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レースのために生まれた「スーパーカー」

乗るたびに、なぜ自分がこのクルマと恋に落ちたのかを思い出させてくれるようなクルマ。理性的であるよりは本能的なストラトスは、世界で最も過酷なラリーを制覇したランチアのエキゾチックなシンボルであり、スーパーカーのルックスとレースを目的とする自動車工学の結晶という魅力的なハイブリッドだ。

ミニが1960年代、そしてアウディ・クワトロが1980年代におけるスポーツ・シーンの象徴であったように、ストラトスは、1970年代を通して、変化の速いスポーツ・シーンを定義づけた。ランチア・ストラトスは、発売後40年以上を経てなお、われわれのモヤモヤを吹き飛ばしてくる最も爽快な特効薬だ。

ただそこにあるだけで、カリスマを漂わせているクルマ。そのスタイリングは、ランチアが多額の借金を抱え、間もなくフィアットによって救済されたものの、何か画期的なクルマを必要としていた時期にまで起源をさかのぼる。

ベルトーネが1970年のトリノ・モーターショーで発表したクルマ、すなわちフルヴィアのエンジンを搭載し、極端なフォルムのコンセプトカーであるゼロが、まさにそうしたクルマであった。後にヌッチオ自身がゼロをランチアまで運転し、そこで、コンペティション・マネージャーだったチェーザレ・フィオリオが尽力し、ゼロをベースにして当初の予想を大幅に超えるラリーの新兵器に改造する承認を取付けた。

手頃な速度域では小ぶりのランチアのハンドリングには余裕があるものの、限界間近では手一杯だ。

スポーツカーの新しい概念

コンセプトを担当したマルチェロ・ガンディーニは、1971年初め、これを、より実用的なプロトタイプに変身させる作業に取り掛かった。

その年の後半、トリノ・モーターショーで発表した頃には、材質は決まっていなかったものの、ストラトスの独特なフォルムが確定していた。プロトタイプがアルミ製だったのに対し、「量産」車にはFRPが採用された。フィオリオは、プロトタイプを次のように形容した。「スポーツカーの新しい概念」。

ハッチ式のドアなどがなくなり、未来的であったゼロと比べれば若干おとなしくなっている可能性があるものの、依然として素晴らしいフォルムであり、この時代の最も特徴的な「くさび形」のクルマのひとつであった。

側面から眺めると、フロント・パネルのラインから大きな湾曲したフロント・ガラスまで、角度の変化はほとんど見られない。大きなホイールアーチが、その流れを強調し、ストラトスが過激なクルマであることがすぐに理解できる。幅が広いのに、極めて短く、大きく絞り込まれた下半分。腰の高さでは広いものの、中央に寄ったルーフラインの周囲では狭い。

また、ストラトスは、最初から競技車両として設計されていることが一目でわかるクルマだ。フロントとリアのクラムシェル開閉式ボンネットを開けることで、中央のスティール・シャシーへ容易にアクセスでき、機械部品を格納したフロントとリアのサブ構造が簡単に露出する設計だ。これは、サービス・クルーがラリー・ステージの合間に修理作業を迅速に行うのに欠かせない仕組みであった。最初からロードカーを念頭に置いたデザインにありがちな妥協がほとんど見られない。

途方もなくコンパクトなくさび形のフォルム。ミシュランXWXタイヤを履いた正規の14インチ・カンパニョーロ・ホイールに注目したい。

まずはプロトタイプとしてWRCに出場

ジャンパオロ・ダラーラとマイク・パークスがシャシーの設計を手伝い、1972年を通して開発が迅速に続けられた。例えば、悪路での耐久性と使いやすさを向上させるため、リア・サスペンションをフロント・エンドで使われているのと同じダブル・ウィッシュボーンからマクファーソン・ストラットに変更した。

そうしてクルマの改良が迅速に進んだため、グループ4のホモロゲーションには適合していなかったものの、一部のイベントでプロトタイプとして出走することが可能になった。そこで、72年のツール・ド・コルスでデビューを飾る。だが、残念なことにサスペンションが故障したため、サンドロ・ムナーリとマリオ・マヌッチはリタイアを余儀なくされた。

生産台数は498台?

