今世界で起きているジャズの新しい動きについて解説した柳樂光隆氏

 ジャズは、1917年にアメリカで初めてレコーディングされてから、今年で生誕100周年を迎える。アメリカで誕生したこの音楽は様々なジャンルの音楽を取り込み、様々な様式を生み、多様化していった。そして今日の日本においては酒場、レストラン、街中、そしてトイレに至るまで、BGMとして流れており、日本人が一番聴くジャンルの一つとも言えよう。そんなジャズに21世紀以降、世界的な“地殻変動”が起きている。ヒップホップやR&Bなどの現行の音楽を聴いて育った、次世代のジャズメンが台頭し、新しい音楽を生み出し始めている。この流れを受け、最新型のジャズをまとめたムック本が、2014年に日本で刊行された。その名も『Jazz The New Chapter(JTNC)』。発売当初から各方面で話題になり、今年3月までに全4巻が発売されている。今回、MusicVoiceではこの『JTNC』監修者であり、音楽評論家の柳樂光隆(なぎら・みつたか)氏にインタビューを実施。なぜこの本を作ったのか、今ジャズシーンで何が起きているのか、などについて聞いた。氏の意見や考えに触れていくなかで浮かび上がったのは「ジャズを学んだミュージシャンが作る新しい音楽」が世界的に同時多発しているという興味深い動向であった。

ジャズとの出会い

柳樂光隆氏が監修を務めた「Jazz The New Chapter 4」

――初めての方もいるかもしれません。まずは簡単に自己紹介からお願いします。

 1979年生まれの音楽評論家で、メインで扱っているのはジャズですね。2003年くらいから、ずっとレコードショップで働いていました。00年代の終わりくらいから仕事を頂く様になりました。レコード屋のウェブに載る新譜のコメントとか、ツイッターで書いていた物を見た人とかが声を掛けてくれた感じです。最初にどんと名前を出してもらったのは、雑誌『JAZZ JAPAN』の創刊号だと思います。著名なジャズの演奏者やDJの方と並んでコラムを書かせて頂きました。

――音楽の変遷を教えてください。

 地元は島根です。中学生くらいはミスチルとかJポップが好きだったんですよ。その後、小沢健二や、コーネリアスの様ないわゆる『渋谷系』(90年代の渋谷で起きたジャンル横断型の音楽ムーブメント)的な物が好きになって。あとはラジオも好きでFMとか、山下達郎や久保田利伸の番組をよく聴いていました。そこで洋楽の情報を知って、CDを買ったりレンタルしたり。情報源はほとんどラジオです。雑誌とかはほとんど見たことがなかったので。ただ当時はまだカセットテープが有効な時代だったので、120分テープとかにラジオを録音して、気に入った放送を繰り返し聴いていました。

 あとは『土曜ソリトン SIDE-B』(NHK教育テレビ、放送期間=1995年〜1996年)というテレビ番組があって。スチャダラパーとか、TOKYO No.1 SOUL SETとか渋谷系ぽいゲストが出ていたんです。その番組でYMO特集をやっていたのを観て、YMOにハマりました。全然リアルタイムじゃないんですけど、ちょうどその頃再結成して。

 その後、進学で上京しました。YMOが好きだったのでその周辺のはっぴぃえんどとか、YMOをカバーしていた東京スカパラダイスオーケストラとか、<渋谷系>に繋がっている物は引き続き好きでしたね。

――上京したときの心境は?

 とりあえず、タワーレコードがデカい(笑)。島根にそんなものは無かったから。僕のいた出雲には、そもそも輸入盤を置いていたのは、小さな店1軒だったので、凄いびっくりしました。だからよくタワレコ、HMV、ヴァージン・メガストアーズ、WAVEといった、CD屋に通っていました。主に新宿・池袋・渋谷です。大学の寮に住んでいたんですけど、音楽好きな友達が他にもいて。それぞれが持ち帰った各CDショップのフリーペーパーがリビングに積んでおいて、皆で読んだりしていました。その寮が留学生ばかりだったので、日本人と遊ばずに外国人とばかり遊んでいましたね。

 大学時代は、レコード屋と大学と古本屋に行って、休みの日は映画館とかに行く生活。勉強は好きだったので、現代思想とか勉強していたんですけど、特に…(笑)。一応学校の先生を目指そうと思っていたので、就職はどうしようかと思いましたが、とりあえずレコード屋で働きたいなと。それで、国分寺にある珍屋(めずらしや)で働きました。そこはゆらゆら帝国(日本のバンド)の坂本慎太郎さんが店のロゴを書いていていたり、故DEV LARGEさん(ヒップホップミュージシャン)がお客さんとして来ていたお店で。バイトで入って、そのまま2011年まで働きました。

――ジャズを聴くようになったきっかけは?

 ジャズを聴くようになったのは大学卒業するくらいの時です。当時の彼女がジャズ研究会のサークルでサックスを吹いていて、モダンジャズをよく聴く子だったんです。それから、2人でジャズ喫茶なのに、はっぴぃえんどが流れるお店によく通うようになって。そこから僕もジャズを聴き始めました。それまでも渋谷系関連でヒップホップの元ネタとか、DJがかけているのは聴いていたんですけど、50年代のジャズとかもちゃんと聴くようになったのはそれからですね。

 レコード屋に勤める様になってからはもちろん全ジャンルを聴いていたんですけど、働いていた店がシンガーソングライターの作品とか、フォークロックとか、ブルースとか、割と土っぽい音楽が好きな所だったので、アメリカの古い音楽はよく聴きました。特にその時期は、そういうのがCDで再発され始めていたんですよ。そういう音楽は今も好きですね。

――なぜ、ジャズを主な評論の対象にされたのですか?

 なぜでしょうか(笑)。でも、しっくりきたんでしょうね。凄い買っていましたからね、今ではCDで1万枚くらいありますから。好きなレーベルのCDは片っ端から買っていました。ジャズって<これが好きなら、こういうのも好きかも>っていうのが多いじゃないですか。凄い似ているアーティストもいるし。全然違うものが沢山あるというよりは、グラデーション的に色んなものがあるから、そういうのをひたすら聴き比べて楽しんでいたんだと思います。

 働いていた店を辞めてからは、もうレコード屋はやめようかなと思っていたんですけど。色々あってもう一回やってみようかなと次はディスクユニオンで働きました。前の店では店長で、店1軒まるまる管理していたので、そういうのではなく普通にバイトでやりたくて。その頃からライナーノーツ(輸入盤のCDによく付属される日本語の解説)も書いていました。ユニオンでは2年働いて、それからはフリーのライターになりました。

 フリーになる前も基本的にジャズのメディアに書いていたんですけど。でも、『クロスビート』というロック系の洋楽誌が、休刊する前に少し変わった事をしていたんです。ブルーノート特集(老舗ジャズレーベル)をやったり。それが評判良かったので、現代ジャズ特集とかもやらせてもらいました。JTNCの編集者になる方がその雑誌の担当で、僕に仕事を振ってくれていましたね。他にもライブ評とかを書いたりしていました。

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