純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

写真拡大

 3日夕、話題になりすぎたフリーブックスのサイトが消滅した。昨年末にできて、日本のマンガを中心に数ヶ月で数万冊を抱え、それも無料ということで中高生に人気だった。しかし、類似の「違法」サイトは、ちょっと探せば、あいかわらずネット上にゴロゴロ。私なんかの小難しい本まで、私の知らない間に並んでいたりするので、とてもびっくり。出所はかならずしもはっきりしないが、かなり組織的に、機械的に、手当たり次第のデータ収集が行われているように思う。そうでもないと、私の学術書なんか拾うとは思えない。

 こんな「違法」サイトがはやる第一の原因は、電子書籍の変貌。第二の原因は、DRM(デジタル・ライト・マネジメント、電子著作権管理)の脆弱性。そして、第三の原因は、amazonなどの読み放題。

 電子書籍は、当初、専用端末向けで、とくに日本語は縦書やルビに対応することが必要だった。しかし、白黒の電子書籍だけのために高価な端末を買う人は多くなく、それで、結局、ほとんど市場が広がらないまま。ところが、この数年、爆発的にスマホが普及。あまりに短命なポップミュージックや、おもに個人の情報供給に依存する動画やニュースの配信がネタ切れし始めた一方、眠れる膨大なレガシーを抱えていた電子書籍、とくにマンガが、その主要商材として再注目されている。

 古いコンテンツでも、デジタル化で蘇る。日付更新で著作権が延命される。ところが、この著作権管理、DRMがあまりに脆い。かんたんに外されてコピーがおおっぴらにあちこちアップロードされている。フリーなんとかなども、たてまえは Amazon kindle などと同様に、自分の作品を直接に出版(パブリッシング=公開)できるサイトで、その著作権の有無はアップロードした者の責任とされ、サイト側は、知らん、と突っぱねていたが、一般の人々の「善意」だけで、違法コピーがこれほど集まるとは、とうてい信じがたい。

 では、元データをどこで入手しているのか。第一に疑われるのは、出版関係者。電子書籍フォーマットに合わせるのはけっこう面倒なので、以前(2013年)に問題があった製版プロセスとは別ルートだろう。だが、デジタルデータとなると、第二に、出版社サイドでなくても、販売サイトもあやしい。運営からシステム管理まで、関係者はあまりに多い。だが、それ以上に疑わしいのが、読み放題。Amazonなどでは、会費さえ払えば、電子書籍がいくらでもダウンロードできてしまう。これで大量に落としてDRMを外されたら、どうしようもない。

 いちおうAmazonだと、読まれたページ数に応じて、著者に配当があることにはなっているのだが、実際のデータトラフィックを公開しているわけでなく、どういうカウントなのか、写真集やマンガと小説や詩集のようにページあたりのデータ量が極端に違うものをどう評価しているのか、ページ数単価に書籍原価がどう反映されているのかは、jasrac以上に闇の一任。正直、ワリがあわないな、かといって、他に手もないし、というのが、大半の加盟者の本音だろう。

 しかし、公共の図書館に至っては、物理的に本一冊を買っただけで、大量の人々にただで読ませて、著者や出版社にはまったく配当無しなのだから、Amazonよりひどい。そして、公共の図書館のようなものがある以上、フリーなんとかも、会費は払った、それで合法的にダウンロードしたものを、自分の「知り合い」と「私的」に廻し読みして、なにが悪い、DRMの方が著作権法上の越権だ、ということになる。

 図書カードの時代でもあるまいに、公共の図書館でも、どの本がいつだれに貸し出されたのかくらい電子管理されている。動物園だのプールだのも有料、自分自身の住民票一枚を取るだけでも市役所はカネを取るのだから、公益に資する学術目的や被教育権としての勉学目的ならともかく、図書館で公務員に手間をかけさせて私用の娯楽書を借り出し、それで無料などという方が、公務と著者、出版社に対する冒涜であり、税金の盗み取りではないか。

 図書館には無料で図書提供でいい。館内なら無料閲覧もいい。だが、館外の貸出には、消費税程度は利用者から徴収するのが当然。同様に、音楽配信や電子書籍にしても、ダウンロードは無料でもかまわない。だが、端末でデータを開くたび、もしくは通話と同じように開いている総時間に、ワンタイム・パスワードでネット課金して、きちんと著者や出版社にも正確に利益還元されるようにする必要がある。(電子書籍なのに、仮想ページ数で配当なんて、amazonは感覚としてあまりに時代遅れだろう。)

 書籍の電子化に対して、システム、いや、それ以前に、本に関わる人々の意識が古すぎる。まず公共の図書館がきちんと書籍に対する敬意をカネで示さないと、先人たちが積み上げてきたレガシーをデジタル再生する動機と資金が出版社に確保されない。公共の図書館そのものが、物理的な管理コストと新規出版の電子化で、遠からず総デジタル化せざるをえない、という現実を、みな、きちんと認識すべきだ。ここでまともな側が対応をあやまれば、いよいよ労作の著者たちを食い潰して、流行の娯楽の上前をはねるだけの出版文化に成り下がり、違法サイトとどっちもどっちということになりかねない。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。近書に『アマテラスの黄金』などがある。)

PR 純丘曜彰の新刊!『百日一考(第一集)』