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 BOMIが新作映画を語る連載「えいがのじかん」。第4回となる今回は、5歳の頃にインドで迷子になりオーストラリアで養子として育ったサルーが、Google Earthを使って故郷を探し出す模様を『英国王のスピーチ』の製作陣が映画化した、『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』をピックアップ。(編集部)

参考:BOMIの『SING/シング』評:歌は無条件に速いスピードで人の心に届く

 『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』は、サブタイトルをつけるなら「家なき子、母を求めて三千里」。…って、そもそも「〜25年目のただいま〜」ってサブタイトル、ついてました。フゥゥゥ。この映画、この手のお話の筋ならよくあるストーリー展開にも関わらず、本編ラスト、原作者でこのお話の元になった主人公サルーの実際の映像が流れるシーンで私は嗚咽と共に目から水がダダ漏れしていました。なぜかと言うと、自身の境遇と重なるところがあって……。

 この映画のストーリーをざっとまとめると、『LION』の主人公サルーは、5歳の頃にひょんなことから迷子になってしまい、そのまま迷子になった場所で孤児院に引き取られ、幸運なことにオーストラリアに養子としてもらわれ、オーストラリアですくすくと育ち、ひょんな思いつきで大人になった時にGoogle Earthを使って生まれ故郷に辿り着きます。

 私は迷子になって養子に出されたわけではないのですが、アメリカで生まれて、3歳の頃に両親と離れ、大阪で育ちました。3歳までの記憶はまったくないので、「給水塔が…」とか「揚げ菓子が…」というように、当時の記憶を断片的に覚えていたサルーとは記憶の質が違います。未だに思い出せないことだらけなので、催眠術でもし赤子の頃の自分の記憶が戻るなら試してみたいくらいです。

 そうです…。私にも、血の繋がりのある母を探しに旅に出たことがありました。20歳の時に、自分の出自だったりルーツだったりを辿りたくなって(こういう気持ちって成人した時に皆さん何かしらあると思うんですけど)、一度生まれたニューヨークに行ったことがあるんです。自分はどこから来てどこへ向かっていく人間なんだろうと自分の人生を考えた時に、最初は岡本太郎に傾倒したり、仏教の勉強をして精神瞑想世界に突入しそうになった時期もあったのですが、結果、血の繋がりのある母親が私の人生の中の埋まらないピースのひとつで、それを埋めた時に何かが変わるような気がして。結局その当時は、サルーのようには記憶もないし、さらに言うと「ニューヨークに母が住んでるらしい」ということ以外何の手がかりもなかったので、ただ故郷に思いを馳せただけで終わってしまったんですが。バカなんですか私は。…だけど、大人になってから故郷を探そうと思ったサルーの気持ちは痛いほど共感できました。

 サルーはGoogle Earthを使って産みの親に会いに行きますが、私の場合はそのツールがFacebookでした。まぁなんて現代的な、と思うかもしれないですが、最近はこのように再会する親子が増えているそうです。私がまだ小さい頃にテレビでやっていた徳光さんが泣く番組なんかは、もう現代では成立しないでしょうね(笑)。私の場合は、数年前のある日、産みの母親からFacebookのフレンドリクエストがふっと届きました。そのような現代的な再会の仕方も含めて、サルーと私はかなり共通項がありました。

 日本は養子率がすごく低いのであまり馴染みがないかもしれませんが、アメリカや諸外国では割と一般的になっているんですよね。アンジェリーナ・ジョリーやマドンナなど、社会的にも経済的にも成功した女性は、人道支援の一環として養子を実子同様に育てています。もしかしたら、子供を養子に出す親の方にも、そんなに罪悪感もないのかもしれません。「(なんらかの事情があって)私には育てられないから、他の人のところで生きるほうが幸せだろう」とかそれぐらいのことなのかなぁ。だから、恨むのも馬鹿らしいことというか、そういった星の元に自分は生まれたんだ、と思うくらいが適切なのかもしれません。

 それにしてもサルーの養父母の考え方は素敵すぎました。実際にあった話だと思ったら、ちょっとすごいですよ。ニコール・キッドマン演じる義理の母が、「子は持てたけど、あなたたち2人を家族にして生きていこうと夫婦で決めたの。子供を産むよりも恵まれない子たちを助けるほうが意義がある」とサルーに語りかけるシーンがあるのですが、そういう発想ってなかなかできないと思うんです。その辺りから自分の境遇と被ってきてしまって、私の育ての母はどう思って私を育ててきたんだろうと思いを馳せました。

