ガブリエル独外相 photo by SPD Schleswig-Holstein via flickr(CC BY 2.0)

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 今年1月にドイツ外相にシグマール・ガブリエルが就任したことによって、ドイツ外交はそれまでの穏健派のシュタインマイヤー外相時代と比較して個性色の強い外交になっている。

 4月下旬にイスラエルを訪問したガブリエル外相に対し、ネタニャフ首相はイスラエルのNGO組織「Breaking the Silence」と「B’Tselem」の2つのグループと会見を持つのであれば、予定されていた両者の会談を中止すると促していた。特に、前者はEUから寄付金も受けて、パレスチナの問題に取り組んでいる政府に批判的な活動組織である。

 案の定、ガブリエル外相がこの二つの組織と接触したことを受けて、ネタニャフ首相は同外相と4月25日に予定されていた会談をキャンセルしたのであった。

 それに対してガブリエル外相は同行記者団に<「ドイツはイスラエルの内政のおもちゃになるべきではない」>と語って、ネタニャフ首相が会談をキャンセルしたことに遺憾の意を表したという。また、同外相はドイツ国営テレビZDF でのインタビューでも<「外遊先で、現地の市民組織の代表らと会見するのは良くあることだ」>と述べて、イスラエル政府に背く行為でないことを強調したという。(参照:「La Verdadoculta」)

 さらにその後ネタニャフ首相が同外相に電話を入れたそうだが、ガブリエル外相は受話器を取ることを拒否したというのである。

 この両者の経緯について、南ドイツ新聞(SZ)は<ネタニャフ首相がガブリエル外相との会談をキャンセルしたことはドイツとイスラエルの関係を蔑むスキャンダルである>として同首相を批判した。そして、ガブリエル外相が予定を貫徹したことに対し、<これまでの前任者と比較してより勇敢であった>と称えた。(参照:「Al Manar TV」)

 メルケル首相はこの事態が発生した時も、ガブリエル外相と緊密に連絡を取り合っており、<同外相の決断を後押しした>という。そして、<ドイツのイスラエルへの支援に今後も変化のないことを付け加えた>そうだ。(参照:「Enlace Judio」)

◆中東和平とイスラエルとの関係の板挟み

 今回の出来事が発生したことに両国が重みを置く理由は、戦後のドイツとイスラエルの関係を無視しては理解することは出来ない。それは600万人のユダヤ人を死に追いやったナチスによるホロコーストへの責任の重みから、戦後のドイツはユダヤ人に対して道義的に償いをせねばならないという使命を感じているのである。

 1965年に西ドイツがイスラエルと国交を結んで以来、ドイツはユダヤ人がドイツに残した財産のイスラエルへの移転を始め、武器の購入費用をドイツ政府が一部負担するといった形での提供、またイスラエルとの積極的な貿易取引などに努めて来たのであった。

 パレスチナ問題についても、ドイツは出来るだけイスラエルの姿勢に添う形で外交姿勢を守って来た。

 しかし、最近の国際情勢が変化するにつれて、しかもドイツはEUのリーダー国という立場から、これまでのドイツ単独での外交が展開できなくなっていた。パレスチナ問題についても、ドイツは他のEU諸国と歩調を合わせるような形でイスラエルとパレスチナの二つの国家の共存という外交を選らぶようになっていた。

 しかも、イスラエルの一番の敵であるイランとドイツは前者が国連から制裁を受けるまでドイツにとって最大規模の貿易相手国のひとつであった。核合意によって、イランへの制裁が緩和されたことによって、ドイツとイランの取引関係が復活して行くのであるが、ドイツの閣僚がイランを訪問する際には常にイランに対し、イスラエルとの関係改善を要請している。

◆影を落とす「聖地」問題

 その様な事態の中で、両国の間で今回の事態発生の要因となったのは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)でエルサレムの聖地としての位置づけで、イスラム教、ユダヤ教双方が聖地だとしている「神殿の丘」そして「嘆きの壁」(ともにユダヤ教での呼称)を、ユダヤと関係を無視しているような形で「聖地としての決議案」を出したことについて、ドイツが賛成の意向を表明して来たということが背景にある。