仕事をしていると、たまに「どんな相手も惹きつけてしまう人」を見かけますよね。たいした話をしているわけでもないのに、すごい専門知識をひけらかしているわけでもないのに、たちまちみんなを夢中にさせてしまう人。

精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生によると、そういう「有能な人」が共通して実践しているコミュニケーションのコツがあるのだそう。今回は、そのコツについて詳しく教えていただきました。

「知識のある人」と「有能な人」

「知識のある人はすべてについて知識があるとは限らない。だが、有能な人は、すべてについて有能である。無知にかけてさえも有能である」モンテーニュ

16世紀フランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュの代表的な大著『エセー』からの一節ですね。

これは随筆、すなわち僕らが「エッセイ」と呼んでいる、自分の考えや身近なできごとを散文調で書くスタイル、文学ジャンルの先駆となった名著です。そして『エセー』という著作自体がいろんな名言、警句の宝庫になっている。この連載は毎回そうですけど、本当に偉大な古典からフレーズを引いているんで、なんだか解説するほうがレベルの程を試されているようでつらいですわ(笑)。

まず「知識のある人はすべてについて知識があるとは限らない」。これは本当に“そのまま”の真理、まったく当たり前のことなんです。「あの人はなんでもよく知っている」って言ったってね、ほとんどの場合、その人が話題の主導権を握って、自分の知っていることをしゃべっているだけなんですよ。

もちろん誰もが驚嘆するほど知識量の多い人もいる、というのは大前提ですけどね。そんなクイズ王みたいな人でも、やっぱり「すべてについて知識があるとは限らない」。ここは種明かしをするようですけど、簡単には騙されたらいけないところ。

自分の無知にショックを受けない

だってね、要は僕なんかも雑多な知識系の仕事をしているわけですよ。漫画のことも、映画のことも、政治のこともしゃべったり、書いたりする。でも僕は、あくまで自分の知っていることをつなぎ合わせているだけなんですね。

聞いてくれるほうは、話題の広がりの中で勝手に補填してくれている部分もあると思う。でも僕がそこの部分に精通しているかどうかはわからない(笑)。実は全然知らないかも。聞き手のほうの知識で足りない部分を埋めて、過大評価してくれているのかもしれませんよ。

だから「知識」っていうのはものすごく相対的なもので、場所や条件、お題やジャンル、話す人が置かれている立場によって、簡単に価値変動するものなんですね。

たとえば、ある集まりの場で、あるテーマについてしゃべっている時、自分があまりに無知で恥ずかしい思いをした。でも必要以上にショックを受けることはない。人はそれぞれ「違うこと」を知っているだけなんです。このカラクリはひとつ覚えておいたほうがいいでしょうね。

「有能さ」と「知識の量」は無関係

だけど「有能」っていうのは、たとえばひとつの話題を振られた時に、その話題をどう広げるかっていうことに関わってくる。それって「知識」の量とは基本的に関係ないんです。

いきなりちょっと余談っぽくなるんですけど、僕の尊敬する師匠である植島啓司先生(宗教人類学者)にね、飲み修行をさせてもらっていた時期があるんです。僕は当時30代前半で、まだ体力がずいぶんあったから、植島先生の話を聞きたいばっかりに、大阪のミナミやキタの繁華街でお店を2軒も3軒も回ったり。ホンマにお金のない時はカラオケボックスの中で、歌もうたわずにお酒を飲んで、ひたすらしゃべっているとか。

そういう日々を送っている時、ある小さなバーのカウンターで、「名越さん、こういうバーで誰かと会話をするときに、僕はひとつ肝に銘じていることがあるんだ」と植島先生が話し出したんです。「それはね、相手の話の腰を折らず、その話を広げてあげることなんですよ。どんな話でも」って。

その時ね、僕、この言葉は一生覚えておこうと思った。

私が封印した言葉

でも実際、植島先生の会話を聞いていると、結構平気でバキバキ相手の話の腰を折るんですよ(笑)。「それ、何が面白いの?」とか、さらっと突っこんで。そこがまた先生のお茶目なところなんですけどね。

ただ、さっきの言葉をくれた時、僕を見る先生の目があまりにも純粋で迫力があったので、思わずグッときたんですね。

それから実際に、僕はだいぶ自分の方向性が変わったんですよ。人の話を聞く時に、「で?」とか「何が言いたいわけ?」とか、そんなことはめったに……まあ、年に一回くらいしか言わなくなったんですよ(笑)。

ピンと来ない話をされた時も、「えっ、それってどういうこと?」とか「えっ、そんなことって本当にあるの?」とか、もうちょっと相手の話を引き出すような返し方をする。途中で相手の話の腰は折らない。できるだけ話が広がっていくような質問をする。

話を相手に響かせるコツ

それを意識して、2年くらい自主的に修行しているとね、だんだん意識しなくても自然にできるようになってきた。まあ自分としては、ですよ。以前よりはずっとね。それはやっぱり、あの時の植島先生の助言が利いているなあって。

あと、もうひとつね、植島先生からの助言で大切にしていることがあるんです。

それは「人に話をする時、何かひとつ具体的な例を挙げなさい」っていう教え。確か植島先生は「エピソード」という言い方をされていましたね。具体的なエピソードをひとつ入れると、その話がグッと引き立つ。相手が呑みこみやすくなる。わかりやすくなる。

僕はその頃、ちょっと頭でっかちやったから、なんでも理屈だけで話をする傾向があったんですよ。でも、そうすると堅苦しくなるし、なにより相手の空想を掻き立てないんです。空想力が発揮されないということは相手の心が積極的に動いていないということですから、思ったほど相手に伝わらない。恐らく10分の1も伝わっていなかったと思います。

ところが植島先生の助言を受けて、「ある時に僕はこんな経験をしたんです」「こんな人に会ったんです」っていう具体的なエピソードを話に入れ込んでみた。そうするとね、よく伝わるんです。ひとつ自分や誰かの経験談、話のテーマにまつわるストーリーを例に出すと、非常に話の浸透度が高くなる。相手が最後まで興味を持って、自分の話をしっかり聞いてくれる。

で、このふたつの教えを僕なりに習得したら、それだけでだいぶコミュニケーションが広角度に展開できるようになってきて、色々な人と話しができるようになった気がするんです。

だから僕が植島先生から飲み修行の中で教わったことは、モンテーニュの言葉に倣って言うと「知識」ではなかった。まだ若僧だった僕に、少しでも「有能」さを身につけさせるための知恵だったんですね。