(t.kunikuni/Flickr)

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 西漢の頃、コウハ(130 BC-51 BC)という男性がいました。彼は幼い頃から勉学に励み、法家(諸子百家のひとつ)に精通していました。

 紀元前72年、カ・ホウセンという大臣が漢の宣帝(せんてい)の逆鱗に触れて捕まった時、カの一派だったコウハも一緒に捕らえられました。二人は投獄され、死刑を宣告されました。

 しかし、牢獄に繋がれても、コウハは学ぶことをあきらめません。コウハはカ・ホウセンに、五経のひとつである「書経」を教えてほしいと頼みました。カ・ホウセンは、我々はただ死を待つのみであるのに、なぜ勉学が必要なのかと述べ、コウハの頼みを断りました。

 すると、コウハはすかさず「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても後悔はない)」という孔子の言葉を述べました。そして、もう一度カ・ホウセンに教えを請いました。

 カ・ホウセンはその言葉を聞くと、コウハの向学心に感心し、書経を教えることにしました。

 一年後、中原(現在の中国のこと)で非常に大きな地震が発生し、6千人以上の死者が出る大惨事となりました。宣帝はそれを天罰として重く受け止め、すべての政治犯に恩赦を与えることにしました。

 まもなく、コウハとカ・ホウセンは無事に釈放されました。その後、コウハは潁川郡(えいせいぐん)の長官に就任し、思慮深く冷静な判断力で、よくその地を治めたと伝えられています。

(翻訳編集・郭丹丹)