その当時のホモロゲーション要件では、12ヵ月の間に500台を生産する必要があると規定しており、ストラトスが承認を受けたのは1974年10月のことだった。かといって、ランチアが必ずしも500台全てを生産したことを示す証拠はなく、いずれにしてもグループ4の承認要件が後に400台に下方修正された。

記録にもとづいた推計によれば、完成した車両台数はせいぜい498台であり、工場が1978年になってようやくこれらのクルマを売リ始めた。スペシャリストが1979年にかけ、構成部品の形態から組み上げたクルマだった。

ガンディーニがベルトーネにいる間にこのクルマのスタイリングを手がけた。

ストラダーレではあるが…

今回取り上げる個体は、シャシー番号1595、1976年に組立てられ、当初は緑色に塗装された公道走行用ストラダーレの派生車種だ。その2人目のオーナーはエンツォ・フェラーリの親しい友人だったといわれ、3人目、すなわち現在のオーナーがこのクルマを1986年に買った頃には、黒の塗装の上から現在の赤にスプレーで塗装し直されていた。

長年にわたって使い込まれ、人々が楽しんできたクルマらしい風格が漂っている。ストラトスも、綺麗な状態がなぜか似合わないクルマだ。

ストラダーレ仕様とはいえ、このクルマが誕生した唯一の目的から逸れることはない。長めのドアはそれぞれ6kgの重さしかなく、ソフト・トリムではなく、ハード・パネル仕上げであり、ヘルメットを収納するよう設計された広く深いポケットが備わっている。ウィンドウのレギュレーター・ハンドルなど望むべくもなく、ガラスの昇降はシンプルなダイアルを溝に沿って上下にスライドするだけだ。

ペダルはわずかにクルマの中央部に寄っており、体側の空間が余っているにもかかわらず、ヘッドルーム、特に頭を横方向に動かす空間がないことに違和感を覚える。

また、ステアリング・ホイールとダッシュボードとの位置関係から、レブ・カウンターの高回転域側、すなわち7000rpmから始まる黄色の部分と8000rpmを示す赤い線が見えない。

STRATOSの飾り文字。

開発当初はディーノ・ユニットでなかった

買い手が求めるのは有名なディーノV6エンジン搭載モデルだが、フェラーリが1972年後半からこのエンジンを供給することに同意するまで、ランチアは、独自のツインカム「4気筒」エンジン、またマセラティのV6やV8エンジンさえも含む様々なエンジンで開発を進めた。それでも、最後は、フェラーリのエンジンが横方向に設置され、ドロップギアにアクセスし易くなった分、素早く変速できるようになった。

1000kgを切るボディに193psのパワー

今では、この素晴らしいディーノV6エンジンを搭載していないストラトスを想像する方が困難である。ストラダーレ仕様のエンジンの出力は193psに達する(コンペティション用に開発された24バルブのヘッドのエンジンでは、出力が304psに引き上げられている)。193psがそれほど大きな数字に見えないとすれば、1000kgをわずかに切る重量のクルマであることをもう一度思い出して欲しい。

魅力的なエンジン・サウンド

これが十分な出力であることさえわかれば良い。また、エンジン・サウンドはあくまでも栄光に満ちており、回転が上がっていくにつれ、低回転のうなり声が咆吼に変化していく。そのルックスに魅了されないとしても、そのエンジン・サウンドに魅せられることは間違いない。

それまで森林ステージに鳴り響いていたどんなエンジン音よりも中毒性があり、当時のエスコートの大群の4気筒エンジンのサウンドに満足していた人々にとって素晴らしい気付け薬であったことに疑問の余地はない。

5速トランスミッションは、特にセカンド・ギアに入れたい場合、オイルが温まるまではやや扱いにくい。また、ブレーキは少しぎこちなく感じられるものの、それでもストラトスのフィーリングは他のいかなるクルマとも異なる。

これは、部分的には、矢の先端に座っているかのように感じさせるドライビング・ポジション、また、短いホイールベースと広いトラックの組み合わせのおかげだ。ストラトスは、全長がディーノよりも20cm以上、ホイールベースが16cm短いものの、幅はほぼ同じだ。

フェラーリから調達した2.4ℓV6エンジン。

できないことは何もないと錯覚させられるコーナー特性

時代的な正確さを期すため、今回取り上げるクルマは、205/70VR14ミシュランXWXタイヤを履いたオリジナルの14インチのカンパニョーロ製マグネシウム・ホイールを装着している。現在のオーナーは、普段は最新のコンポモーティブ製アルミホイールとヨコハマ・タイヤを組み合わせて走っているという。

ストラダーレの特長として、あらゆるセッティングが調整可能なサスペンションを採用いることだ。適度なスピードであれば、慣性を感じさせることもなく、回転半径も小さい。湾曲したフロント・ウィンドウを通した視認性が素晴らしいため、コーナーを回るのも極めて容易であり、ステアリングが軽いため、できないことは何もないかのような充実感がすぐに得られる。

重量の60%以上が後輪に配分されているため、極限状態では、一瞬のうちにアンダーステアからオーバーステアに切り替わる危険性があるが、こうした感覚は、あくまでも錯覚に過ぎない。F1の花形選手トム・プライスが1975年のツアー・オブ・エッピントでコース・アウトする前、記者のピーター・ニュートンとストラトスに同乗した。

