渋谷恭生容疑者

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「容疑者の逮捕から週が明けた17日には、私が対応しただけでも20件近い問い合わせが市民の方からありまして……」

 そう頭を抱えるのは、松戸市教育委員会の担当者である。

「なかでも『なぜそんな人物を保護者の代表に選んだのか』という声が多く寄せられました。ですが、PTAや保護者会の役員の選出方法を市が決めることは、学校や地域の独自性を奪うことになりかねず、非常に難しいのです」

 かくも職員を当惑させる渋谷恭生(46)は、9歳で生涯を終えたレェ・ティ・ニャット・リンさん(当時小3)が通った松戸市立六実(むつみ)第二小学校の保護者会会長。自身にも同じ小学校に通う2人の子どもがおり、地元では誰もが知る「保護者」だった。

渋谷恭生容疑者

 それが今回、たった一人で地域社会の常識を覆し、あまつさえ全国津々浦々、手弁当でPTAや見守り活動に精を出す人々の熱意を一瞬で踏みにじってしまったのである。

「仮に前科前歴があったとしても、警察から情報が提供されるわけではない。役員に立候補するというのは、善意で成り立っているのが前提なので、このような人物が入ってくるのを防ぐ手立てはないのです」(同)

 すっかりお手上げの体なのだが、そもそも、

「渋谷の逮捕の決め手は、DNAと防犯カメラでした」

 とは、さる捜査関係者。

「発生直後から、近隣住民など10人余りの不審人物が浮上。それぞれ行動確認し、リンさんの遺体や所持品に付着していたDNAと不審者らのそれを照合したところ、渋谷のDNAだけが酷似していたのです」

レェ・ティ・ニャット・リンさん(リンさん母親のFacebookより)

 加えて、動かぬ証拠が物を言った。

「並行してリンさんの自宅近く、我孫子市の遺棄現場、そしてランドセルが見つかった坂東市の3カ所付近の防犯カメラやNシステムの解析を進めました。渋谷の所有するシルバーの軽自動車は事件当日夜、自宅マンションの駐車場になかったことが分かっており、“現場”の3カ所ではいずれもその車が映っていた。一方で当日の行動について『学校に子どもを送って自宅にいた』などと、映像と矛盾する説明を県警にしていた。これらを踏まえ、逮捕へと至ったのです」(同)

■犯行現場は…

 渋谷は毎朝、見守り活動のため小学校近くのT字路に立ち、リンさんを含めた児童らに声をかける姿が目撃されている。犯行当日の24日は参加せず、

「この日は、いつも歩いて通学する自分の子どもを軽自動車に乗せて学校へ向かっています。そのまま1キロほど離れたリンさんの自宅付近で彼女を待ち受け、言葉巧みに車に乗せると、今度は別の駐車場に停めてあるキャンピングカーまで乗りつけたのです」(県警担当記者)

 こうした模様も、付近の防犯カメラには捉えられていた。駐車場付近の住民は、

「5年くらい前から停まっていました。普段はまったく動かず車体にはコケが生えていましたが、男の人がよく来ていて、一度車内を覗いた時は応接室のようにきれいに整っていました。自宅とは別の“趣味部屋”なのかと噂していたのです」

友人らとのライン

 と言い、さきの記者も、

「県警は、この車こそが“犯行現場”だとみています。リンさんは首以外に、両手首にも縛られた痕跡があった。いたずら目的で連れ込んで車内で絶命させたのち、渋谷は再び軽自動車に乗り換え、遺棄場所を探して利根川沿いを行き来していたと思われます」

リンさんの通学路

 捜査本部のある我孫子署に勾留されている渋谷は、雑談には応じ始めたものの、事件については認否も含めて黙秘を続けている。

■“お気に入りの女の子の…”

 その卑劣漢は、地域の裕福な家に生まれ育った。

「母親はもともと隣の鎌ケ谷市の地主の出で、郵便局員だった父親は婿養子。渋谷はリンちゃんと同じ小学校を卒業し、地元の中学から近くの県立高校へと進みました」(近隣の住民)

 高校の同級生が言う。

「当時から180センチはありましたが、性格は大人しく、体に似合わず字は丸文字だった。高3の時、オタクが読むようなアニメのエロ本を持ってきて、クラスの隅でノートにアニメタッチの女の子の裸を描いていました」