 サルーがすごいなと思ったのは、実の母親に会いに行った後、その事実を義理の両親にちゃんと報告していたこと。しかも最後に実の母親と義理の母親を会わせているんですよね。それって実はなかなかできないことなんです。私は未だに無理で、なんとなく育ての母には血の繋がりのある母のことを話さないようにしているし、逆も然り。会って何かを聞かれても「元気だよ」ぐらいしか話さないんですよ。私の場合とサルーの場合は状況が違うので簡単に比較はできませんが、実の母と義理の母、お互いにとって知っていいことってあるのかなって思ってしまうんです。昨年12月にリリースしたアルバムは自分のルーツと向き合った内容になっているのですが、どちらの母にも聴かせていません。やっぱりちょっと勇気がいるんですよね。私自身が本当に思っていることだけど、これを聴いた2人を傷つけてしまったらどうしようとか考えてしまって、聴かせられないんですよね。だから似たような境遇だけど、私とサルーはそこがまったく違うなと感じました。

 サルーと本当のお母さんの再会シーンは本当に感動的な素晴らしいシーンで。一方、私の場合、向こうはめちゃくちゃ泣いていましたが、私は全然泣けなかったんです。「あなたがこんなにすくすくと育っていて、すごく嬉しい。でもこの失った何十年を私が見れたらもっと幸せだったのに」みたいなことを言われてバーっと泣かれたのですが、「私に言われても……」というような感じで。いろいろ事情はあったようなのですが、私にとって実の母は私を構成するピースのひとつであって、“母”ではなかったんですよね。だから人との関係性っていうのは、一緒に過ごした時間で決まるのかなと、この映画を観ても改めて思いました。育ての両親にちゃんと感謝の気持ち伝えていたサルーはすごく成熟した精神の持ち主のように思えました。私もサルーのような視点を持つことができれば、いつか育ての両親にそういった思いを伝えることができるかもしれません。

 映画の話に戻ると、インドのパートが意外と長かったので、オーストラリアのパートで成長したサルー(デヴ・パテル)とその恋人となるルーシー(ルーニー・マーラ)が急に道端で踊り出した時は、インド映画お馴染みのダンスが始まるのかと思ってしまいました(笑)。主要キャスト以外のキャスティングはインドの学校や町中でささっと選ばれた子たちがオーディションを受け、抜擢されたそうですが、インドという人で溢れた国でそんなキャスティングをするというのも驚きで面白かったです。

 現地で撮られているので当然といえば当然かもしれませんが、街並みや家の様子、貧しい人たちの描写に関しても、『LION』にはインドの“現在のリアル感”がありました。私、8年前ぐらいにインドを訪れたことがあって。今はまた状況が変わっているかもしれないけれど、当時からインドにもシネコンがあって、さすが“ボリウッド”という感じでした。その時私はインドのラブストーリーを観たのですが、インドの人たちって面白い映画の見方をするんです。最近は日本でも“マサラ上映”が行われたりしますが、少し悲しいシーンとかになると、ものすごいガヤを飛ばすんですよね。あと基本的に上映時間が長いので途中休憩があったり、町が砂っぽいので映画館の床も若干砂っぽかったり……。そういったインドでの記憶も、この『LION』を観て蘇りましたね。

 主演のデヴ・パテルやルーニー・マーラ、ニコール・キッドマンらはもちろん、幼少期のサルー役の子たちも含めてみんな素晴らしい演技をしていました。最後のサルーとお母さんの再会シーンは、本当の家族にしか見えませんでした。前に一度、『湯を沸かすほどの熱い愛』の中野量太監督にお会いした時に「演技とは関係性がどう見えるか。そのように見えることが大切」というようなニュアンスのことを言っていたんです。“見せるか”じゃなくて、“見えるか”。それを聞いた時に「なるほど!」と膝を打ったんですが、あのシーンはリアルな家族にしか見えなくて、本当に感動して涙が止まりませんでした。

 もちろん、このお話が“実話”だから感動するという面もあると思います。これが仮にすべてフィクションだとしたら、「なるほど」としか思っていなかったかもしれません。“本当にあった話”という事実で、自分の中で作品の評価が3割増ぐらいになっているような気がしますが、それも含めて素晴らしい映画でした。私も自伝を書けば映画にできるかもしれない! とふと思いついたのですが、もう『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』みたいな完璧な作品があるからダメですね……。(BOMI)