トランプ大統領が「壁を作る!」と言い出したり、麻薬戦争の最前線だったりと、何かと話題になることの多いアメリカとメキシコの国境線。広大な砂漠が広がるこのエリアを舞台にした、シャープなスリラーが/『ノー・エスケープ 自由への国境」である。


『ゼロ・グラビティ』監督の息子が撮った砂漠スリラー


監督はホナス・キュアロン。『ゼロ・グラビティ』や『トゥモロー・ワールド』で知られるアルフォンソ・キュアロンを父に持ち、監督の他にも脚本、プロデュース、編集、俳優までこなす器用な人である。なんでもこの『ノー・エスケープ』の脚本を父アルフォンソに見せたところ「おれもこういう映画撮りたい!」と言い出したので、砂漠を宇宙に置き換えて『ゼロ・グラビティ』を撮ったんだそうで、言われてみればこの2作品のドライなテイストはなんだか似通っている。

舞台は現代のアメリカとメキシコの国境付近。アメリカ国内に住む息子に会うため、自動車修理工のモイセスは他の15人の移民とともに不法入国を試みる。だが、乗っていたトラックがエンストし、砂漠を徒歩で移動しての入国を強いられることに。国境のフェンスをなんとか超えたはいいものの、アメリカ側の砂漠には差別主義者の一人のハンターが兎狩りに来ていた。国境を超える移民に容赦なく銃撃を浴びせるハンター。武器も持たず、なすすべなく射殺される不法移民たち。果たしてモイセスは執拗な追跡を振り切ることができるのか! というストーリー。至って単純である。

メキシコの不法移民を題材にした映画……と聞くとなんだか社会派で小難しそうな雰囲気がある。しかし本作にはそういった雰囲気はほぼ無し。何を考えてるのかわからないアメリカ人ハンターと、事情を抱えた不法移民たちが砂漠のど真ん中で追いつ追われつする様子はほとんどスリラー映画。なんせ不法移民たちには武器もなければ通信手段も食料も移動手段もない。その状況下で銃を持ち犬を連れたハンターに追われる様子は、さながら『エイリアン』(あくまで一作目)のような手触りがある。

真の主役は「砂漠」という密室


この映画の原題は『DESIERTO』。スペイン語で「砂漠」という意味の単語である。『ゼロ・グラビティ』の原題が『Gravity』でまさに映画の最後の最後に立ち上がってくる主題だったことも考え合わせると、やはりこの映画が「砂漠」と名付けられていることには意味があるように思える。というのも、この映画における砂漠は密室スリラー映画における密室の役割を果たしているのだ。

前述のように、主人公であるメキシコ人移民のモイセスには通信手段も食料も武器もない。ここまで手元に何もないと、砂漠というのは広大な密室と同じである。どこにも行けるけど、人間の脚ではどこに行っても変わらないのだ。

それを印象付けるかのように、『ノー・エスケープ』ではやたらと引いたアングルが多様される。地平線まで含めて画角に入るように調整され、人間が移動しているのは点くらいにしか映っていないカットも多い。主人公たちが必死に走っているのに、それをものすごく遠いところから撮る。「砂漠が七分に、人が三分!」というくらい、砂漠ばっかり映るのだ。

『ゼロ・グラビティ』で最後に立ち上がってくる主題が「重力」だったように、この映画でも最終的に印象に残るのは極限の密室である砂漠だ。不法移民がどうとかハンターがどうとか、バカみたいに平らな砂漠の映像を遠景でず〜っと見ているとなんだかアホくさくなってくるのである。だいたい国境と言ったところで、劇中で出てくるのは砂漠のど真ん中に張られた有刺鉄線の貧相な柵だけだ。この映画は、移民やハンターが必死に逃げたり追ったりしていること自体がバカバカしく見えてくるように作られているように思う。

というわけで、あくまでスピーディーなスリラー映画の体裁を保ちつつも、舞台である砂漠を主役並みに扱うことで現実の問題への鋭い批評性を得たのがこの『ノー・エスケープ』ということができそうだ。ちょっと捻りの効いた映画を見たい人にはぜひおすすめしたい。
(しげる)