客席を埋め尽くすファンがその登場を今や遅しと待ち構えるなか、万雷の拍手に手を振り応じながら、彼女はセンターコートに姿を現した。


1年3ヵ月ぶりにコートに戻ってきた伊達公子 いくぶん白くなった肌が過ぎた月日を物語るが、コート上での精悍な表情と、獲物を射るような鋭い眼光には少しのかげりもない。なにより、時に肉を切らせて骨を断ちにいくかのような勝負師の本能が、見る者を否応なく惹きつける。

 公式戦から離れてから1年3ヵ月。軟骨骨移植と半月板縫合のため左ひざにメスを入れてからは、約1年――。伊達公子が、ふたたび戦いの場に帰ってきた。

「やっと、スタートラインに立てたかな……と」

 試合後の会見で、開口一番、彼女は率直な思いを口にした。

 試合そのものは、結果だけ見れば世界136位の朱琳(中国)に2-6、2-6の敗戦。それでも、立ち上がりの相手ゲームをブレークした際に決めた鮮やかなボレーや、第5ゲームを5度のデュースの末にブレークした勝負強さ、そして最後に決めた強烈なリターンウイナーなど、伊達を世界の伊達たらしめたプレーで幾度も歓声を呼び起こした。

「自分でゲームを作ることができた。試合には負けたけれど、勝負は十分にできると感じた」という言葉は、実戦のなかでしか得られぬ手応えの表れだろう。

「可能性を感じられた、大きな一歩だった」

 そう言い切る伊達の明るい表情は、あたかも彼女が再起の未来を確信して、この1年を過ごしてきたかのような印象すら与える。しかし現実は、術後も痛みが消えぬひざへの不安と葛藤を抱え、復帰への道を模索する日々だったと彼女は明かす。4月12日、復帰への足がかりとして日比野菜緒とエキジビションを戦うが、その後、ひざは腫れて2度も水を抜いた。

「岐阜に入るまでは、大会に出るのは無理かなと思ったときもあった」

 その葛藤の背景には、「出るからには最低でも2〜3試合……本来なら(決勝までの)5試合戦える体力的な手応えや、ひざへの自信も持っているべき」だという真摯な勝負哲学がある。それでも最終的には、支えてくれたフィジオやトレーナーたちの「たとえ1試合になったとしても、実戦で戦うことでしか得られないものがある。その意味を優先していこう」の声に納得し、復帰のときをこの日と定めた。

 伊達が抱くコートへの渇望と完璧主義者的な配意は、手にするラケットにも表れる。

 ボールを打つ練習を始めた昨年の晩夏、伊達とラケットメーカーのヨネックスの間で、復帰後に使う新たなラケットについて話し合われた。実戦から離れている間に、筋力は落ちてしまうだろう。そのパワーを補うべく、今までよりもスイートスポットが広く、反発力も高いラケットが新たな武器の候補に選ばれた。

 そのラケットを伊達仕様に調整した試作品が完成し、伊達本人が最初に試し打ちをしたのは昨年の12月末。しかしそのときのラケットは、伊達が求める感触とは何かが異なっていたという。

 トップ選手は誰しも自分の身体の一部といえる用具に対して、職人的なまでのこだわりを持つ。わけても伊達は、他者にはわかりえないだろう繊細な差異にも、一切の妥協を許さぬことで有名だ。

 特にラケットの重量は顕著であり、多くの男子選手たちより重いほどである。

 ラケットの重量を活かすことでパワーを補い、コンパクトなスイングで跳ねた直後のボールを叩く……。それが、伊達のみが扱える伝家の宝刀「超ライジングショット」の精髄だ。

 またグリップも、他の選手よりも太めを好む。一般的にはグリップが太いと制御が困難になるため、小柄な女子選手は細めを使うのが主流だ。だが伊達には、長年の付き合いにより身体に染みついた、グリップに求める固有の感覚がある。慣れ親しんだ力の入り具合に、人差し指のかかる位置――それらすべてが揃ってはじめて、ラケットは彼女の身体の一部となる。

 それほどまでにラケットに繊細な感触を追求する伊達が、最初の試打で求めたのは、反発力がありながらも、なおかつコントロールがしやすいものであった。そこで開発陣は、フレームに使われるグラスファイバーの織り上げる角度等を微調整し、飛距離と制御のバランスという、難解な数式の解明へと取り組む。かくして年が明けた今年1月、伊達が納得する”再チャレンジ”に向けた1本が仕上がった。

 それら、確固たる目的意識と新たな武器を携えた復帰戦では、「上出来」と自認するプレーができた。持ち帰った「課題は当然たくさんある」が、「課題があるのはプラス」と彼女はとらえている。その課題への解を求め、早くも数日後には、韓国の昌原(チャンウォン)市で開催されるITF(下部ツアー大会)予選に挑む予定だ。

 超えるべきハードルが見つかったことを喜ぶように、彼女は笑顔を輝かせる。「やっと立ったスタート地点」から、46歳の不屈のチャレンジャーはさらに歩みを進めていく。

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