『ヒトラーの描いた薔薇 (ハヤカワ文庫SF)』ハーラン・エリスン 早川書房

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 エリスンの邦訳短篇集はこれで三冊目。一冊目の『世界の中心で愛を叫んだけもの』から二冊目の『死の鳥』(→2016年8月書評)刊行までじつに四十三年もかかったのに、三冊目の本書は一年も経たずの刊行だ。じつは雑誌に訳出されたまま埋もれていた作品がかなりあり、それが蔵出しされたのである。『死の鳥』によってエリスンへの注目が集まっていただけに、絶好のタイミングといえよう。

 凝った表現と複雑な構成の作品が多かった『死の鳥』に比べると、『ヒトラーの描いた薔薇』はストレートな作品が多い。とはいえ、エリスンの作品なので、発想やガジェットではなく、情念や表現の強度で読者を引きこむ。

 表題作の冒頭と結末では、地獄の扉のそばでヒトラーがフレスコ画に取り組んでいる。ヒトラー本人はなんら積極的な役割を果たすわけではないが、不似合いな場所で美を創造する姿が象徴的意味を持つ。無数の凶兆が顕現したとき、ヒトラーの脇を通って多くの亡者が地獄から脱走した。そのうちのひとりマーガレットは、自分の処女をうばった男ヘンリーに会うため天国へはいあがる。ヘンリーは狂気に駆られて殺人を犯した。そんな男が天国に行っているのに、無実のマーガレットがなぜ地獄へ送られたのか? 

 神のしわざはときに理不尽だ。エリスンはそれに反発し、その情動がしばしば暴力的に表出する。本書に収められたなかでは、「バジリスク」や「血を流す石像」が凄まじい破壊と混沌の物語だ。

「ヒトラーの描いた薔薇」のように怒りを内向させるにせよ、「バシリスク」「血を流す石像」のように爆発させるにせよ、理不尽は解決しない。だからといって、人間は諦めることも逃げることもできない。とくに1960〜70年代、エリスンの作品が若い世代から圧倒的に支持されたのも、その屈託ゆえだ。そのあたりの事情は、本書巻末の大野万紀さんの解説に詳しい。キーフレーズをピックアップすると〔成熟とか大人とか、エリスンには似合わない〕〔いつも大声で怒鳴っている〕〔カリスマ的存在〕。

 ある世代の読者にとって、エリスンは若いころの記憶とつながっている。本書の解説も、エリスンが編集した伝説的なアンソロジー『危険なヴィジョン』を起点として、大野万紀さん自身の若いころのファン活動の話題へ発展していく。


 脱線ついでにもうひとつ。大学を出てもSFから離れられず、KSFAというグループで海外SFをがんがん紹介していた。その中に、半分しゃれだが、『現代SF全集』なんて企画があり、仲間たちとガリ版刷りで海外SFの翻訳短篇集を五冊くらい出したはず。そのなかにエリスンの短篇集もあった。
(略)なお、このKSFA版『現代SF全集』には月報もついていて、SFファン活動の楽しさが伝わってくる。水鏡子による「エリスン=ブラッドベリ論」なんてものも載っていた。着眼点は面白いが、いま読むとあまりにもとんでもない内容なので、ここでは触れないでそっとしておこう。


 といった具合。そんな昔のことなんてどうでもよいよ、というなかれ。そうした「ファン活動の楽しさ」に支えられ、いつの時代もSFは実るのだ。たんなる昔話ではなく、これは歴史的資料である。

 さて、読者のみなさんが気になるのは、「エリスン=ブラッドベリ論」だろう。ぼくは万紀さんのような紳士ではないので、さっさと紹介してしまう。

 水鏡子さんの文章は「ブラッドベリからエリスンへ」と題されている。とくに重要なのは、〔エリスンもブラッドベリも、その本質はSFにはない。しかし、彼らの魅力が十二分に発揮されるのはSFという場においてなのだ〕という指摘だ。また、ふたりの共通点として、根っからのSFファンなのに科学には興味がないこと、乱作を経てキャリアを確立したこと、映画界との深いつながり、プライドの高さ、そしてなによりも自分をつくりあげた環境への愛着があげられている。

 こうやってあらためてみると、なかなか妥当な主張にも思える。もちろん、エリスンとブラッドベリでは、小説技巧も拠って立つモラルも大きく違う(後者については水鏡子さんもきちんと指摘している)。しかし、作品に表出される「自分と世界の関わりかた」は、よく似ている。

 水鏡子さんに対抗するわけではないが、ぼくもひとつ珍説をご披露。「エリスン=平井和正説」というのはどうでしょう。

 世の中の理不尽に対するストレートな怒り。激しい暴力性と背中合わせになったロマンチシズム。あらゆる体制のアウトサイダーでありつづける意志。独自な神話への指向。そしてなによりも、アイデアや筋立てだけを抽出すれば平凡な物語なのに、情念のボルテージで特異な領域へ繰りあがる作風は、両者に共通している。

 たとえば、本書収録の初期作品「ロボット外科医」では、正確な医療を追求するあまり、患者や医療従事者の感情がスポイルされるさまが描かれている。語り手はいう〔やつらがぼくの人間性をうばい、ぼくの生命をうばったから。だからぼくはやつらを憎む〕。叩きつけるような憤怒がここにある。「恐怖の夜」と「死者の眼から消えた銀貨」は、人間の宿痾ともいえる差別意識を扱った作品だ。まさに、平井和正がいう「人類ダメ小説」ではないか。

 平井作品ではしばしば、心の奥底に潜む衝動が獣や怪物となってあらわれる。エリスンも代表作「世界の中心で愛を叫んだけもの」をはじめ、狂気や欲望に駆られる存在が描かれる。本書の巻末を飾る「睡眠時の夢の効用」では、主人公ロニー・マグラスの脇腹に小さな鋭い歯がぎっしり詰まった大きな口が開き、そこから烈風が噴きだす。友人をたてつづけに亡くしたことが、この異常事態と関係しているのだろうか。医者にかかっても、脇腹に口などないといわれるばかり。思いつめたマグラスは、セラピストの紹介でオカルトめいた謎の集団を訪ねる。そして、催眠施術の最中に惨劇が起きた。

「睡眠時の夢の効用」は本邦初訳。本書のなかではもっとも新しい作品(1988年発表)のせいか、エリスンにしては暴力性がいくぶん抑えめで、「鋭い歯が詰まった口」の解釈も読者ひとりひとりに委ねられ、余韻のあるエンディングとなっている。

 これよりあとに書かれたエリスン作品も読んでみたい。四冊目の短篇集をぜひ!

(牧眞司)