その時の感想を「ストラトスは、滑りやすい路上において性能の限界付近でドライブし易いクルマではない」と、ニュートンはAUTOSPORT誌に書いた。「ビョルン・ワルデガルドが、アリタリア・カラーのストラトスで、ステアリングを勢いよく回し、ステージを攻略していく姿を見たことのある人なら、誰でも、それがわかるはずだ」。

オリジナルのツールキットがスペアタイヤの中に収納されている。

WRCでの輝かしい戦歴

ストラトスが秘めた能力を完全に解放するには、ワルデガルドやムナーリほどの才能が必要だった可能性があるものの、ランチアは、その明白なスピードに見合う信頼性をストラトスに与えることに成功した時、世界一のクルマを手にした。

ストラトスは、汎用性の高いクルマでもあった。ムナーリとジャン・クロード・アンドリューが1973年のタルガ・フローリオでストラトスに乗り、2位になった後、ムナーリは、マリオ・マヌッチと組み、その年のツール・ド・フランスで優勝した。

ストラトスが、1974年、75年、そして76年の3回、WRCで優勝した後、社内政治が原因で、親会社のフィアットが、ランチアのラリー専用カーから自社製131アバルトに活動の重点を移した。それでも、ストラトスは、プライベーターの手で優勝し続けた。

ベルナール・ダルニッシュが、1979年、モンテカルロ・ラリーにおけるストラトスの4度目の優勝を飾り、最後は1981年にツール・ド・コルスで優勝した。結果、合計で82の国際ラリーで勝利を手にした。

ラリーで勝利するためだけが目的

それでも、商業的に見れば、ロードカーとしてのストラトスは失敗作だった。米国の規制に適合しなかったため、米国で、また一部の欧州市場でも販売することができなかった。イタリアでは、ディーノとほぼ同じ価格で販売されたものの、ランチアはその点についてそれほど気にしていなかった。

ランチアは、ラリーで成功することにしか関心がなく、ホモロゲーション目的を越え、利益になるロードカーを生産することは優先課題ではなかった。現在では、もちろん、ストラトスのあらゆるバリエーションが超人気車になっている。

ステアリング・ホイールがタコメーターの高回転域を隠してしまっている。

コレクションされるより楽しんでもらうクルマ

「他の多くのクルマの場合と同様、買い手は、あまり手荒に扱われていない、まともで、オリジナルな個体を探しています」と、スペシャリストのウィリアム・イアンソン氏は語る。「多くの個体が金額分の価値のない粉飾されたクルマです。そうした個体は、長い間、ディーノと同程度の金額か、その少し上で推移しています。ですが、私のクルマは正真正銘、ホモロゲーション用の特別な個体であり、最も象徴的なラリーカーの1台です」

「ストラトスは、まさにプロフェッショナルなステージ・ラリー時代の始まりを告げ、ステージ・ラリーの世界でランチアを台頭させ、同社は、そのままステージ・ラリーを席巻するようになりました。私見ですが、ストラトスの値段はもっと高くても良いと思います。まず、ディーノよりも希少性があり、まだ過小評価されていると思います」

「運転してみれば、これほどまで成功した理由がわかると思います。本当にマニアックなクルマであり、その優れた性能を引き出すためには神経を集中させる必要があります」

それによって得られる体験は、神経を集中させ、没入するだけのことはある。正直に言えば、ストラトスは、優しく運転することが想像できないクルマだ。道路のあらゆる直線部分が栄光に満ちたエグゾーストノートに耳を澄ます口実になる。

最近の値段の高騰(ロンドンで最近行われたRMサザビーズのオークションにおいてストラダーレが£30万8000=約4,800万円で落札された)により、さらに多くの個体がコレクションとして退蔵されることがないよう願いたい。

使われ、楽しんでもらうことを切望しているクルマというものがあるとすれば、それがランチア・ストラトスだ。

ランチア・ストラトス

■生産期間 1974〜1975年 
■生産台数 498台 
■車体構造 センター・モノコック + FRPボディ 
■エンジン形式 V6 DOHC 2418cc 
■エンジン配置 ミドシップ横置き 
■駆動方式 後輪駆動 
■最高出力 190ps/7000rpm 
■トランスミッション 5段M/T 
■全長 3710mm 
■全幅 1750mm 
■全高 1110mm 
■ホイールベース 2180mm 
■車両重量 980kg 
■サスペンション  (前)ダブル・ウィッシュボーン + コイル (後)マクファーソン・ストラット 
■ブレーキ ディスク 
■0-97km 6.2秒 
■最高速度 230km/h 
■現在中古車価格 4000万円〜8000万円