかった。」と本誌は分析。

ウィリアムズ・ホンダで走ったのは1983年〜1985年。ケケが日本に関わりがあったとは、なんだか嬉しいですよね。

皆さんご存知の通り、ケケは昨シーズンワールドチャンピオンを獲得しその後電撃引退をしたニコ・ロズベルグのお父様。親子2代の世界一はヒル親子(グラハムとデイモン)に次いで2例目となります。

顔もどことなく似ている2人ですが(デビュー当時のニコの髪型はケケと瓜二つ!?)、ドライビングスタイルや私生活はどうだったのでしょうか。チェックしてみましょう!

まずはドライビングスタイル。当時、燃料食いのターボは燃費走行を強いることとなり、テレメトリーシステムはまだ不十分で油断するとガス欠に陥ったのだそう。1986年マクラーレン・TAGへ移籍したケケ。チームメイトのアラン・プロストが上手に対処したのに対し、ひたすら全開を好むケケは我慢を強いられ、王座争いにも加わることさえできなかったそうです。

気になる私生活はというと、ケケは誰もが認めるヘビースモーカーで、コブラを乗り回すチョイ悪ぶり。他のエリートF1レギュラーたちとは異なる行動をとっていたのだとか!

ドライビングスタイルもパドックでの様子も、超真面目なニコとは正反対!! 時代は違えど、ここまで違うとは驚きです。どちらかというと、ニコの最強のライバルだったルイス・ハミルトン選手よりでしょうか。

F1ドライバー大好きな私としては、ドライバーのお父さんがどのような人だったのかも気になるところ。「once upon a grand prix Legend of Greatest Racers」を読むと、その人物について、そして当時のF1についても知ることができて、まるでタイムスリップした気分になりますよ。

「F1速報ロシアGP号」は、過去のF1から最新のF1事情、そして気になるチーム情報や独占インタビュー(今号はストフェル・バンドーン選手が登場)と、読み応えたっぷりな一冊です!!

(yuri)

「もう、セカンドなんて言わせない!!」初優勝のボッタスが内に秘めた想いを語る!【F1速報×F1女子〜ロシアGP号〜】(http://clicccar.com/2017/05/09/470174/)