自身の引き際をどう捉えているのか。その回答もじつに小野伸二らしかった。(C)SOCCER DIGEST

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 ひとつ、個人的にどうしても訊きたい質問があった。
 
 日本サッカー史上、間違いなく「テクニカル部門」で首位の座を争うだろう技巧派が、これまでに対戦したなかで「コイツにだけは敵わない」と衝撃を受けた選手はいるのか? 国内外でさまざまなワールドクラスと対戦してきただけに、さぞや悩み抜くかと思いきや──。
 
 いやはや、即答だった。
 
「ジズーです」
 
 フランス代表の英雄、ジネディーヌ・ジダンの愛称だ。2002年の夏、UEFAスーパーカップで対戦した。レアル・マドリーとフェイエノールトの顔合わせだ。
 
「まさに銀河系のレアルとやったんですよ。ロベカルがいてラウールがいて、1-3で負けたんですけど、内容はもうぜんぜんです。それはもうすごい面子で。

 そのなかでもジズーはさらに別格。なんかね、もう入れないんですよ、その領域に。入ったとしても絶対にボールなんて獲れない。マジで衝撃でしたよ」
 
 そう言って、サッカー少年のような笑みをこぼした。

【PHOTO】小野伸二|波瀾万丈のキャリアを厳選フォトで 1997〜2017
 小野がいま、キャリアの最終盤にさしかかっているのは疑いがない。現役へのこだわり、あるいは引退への道筋について、生けるレジェンドはどう捉えているのか。
 
「自分たちが18歳で入ってきたときの30歳といまの30歳ってまた違うし、年齢ってのは正直あまり気にしてない。サッカーがずっと好きで、怪我とかいろいろありながら、いまでもプレーできてるのはすごく嬉しいこと。ずっとつづけばいいと思ってるし、そもそもサッカーを辞めるってイメージができないんですよね。
 
 もちろん辞めたいなって思った瞬間はある。でも、ちゃんとしたイメージとして持ったことがない。だから僕は、現役にこだわってるわけじゃない。サッカーを自分から取っちゃったら自分じゃないし、なんだかんだ自然体でここまでやってきた。生きてる証なんですよ。
 
 これからもこのままで、どこまでやれるか。身体が動かなくなるまでやりたいですね。なんで、あらためて思いますよ。カズさんってすごいなって」
 
 黄金世代も気付けば、アラフォー世代となった。
 
 小野と同じ時代を生きた同級生たちはいま、人生の折り返し地点に立ち、仕事にもプライベートにも小さくない悩みを抱えている。そんな同世代に、どんなエールを贈るのか。
 
「なんだろ、自分の地位が偉くなったからどうとか、そういうのを考えることなく、つねに感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うんです。僕はずっと大事にしてる。クラブに面倒見てもらってることに感謝、家族にも仲間にも感謝。自分ひとりじゃサッカーはできないし、生きてはいけないから。感謝の気持ちを持ち続けてほしいって思います」

 1997年の春、清水商グラウンドのベンチに座り、学ラン姿の小野と話した。新キャプテンに指名されたばかりで、決意に満ちた表情が印象的だった。
 
 ショートインタビューが終わり、握手をした別れ際だ。17歳の青年は、週刊サッカーダイジェスト編集部で高校サッカー担当になったばかりのわたし(26歳)に、こう言った。
 
「(年代別の)代表に選ばれているからと言って、いい選手とは限らない。そうじゃなくてもいい選手って本当にいっぱいいるんです。うちのチームにだっているし、静岡だけでもたくさん。そんな選手をひとりでも多く見つけて、紹介してください」
 
 がつーんと響いた。わたしは彼に感謝しなければならない。その後の取材活動においてもつねにあの言葉は立ち返るべき原点となり、いまでも心に深く刻まれている。
 
 はたしてこの天使は、あとどれくらい、サッカーファンを楽しませてくれるのだろうか。ほんの数分、数秒でもいい。これからも、ずっと観ていたい。
 
 最後に、あらためて訊こう。
 
「あなたは、小野伸二が好きですか?」
 

<了>
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

※5月下旬に配信スタート予定の連載第2回には、ガンバ大阪の生ける伝説が登場します。こうご期待!
 
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PROFILE
おの・しんじ/1979年9月27日生まれ、静岡県沼津市出身。小学校時代から天才少年と謳われ、13歳で年代別の日本代表に選ばれるなど異彩を放つ。清水商高時代はインターハイや全日本ユースでタイトルを獲得。1998年に鳴り物入りで浦和に入団し、そのシーズンのJリーグ新人王に輝く。99年のワールドユースで準優勝を飾ったが、その直後の大怪我で長期離脱。後遺症に苦しみ、翌年のシドニー五輪出場を逃がした。2001年夏からはフェイノールト(オランダ)に活躍の場を移し、UEFAカップ制覇など確かな足跡を残す。06年以降は浦和、ボーフム(ドイツ)、清水、ウェスタン・シドニー(オーストラリア)でプレー。そして14年春、札幌入団を果たした。04年のアテネ五輪にOA枠で出場し、ワールドカップは3度経験(98、02、06年)。国際Aマッチ通算/56試合・6得点。Jリーグ通算/209試合・72得点(うちJ1は180試合・63得点)。175臓76繊O型。データはすべて2017年4月20日現在。公式ブログは