角をカットした「角丸名刺」。31年前に男女雇用機会均等法が施行された当時、総合職女性の中にはやわらかさを表現するために使っていた人もいた

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 わたくし事だが、2017年4月で、社会人になって丸30年となった。この30年の間に、テクノロジーの変化やグローバル化、年齢構成の変化などによって、就業環境は劇的に変わった。昨今、「働き方改革」が叫ばれていることもあり、一度、日本の会社や働き方の移り変わりに自分の歴史を重ねて振り返ってみたいと思う。

1987年〜1996年
バブル景気の始まりと終わり

 この期間を象徴する出来事と言えば、何と言っても「バブル」である。85年9月のプラザ合意後、80年代後半から90年前半にかけて日本はバブル景気に突入。世の中は浮かれていた。89年には、アメリカの象徴とも言えるロックフェラー・センタービルを三菱地所が買収し、アメリカから「ジャパンマネーによる買い漁りだ」と批判されたこともあった。この頃は、普通のサラリーマンも株や不動産投資を当たり前のように行っていたし、「昨日一日で何百万円儲けた」などという威勢のいい話も普通に聞いた。

 当時リクルートに入社したばかりの私はというと、まだ下っ端だったこともあって、飲みにもいけず仕事ばかりの毎日だった。とにかく仕事が多くて終わらない。月に100時間を超える残業はザラだったし、それだけ量をこなしたおかげで仕事の優先順位づけや、取捨選択などは上手くなった。しかしながら、今思えば、当時はパソコンが普及していなかったおかげで、電卓で計算したり、実際に制作物を持ち運んだりといった単純作業も多く、頭を休める時間は結構多かったように思う。今の100時間残業に比べると、明らかに密度は薄かった。

「24時間働けますか(リゲイン)」「5時から男のグロンサン」など、当時のイケイケの日本を表すようなCMを覚えている人も多いだろう。娯楽のバリエーションのない時代だったから、大人の遊びといえばゴルフ。若い人はスキー。皆が同じ娯楽に殺到するから、コースもゲレンデも人で溢れていた。

 就職に関しては「超売り手市場」で、住友金属工業などは山瀬まみを起用し、「やわらか頭しています」というキャッチコピーで新卒採用目的のテレビCMを流していた。「社内制度で海外のMBAを取得できる」という約束で優秀な学生を囲い込む企業も多く、MBA留学がブームにもなった。もっとも、制度を使ってMBAを取った人たちの中には、取得後すぐにコンサルティング会社などに転職してしまう者も多かったようだが。

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