 卒業後は栄養関係の専門学校に進むが、1年で中退。

「20歳の頃に北海道へ渡り、食品関連の仕事に就きながら現地で結婚するのですが、まもなく離婚。7年ほどで関東に戻り、コンビニや飲食店を転々としましたが、いずれも長続きしませんでした」(前出住民)

 その間に父母を亡くし、2001年には、母親が所有していた4階建て自宅マンションを一棟丸ごと相続。月額数十万円の家賃収入で暮らせる身となったのだが、9年前には市内の中華料理店で1年近く勤務していた。当時同僚だった男性によれば、

「マンションの大家さんなのに、と聞いたら『維持費とか何とかで支払いが大変で、働かないと生活できない』って冗談ぽく笑っていました。奥さんは一回りくらい下の中国人で、生まれたばかりの子がいた。その頃は彼も朗らかでしたが、数年後にフェイスブックやラインで繋がりができてからは、たびたび愚痴っぽい書き込みをしていました」

 例えば15年の誕生日には、友人らとのラインにおいて、

〈一番言って欲しい人から、なにも言われていない…(中略)やっぱり…嫌われたな(中略)また、さみしい春になった〉(4月14日)

 また別の日には、自身の娘の友達についての記述と思しきものが――。

〈お気に入りの女の子の秘密の誕生日パーティーの予定が、余計な嫌いな子供たちまで来た。(中略)家族と親戚で用意したパーティーは中止!! 女の子はがっかりしていたけど…自業自得!!〉(4月25日)

〈4月29日は、知り合いの女の子の誕生日…(中略)今、現在何も連絡が来ない…以前から、ドタキャンやすっぽかしをする娘なので警戒していてよかった〉(4月29日)

 などと、女児への感情を露わにしていたのだった。

■春から1人で登校していた

 渋谷は昨年4月から保護者会「二小会」の会長を買って出た。近年は不動産管理業に専念しており、時間に融通が利くことも幸いした。見守り活動を始め、学校にも頻繁に姿を見せている。会のさる役員が明かす。

「昨年春、新体制が始まった途端、渋谷さんは『これまで役員任期は1年でしたが、いっそ2年にしましょう』と言い出した。みんな家庭などの負担が大きいので反対したのですが、事件がなければ渋谷さんは今年度も会長に立候補し、2期目を務める予定でした」

 あるいは、ターゲットを定める時間が必要だったのか。リンさん一家は15年12月、川崎市から転居。2年生の途中から転入してきた彼女と同級の子を持つ、30代の母親が言う。

「渋谷さんは事件後も緑のビブスをつけて活動していました。逮捕の前の日も、子どもたちに付き添って手を繋ぎ、『車に気をつけるんだよ』と言い聞かせていましたが、毎日同じ地点で旗を振っていたのですから、リンちゃんの登校時刻もよく分かっていたはずです」

 従来、松戸市では集団登校を実施しておらず、加えてリンさんは他の児童より10分ほど遅めの登校が目立っていた。その自宅近所の60代主婦によれば、

「これまでは近所に住む年長の男の子と一緒に通学していたのですが、その子がこの春から中学生になったこともあって、ここ最近、リンちゃんはずっと1人で通っていました」

 そんな事情も調べ済みだったに違いない。さきの役員は、

「事件を受け、4月に入って見守り活動についての会議が行われました。ある役員が『早く犯人が捕まってくれないと安心できない』と強い調子で言うと、渋谷さんはうつむいて『そうですね』と呟くだけでした」

 が、別の日にはこんな台詞を口にしていた。

「『事件のせいで見守り活動のメンバーが精神的に参っています。“毎日子どもを見て来たのに、どうしてリンちゃんを守れなかったのか”と。僕もそれが心配で……』なんて、まるで他人事のような口ぶりでした」

 善人面して通学路に立ち続けていたとは、まさしく鬼畜の所業と言うほかない。

特集「善意の『PTA会長』『見守りボランティア』を不審者に変えた!『ベトナム小3少女』殺害犯は地域社会も殺した」より

「週刊新潮」2017年4月27日号 掲載