高倉健と菅原文太の“意味”を浮かび上がらせる『一故人』生きる指針に

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ここ数年、好きな人(著名人)が立て続けに死んでいく。私だけの感傷じゃないはずだ。2016年に限定しても、デヴィッド・ボウイ、プリンス、モハメッド・アリ、永六輔、千代の富士らがいなくなってしまった。「伝説が同じ時代を生きている」というよく考えると幸せな状況、今後ますます危ういものになっていくはずである。

今年4月に出版された近藤正高著『一故人』を読むと、その理由が詳しく記されてある。イギリスBBCの訃報担当編集長であるニック・サーペルは、こう語ったという。
「テレビや大衆文化が花開き、有名人の数が一気に増えた1960年代から半世紀経ったことの、自然な帰結なのだろう」

逆境を経験した故人23名を収録


『一故人』は、鬼籍に入った著名人の人生模様を、数多の資料をもとに紡ぎあげた一冊。


同書で取り上げられた故人は、以下の23人である。
01 浜田幸一/政治家
02 樋口廣太郎/経営者(アサヒビール)
03 中村勘三郎/歌舞伎俳優
04 大島渚/映画監督
05 山内溥/経営者(任天堂)
06 山崎豊子/小説家
07 やなせたかし/マンガ家・絵本作家
08 川上哲治/プロ野球選手・監督
09 永井一郎/声優・俳優
10 坂井義則/東京オリンピック聖火最終走者
11 山口淑子(李香蘭)/俳優・政治家
12 土井たか子/政治家
13 赤瀬川原平/美術家・作家
14 高倉健/俳優
15 菅原文太/俳優
16 赤瀬川隼/小説家
17 桂米朝/落語家
18 南部陽一郎/物理学者
19 北の湖敏満/第55代横綱
20 水木しげる/マンガ家
21 蜷川幸雄/演出家
22 中村紘子/ピアニスト
23 加藤紘一/政治家

訃報が届けられるや、故人が生前にとった行動や発言を改めてすくい上げる著者。「死人に口なし」という言葉があるが、故人の人生模様を再検証する著者の姿勢は一貫して優しい。
例えば。生前、そして死後にまで故人へのネガティブな風評がささやかれ続けていたとしよう。それらを含めて再検証し、好人物としての側面がクローズアップされるよう留意しているように感じられたのだ。

生前、再三にわたって「盗用」が指摘された山崎豊子。著者は、彼女について以下のような見解を述べている。
「『不毛地帯』では、作中の戦闘機をめぐる商戦と、連載中に起こったロッキード事件との類似が話題を呼んだ。しかしそれもこれも、人間をドラマチックに描こうとして設定を事実で肉付けしていった結果、たまたまそうなったにすぎない」

「管理野球」を導入したがゆえ、冷徹なイメージが付きまとう川上哲治。彼が巨人軍の監督に就いていた頃、ボタンの掛け違いからコーチの別所毅彦が「川上さんに裏切られた」と辞表を叩きつけたことがあった。その直後、別所を止められなかったことを悔やみ、「おれは、人間を抱いてやれぬ男なのだろうか」と涙した姿を、著者は紹介している。

同書のあとがき部分で、著者はこう記している。
「本書に収録した23名の人物が、何らかの形で逆境を経験していることは間違いない。(中略)私はとくにそういう人たちに魅かれていたのだと、今回こうして選んでみて気づくことができた」
「だからこそ、とりあげる人物たちに深い共感を持って書くことができる」

高倉健と菅原文太、水木しげると手塚治虫


同書の書き出しは、痛烈だ。
「著名人の訃報が『ひとつの時代が終わった』という言葉とともに伝えられることは多い。もっとも、それはえてして決まり文句という以上の意味を持つことはない。こうした傾向に対し、<でも、それでは、死んだ人がどのような『場所』を成立させていて、その人の死によって、どのような状況が終わっていくのかについては、まるで考えられないままになってしまう>と疑問を呈したのは作家の橋本治だった」

