訪米する前後には重大な事案が発生する。習近平中国国家主席のジンクス(Jason Lee - Pool /Getty Images)

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13年6月 習主席・オバマ大統領首脳会談後 薄熙来が二審判決、周永康が失脚

 13年6月7日から8日にかけて、米カリフォルニア・サニーランズの農園で、非公式の米中首脳会談が開催された。

 この会談から習主席が帰国したあとの6月23日、周永康の身近で18年に渡り秘書を務めた、四川省の元副省長・郭永祥が当局から取り調べを受けた。

 13年8月22日から26日、薄熙来に対する法廷尋問は5日間連続して行われた。そして10月25日に結審した二審でも一審の判決は覆らず、薄の無期懲役が確定した。

 13年11月15日、習政権は中共18大第三回会議で、労働教養(強制労働収容)制度の廃止を発表した。強制労働収容所は、99年から始まった法輪功迫害政策で拘束された学習者らの主要収容施設として使われており、内部では壮絶な拷問が日々行われていた。

 またこの年の北戴河会議の前後に、周永康は少なくとも2度の習主席暗殺計画を立てていたことも報じられている。この暗殺計画の実行犯は、周永康の補佐兼ボディーガードを務めていた譚紅だった。

 13年12月1日、周永康の取り調べが正式に始まり、同月20日には、政法系統にいる周永康の腹心で、法輪功迫害専門機関「6.10弁公室」のトップ兼公安部副部長の李東生に対する取り調べも開始された。

 15年9月 習主席の米国賓訪問後: 中紀委が「擒贼先擒王(敵をとらえるには、まずその王をとらえよ)」を発表

 15年9月22日から28日にかけて、習主席は米国を公式訪問し、国連創設70周年関連の首脳会議に出席した。このときの習主席の訪米は、習陣営と江派勢力の攻防がし烈さを増していた時期とぴったり重なっている。

 15年5月から、習政権は「有案必立、有訴必理(事件は必ず立件し、訴訟は必ず処理する)」を確約した立件登録制度を実施した。その結果、中国全土にわたる法輪功弾圧で大量の人々を死に至らしめたとして「非人道罪、ジェノサイド(大量虐殺)罪」で江沢民に法の裁きを求める法輪功学習者や迫害に反対する市民らが、最高裁や最高検察に訴状を送り届けた。

 それに対する江派の反撃も激しさを増していった。5月28日、6月15日から19日、6月下旬から7月上旬、7月下旬に、中国のA株(国内投資家向けの株)が4度にわたって大暴落したが、その後この株価大暴落は、江派勢力が習政権転覆を狙って仕掛けた「経済クーデター」だったことが判明している。また7月末には、江沢民一派が「北戴河クーデター」を画策しているとの情報が流出し、8月12日には天津浜海新区の化学薬品倉庫が大爆発するという事故が起きている。消息筋は事故直後に早くも、この爆発も、北戴河会議に参加する習主席ら党指導者層を狙った暗殺未遂だったと指摘している。

 

 一方の習サイドも、6月11日には周永康に対し無期懲役の判決を下し、7月20日には中央政治局が令計画の党籍・公職を剥奪するという決定を下した。また8月30日には、郭伯雄の党籍をはく奪することも決定し、「国家級の大トラ」と言われた江派の主要メンバーの3人を相次いで失脚させている。

 この訪米中、シアトル‐ワシントン‐ニューヨークと米国内を移動した習主席の行く先々で、法輪功学習者らが「江沢民に対し、法の裁きを」と主席に対し呼びかけている。習主席を乗せた車が、このスローガンの書かれた横断幕の前を通過する様子もたびたび見られた。

 9月29日、習主席は米国から帰国した当日に、国営メディアは中紀委機関紙に掲載された一文を転載した。そこに唐代の詩人・杜甫の「前出塞(ぜんしゅつさい・外敵と戦うために砦を出て出陣する前の意味)」の中の「射人先射馬 擒敵先擒王」(人を射んとすれば先ず馬を射よ、敵をとらえんとすれば先ず王をとらえよ)」が挙げられ、江派勢力の頭である江沢民を捕らえることの暗喩と見られ、内外から大きな注目を浴びた。

 11月10日と11日に、上海市副市長の艾宝俊、北京市委副書記の呂錫文が相次いで取り調べを受けた。11月12日に国営メディアは「大トラ狩り」は始まったばかりで、引き続き厳しく行っていくと強調した。文中には「刑不上常委(政治局常務委員は刑事罰の対象にしないという不文律)」はすでに無効であるとも重ねて記されていた。

その後、江派勢力の人物について不利な情報が飛び交い、失脚も続き、同時に軍隊改革も粛々と推進された。

(つづく)

(翻訳編集・島津彰浩)