人のうわさ話というのはタチが悪いですよね。尾ひれはひれがついて、自分の耳に入ったときには元の話とはまるでベツモノに、ということもあるでしょう。たとえ事実とはまったく違ったとしても、自分がうわさ話の登場人物にされ悪いうわさを流されたら、いい気分はしませんよね。

うわさ話には2種類あります

うわさ話は2種類です。よいうわさと悪いうわさです。「学生のころにモテたらしいよ」というような、気分のよいうわさもあれば、私生活に土足で踏み込んで人を侮辱するような悪いうわさもあります。よいうわさはどんどん流れればいいと思いますが、問題なのは悪いうわさの方です。しかも、事実とまるで違うものであれば、一刻もはやくなきものにしたいと思うのは当然のこと。では、そんなときはどうしたらいいのでしょうか?

うわさ話の標的にされたら、われ関せずを貫くべし

人の好奇心というものは、とても強い力を持っています。あの海洋生物のウニをパカーンと割って、中身を食べてしまおうというくらいですからね。感服しちゃいます。その好奇心の標的にたまたまなってしまったら、それは根ほり葉ほりほじくられたり、干渉されたり傷つけられたりしますよね。迷惑なことです。
うわさ話の標的にされた場合に、ふたつの選択肢があります。ひとつは、うわさのもとを突き止めて自分が納得のいくまで追い詰めること。そしてもうひとつは、われ関せずというスタンスを貫くことです。筆者の経験上ですが、前者の場合不安が不安を呼んで自分の精神状態まで不安定になりますし、まわりも面白がって盛り上がるためあまりオススメはいたしません。

人の口にチャックはつけられない

うわさ話というのは、なにもないところからは煙がたたないといわれるように、自分がやったことが火種になっているものです。居酒屋でちょっと人のことを非難したら、翌日、まったく関係ない人から「○○さんのこと、嫌いらしいじゃん」と言われたりして。そうなったときには、「そういうつもりがなかった」というのは、通じないのです。
悪いうわさをバラまく人も悪ではありますが、人の口にはチャックがつけられないですから、常に自身の言動にも気をつけていないといけないのでしょう。なかには、純粋にでっちあげというものもあります。疑心暗鬼にもなりますね。

人はうわさ話が好きだけどすぐ飽き、そして忘れてしまう

ことわざで人の噂も七十五日というように、ひとつの季節が終わるころには、自然と忘れ去られてしまうものです。人からすぐに忘れ去られるようなことで何日も心を病んでいてはあなたの時間がもったいないと思いませんか? 究極をいえば、うわさ話などに耳をかしていることは無駄ということです。
「暇な人もいるものだな。私に興味があるならそういえばいいのに」とどーんとかまえていれば、相手にされないと悟った相手はしだいになにもしてこなくなります。「小さな悪意を相手しているほど、暇ではない」と思ってよいのです。「社会人になってまで人のうわさをしないと暇がつぶせないかわいそうな人もいるんだな」と思って、ばっさりと切り捨てておけばいいのです。

うわさをされても、自分のことが傷ついたことにはならない

いちばん大事なことは、うわさであなたのことをどうこう言う人がいても、あなた自身が傷ついたことにはならないということです。うわさはあくまで、虚像のあなたであり、他人が勝手に生み出したまぼろしです。あなた自身ではありません。割りきって考えて、自分がコントロールできるあなた自身を大事にして、日々をすごしていけばなんの問題もないのです。そのように堂々と生きている様子は、見る人は見ています。「しっかりと自分をもっている素晴らしい人だ」と思うでしょう。

うわさを気にして自分のやりたいことを我慢したり、いいたいことを言えないでいる人を、今まで筆者はたくさん見てきました。いろんな状況がありますので、それが一概に間違っていたかというと、そうではないのでしょう。けれど、うわさ話ごときで自分の心に傷を負うことなど一切ありません。人の悪意に心を揺さぶられないように、ときにはぴしゃりと悪意を遮断することが必要なときがあるのです。