死んだ人が、どのような「場所」を成立させていたか? 人物の役割と意味を浮かび上がらせるために、著者がとった手法は“対比”である。
例えば高倉健と菅原文太を続けて収録し、菅原による「健さんを目標にしながら、尚かつ健さんからどれだけ遠ざかれるかという事が、僕の中に作用としてあったような気がする」という発言を紹介。両者のつくった「場所」がどのような意味と役割を担っていたか、対比させることではっきりと浮かび上がらせている。

この手法は、同書の中で多用される。北の湖を取り上げる際には輪島を、水木しげるには手塚治虫を“対を成す存在”として登場させ、対同士の存在意義を通して故人のつくりだした「場所」を明確にしたのだ。
例えば、水木しげるの項では「日本のマンガ家は九割の手塚系と一割の水木系からできている」という根本敬の名言が紹介されているが、この対比ひとつで水木が担った意味と役割はほぼ説明できている気がする。

赤瀬川隼の生前のエピソードに後押しされた著者


“生きづらい世の中”と言われる、この現代。だが、これからも我々は生き続けていかねばならない。

『サザエさん』で波平役を務めた永井一郎が「声優」という職業に巡り合うまでの過程は、興味深い。彼は、父親から「おれは地位も財産も何も残してやれない。ただ、絶対の自由を残してやる。好きにしろ」と言葉を掛けられたという。その時、永井は砂漠の真ん中に置かれたような心境になったそうだ。
「しかたがないから、渦巻き状に歩いて行こうと覚悟を決めた。ものすごく時間がかかるだろうが、何かにぶつかるかもしれない。(中略)やがて彼は声優という職業に“ぶつかる”ことになる」(同書から)

小説家・赤瀬川隼は銀行に勤めるも、35歳で退職。その後、外国語教育の会社に10数年勤めたものの48歳でまたも退職。失業保険の給付を受けながら「やることがないからコクヨの原稿用紙を買ってきて机に向かう」生活を送るようになり、完成した小説を、今度はいきなり文藝春秋に持ち込んでいる。この頃、赤瀬川はすでに50歳をすぎていたが、背中を押されるようにしていつのまにか小説家家業に入っていった。

どちらも故人による生前のエピソードであるが、それらは自ずと現代人の生き方の指針に成り得る。なにしろ、アポなしで出版社に飛び込んだ赤瀬川のエピソードを支えに、講談社へ原稿を持ち込んでヒット作(『タモリと戦後ニッポン』)を出版した経験が著者にはあるのだ。
なるほど。故人を扱いつつ、同書の見据える視線は後ろ向きではなく果てしなく前向きだ。

故人を題材に、前を見据え続ける


手に取っていただくとわかるのだが、『一故人』は書籍としてなかなか分厚い。だが、是非とも最後まで読んでいただきたい。(引き込まれて、結局は読み終えてしまうと思うが)
一年間の物故者を回顧する記事が各年の最後に収録されているが、最終年である「2016年の物故者たち」の締めは圧巻だ。同年に他界した故人らの発言を紹介しつつ、こうまで的確に現代への警鐘を鳴らすことができるのかと驚きに値する。

故人を扱いながら、一貫して前を見据え続ける一冊。人生の節目に立ったと自覚したならば、改めて読み返すのも面白そうだ。また、違った受け取り方ができるに違いない。
(寺西ジャジューカ)

※5月9日、紀伊國屋書店新宿本店8階イベントスペースにて『一故人』著者・近藤正高氏と宣伝会議の編集・ライター講座の講師も務める米光一成氏(関連記事)によるトークイベント「ネットにない情報の探し方」が開催されます。
当日は、両者が「情報の丹念な集め方」と「情報の取捨選択のコツ」、さらに選んだ情報を「整合性を持たせて文章に落とし込む術」について語り尽くすとのこと。詳しくは、イベント告知ページを参照してください。