「Thinkstock」より

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 学校法人「森友学園」の土地払い下げ疑惑は、いまだ真相が解明されないまま。そして、森友学園のもうひとつの問題についても、十分な議論は進んでいない。それは、小さな子どもへの「極端な教育方針」の押し付けだ。

 森友学園が運営する幼稚園では、園児に対して「教育勅語の暗唱」「食事中のお茶や炭酸飲料の禁止」といった指導が行われていたことが、テレビなどで繰り返し報じられた。しかし、実は、こうした極端な教育は学校などの教育機関に限った話ではないという。子どもの教育に熱心すぎるあまり、極端な教育を行う家庭も多いのだ。

「『極端』をどう定義するかという問題はありますが、教育に熱心すぎて、子どもの意思を無視してしまっている親が多いのは事実です」

 そう語るのは、『1人でできる子が育つ「テキトー母さん」のすすめ』(日本実業出版社)の著者で、幼児教室を設立し、30年以上にわたって教育現場の第一線に立ち続けている立石美津子氏である。

●お菓子を禁止された子どもの驚くべき行動

 たとえば、よく目にするのが、子どもに「甘いお菓子を食べさせない」「テレビ禁止、ゲーム類を一切やらせない」「キャラクターものの洋服やおもちゃを買い与えない」といった教育方針を持つ親たちだ。

 そこには「砂糖は体に悪い」と考えるなどの理由もあるようだが、立石氏によれば、こうした教育が「子供の楽しみを奪い、知らず知らずのうちに大きなストレスを与えている場合がある」という。

 実際、立石氏は子供たちを預かっていた際、親から市販のお菓子を禁止された子供の驚くべき行動を目にしたことがあった。

「おやつの時間に、ほかの園児がクッキーやゼリーなどを食べているなかで、その子だけが『我が家は甘い物を禁止しているので』と、家から持ってきた『ちくわ』『枝豆』『煮干し』などを食べていました。ところが、あるとき、お昼寝の時間にその子が私のカバンを勝手に開けて、中から飴を取り出して食べていたのです」(立石氏)

 もちろん、いくら幼児とはいえ、人の物を勝手に持ち出す行為はよくない。しかし、立石氏は、この子の行動と「お菓子の禁止」は決して無関係ではないと指摘する。

「私自身、教育熱心な母親のもとに生まれ、お菓子やジュースを禁止されて子ども時代を過ごしました。でも、内心ではすごく食べたかった。そこで、お友達の誕生日会に呼ばれたとき、出てきたお菓子やアイスをこれでもかっていうくらいに食べて、ひどい下痢になり苦しみました。おそらく、食べ慣れないものを急に大量に食べたことで、胃や腸が過剰反応を起こしてしまったのでしょう」(同)

 このように、家庭内で「食べたいものを我慢させられる」といったある種の抑圧を受けると、子どもは親の目が届かないところでストレスを発散しようとすることもある。これも、熱心すぎる教育が招く弊害のひとつといえるだろう。

「ゲームや洋服に関しても似たようなところがあります。ゲーム禁止の家庭で育った子どもが、ゲームのある友達の家に入り浸って夢中で遊びまくる、親の好みの洋服を押しつけられた子どもが、その反動でとんでもなく派手なファッションをするようになる……。こういうケースは、実際にあります。教育方針にこだわるあまり、子どもの意思を抑え込むのは、かえって逆効果になることもあるのです」(同)

 ただし、熱心すぎる教育をしたからといって、すべての子どもが前述のようなことになるとは限らない。重要なのは、極端に走らないこと、個々の性格などを踏まえ、子ども一人ひとりに合った教育をすることだという。

「お菓子を禁止されて育った子どもが、そのままお菓子に興味を示さずに育つこともありますし、ゲームに関心を持たずに大人になる子どももいます。『禁止すること=ストレス』とは一概に言えません。個人差があるということも、知っておくべきでしょう」(同)

●森友学園の「教育勅語暗唱」に意外なメリットも

 教育に熱心すぎる親たちには、子どもが小さいうちから英才教育の塾に通わせたり、自宅学習をさせたりする人も少なくない。それ自体が悪いわけではないが、気をつけないと、そこにも「落とし穴がある」と立石氏は言う。

「基本的に、脳の成長が著しい幼児期に塾で英才教育を受けるなど、さまざまな刺激を与えるのはいいことだと思っています。ただ、塾で習ったことを親が何度もテストしたり、ほかの子と比較して『どうしてこれができないの! もっとがんばりなさい』と子供を引っ張り回したりすると、子どもにストレスを与えることになります」(同)

 幼児教育において重要なのは、何よりも「子どもが自発的に楽しむこと」だという。親だけが夢中になっていて、肝心の子どもが嫌がっていては、意味がないのだ。そして、実は森友学園の幼稚園で行われていた「教育勅語の暗唱」も、必ずしも悪いことばかりではないようだ。

「子どもに偏った思想を押しつけることには、もちろん問題があります。その一方、子どもに論語や俳句などの古典を読ませる幼稚園も少なくありません。そう聞くと、『そんな難しいものを読ませるのはかわいそうだ』と思うかもしれませんが、論語や俳句には現代の日常会話にはないリズムがあり、子どもたちも大喜びで暗唱します。また、美しい日本語の土台をつくるのにも役立ちます。頭から古典の暗唱を否定するのではなく、子どもが楽しめるかどうかで判断すべきだと思います」(同)

 では、「子どもに合った教育」「子どもが自発的に楽しめる教育」とは、いったいどのようなものなのか。

「私個人としては、教育方針というのは無理に決めなくてもいいと考えています。どうしても何か指針を持ちたいのであれば、『他人軸にならないこと』を意識すべきでしょう。たとえば、『人様に迷惑をかけない』『どこに出しても恥ずかしくない』など、他人の評価を軸にした子育てをすると、人の目ばかりを気にする大人になってしまいます。

 それよりも、『子どもがどうしたいのか』を考えるほうが、はるかに大事。そして、できれば、親はその子どもの思いを受け入れてあげてほしいですね」(同)

 教育熱心であること自体は悪いことではない。問題は、その熱心すぎる教育で子どもが苦しんでいることだ。当たり前の話だが、子どもは親の思う通りにはならず、親の所有物ではないからだ。
(文=中村未来/清談社)