当時を振り返る、古谷三敏先生

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 忘れられないあの漫画。そこに描かれたサラリーマンは、我々に何を残してくれたのか。「働き方改革」が問われる今だからこそ、過去のサラリーマン像をもう一度見つめなおして、何かを学び取りたい。現役サラリーマンにして、週刊SPA!でサラリーマン漫画時評を連載中のライター・真実一郎氏が、サラリーマン漫画の作者に当時の連載秘話を聞く連載企画。

 引き続き、今回も『ダメおやじ』著者である漫画家の古谷三敏先生に話を伺います。場所も引き続き、お孫さんがバーテンダーとして腕を振るう「BARレモンハート」です。

◆後期のアウトドア編の成功が『釣りバカ日誌』を生む

――1978年になって、ダメおやじはひょんなことから社長になって、それ以来残酷描写が全く無くなり、極めて平和なホノボノ漫画になります。あれはどういう意図で方針転換したんですか?

古谷:後半になると、読者に飽きられてくるんですよね。どう変えていこうかというときに、ちょうど日本自身が経済的に疲弊してきていたんです。そんな時に思いついたのが「三年寝太郎」という民話。なんにもしないのに幸せになるというのは、疲れた人たちにとっては夢じゃないですか。だから突然社長にしてみたんです。世の中のことを何となくとらえて、それをテーマに入れたんですよね。

――あの方針転換は、読者からはどんな反響だったんですか?

古谷:いじめてるときは嫌いだったけど面白くなった、というハガキが来たんですよ。連載から5〜6年経つと、人気は6〜7位と低迷していたんです。でも10歳くらい下の若い編集者に代わって、その人がフライフィッシングとか登山とかが好きなアウトドア派の人で、その人がダメおやじにそういうことをさせましょうと言ったんですよね。僕も悩んでいたし、社長だったら何でもできるから、そうしようと思って。

――古谷先生より10歳下だと団塊世代ですよね。団塊世代ってアウトドア志向や自然回帰志向が強かったんですよね。

古谷:トレッキングをしているオーソリティから話を聞いたり、僕自身も谷川岳に行ったりして。アウトドアなんて全くしたことなかったから、付け焼刃で描いたんだけど、人気がバーンと上がった。だから編集長が人気のない他の漫画をみて「おい、〇〇を山に登らせろ、そうすれば人気が出るから」と言ったりして(笑)。

――でも、アウトドアって大人の趣味ですよね。よく少年誌であれがウケましたよね。

古谷:ダメおやじが釣りをやったのをみて、『ビックコミック』の編集の人が「視点を変えてこれをやったら絶対面白くなる」と言って、やまさき十三さんと北見けんいちさんに声をかけて『釣りバカ日誌』が出来た。だから「ダメおやじがあったから釣りバカが出来た、古谷さんのおかげだよ」と北見さんにお礼を言われた。でもそっちのほう有名になっちゃって、たくさん稼いで、映画もたくさん作られたんだから、すごいよね。

――『ダメおやじ』終盤はめまぐるしく展開を替えて、連載は1982年に終わります。

古谷:最後は本当に最下位のほうを低迷してましたね。もう頃合いかなあと。12年も続いた連載なんて、当時はそう無かったんですよ。でも、「こち亀」は最近まで続いていたからすごいですよ。あれは一生抜けないだろうね。秋本治さんの才能は半端ないなあと。

――僕は『ダメおやじ』の終わり方は好きなんです。3話くらいかけて、過去の登場人物たちがみんなダメおやじのパーティーに参加するために山に集まるっていう。今で言うフェスみたいな感じで。

古谷:ノッているときは、その世界に自分自身が入っちゃうからどんどんエスカレート出来たんですよね。

――後の『BARレモンハート』のマスターも『ダメおやじ』の後半で既に登場していて、最終回にも出てきます。