『「帝王学」がやさしく学べるノート』伊藤 肇 (著)プレジデント書籍編集部 (編集)プレジデント社

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■【帝王学に3つの柱】

この「帝王学」には、以下に記すような3つの柱があります。

今回はその3本の柱を紹介するとともに、第1の柱である原理原則とそれを教えてくれる師について紹介します。

(1)原理原則を教えてもらう師をもつこと

これが第1の柱です。

では、原理原則とは何でしょうか。昔は通用したが、今では通用しないという考えでは、原理原則としての価値はありません。いついかなる時代にも、どんな場所でも通用するのが原理原則の原理原則たるゆえんであり、それを教えてくれる師をもつことです。

(2)直言してくれる側近をもつこと

第2の柱の好例には、蒙古の英雄・ジンギス汗の側近・耶律楚材(やりつそざい)がいます。

ジンギス汗がややもすると武力万能を主張するのに対して、高度な文化への関心と敬意の必要性を説き、蒙古自身も高い文化をもつように直言します。そして、「せっかく武力で征服したというものの、この金国を完全に支配することはできません。いや、それどころか、いつかは蒙古が金国に吸収され、逆に金国によって支配される破目となりましょう」とまでいいました。そして、「武力で天下をとることはできる。しかし、武断政治では天下は治まらない」という名言を残しました。まさに名側近の姿がここにあります。

(3)よき幕賓をもつこと

「幕賓」(ばくひん)とは、出仕することを好まず、一種の浪人的風格と気骨をもった人物のことで、現在で例えるなら、「顧問」「社外重役」であり、「パーソナル・アドバイザー」のこと。中国の代表的な兵法書『六韜三略』(りくとうさんりゃく)に、帝王たるもの、一流の幕賓を得るためには爵禄(地位とお金)を惜しむな。かといって、爵禄で釣ろうなどと思ってはいけないと書かれています。矛盾しているようだが、これが幕賓に対するけじめであり礼儀だったのです。

それだけに、幕賓が何人いるかが、帝王の器量をはかるメルクマール(指標)となっていました。

■【原理原則とは「偉大なる常識」である】

『列子』の中には有名な問答があります。

楚の荘王がひとりの賢人に、国を治めるにはどうすればいいかを聞くと、賢人は身を治めることは知っているが、国の治め方は知らないと答えます。「国を守る方法を学びたい」と重ねて問う荘王に、賢人は次のように答えます。

「君主が身治まって、国乱れたものを聞いたことがありません。また、身乱れて国が治まったことも聞いたことがありません。もとは身にあります」

つまり、上に立つ者が身辺清浄で正しければ、ことさら命令などしなくても、すべて上の思うように実行される。しかし、その身が正しくなければ、いくら命令しても部下たちは従わない。その結果、国は乱れ国家滅亡の危機に瀕することになります。これこそが、いかなる時代・場所でも通用する原理原則ですが、これをきちんと理解し実践できる人間は、意外に少ないものです。だからこそ「偉大なる常識」といわれているのです。

■【当たり前のことを当たり前に】

竹内実の著書『毛沢東の生涯』に、毛沢東が人民軍にたたき込んだ「三大規律」と「注意八項」について書かれています。以下に示します。

“三大規律”
一、一切の行動は指揮に従う。
二、大衆から釘一本、糸一筋もとらない。
三、鹵獲(ろかく)品=戦利品はすべて公のものとする。

“注意八項”
一、話はおだやかに。
二、買物の支払いは公正に。
三、物を借りたら返す。
四、物をこわしたら弁償する。
五、人をなぐったり、どなったりしない。
六、農作物を荒らさない。
七、婦人をからかわない。
八、捕虜をいじめない。

以上、すべて常識的なことですが、殺気だった戦場では、守ることが難しいといいます。毛沢東がいかに「愛される人民軍」つくるのに苦労したかがわかります。

※本連載は『帝王学がやさしく学べるノート』からの抜粋に、修正・補足を加えたものです。

(プレジデント社書籍編集部編)