第70回:浅田真央

先の春場所(3月場所)では負傷により、休場を余儀なくされた横綱。
そんな中、見事に賜杯を手にしたのは、新横綱の稀勢の里だった。
そのドラマチックな優勝劇と、先日引退を発表したフィギュアスケート界の
“スーパーヒロイン”浅田真央選手について、横綱が語る――。

 新横綱・稀勢の里が誕生し、4横綱時代に突入した大相撲界。その分、先の春場所(3月場所)には、私も意欲満々で臨みました。しかし初日、小結・正代に突き落としで敗れると、4日目にも前頭筆頭の勢に敗戦。右足の指のケガが悪化したこともあって、5日目から休場することになってしまいました。

 4日目の朝も、稽古場では普段どおりの稽古ができていましたし、久しぶりに4横綱がそろったこの場所で、ファンのみなさんにはできれば最終盤まで横綱を中心とした優勝争いをお見せしたいと思っていました。それだけに、私としても苦渋の決断でした。本当に申し訳ありませんでした。

 さて、その春場所。大きな期待を背負っていた稀勢の里は、その期待どおり、12日目まで全勝と突っ走っていました。ところが、13日目の横綱・日馬富士との対戦で黒星を喫し、その際に肩を痛めてしまいました。

 そして、出場も危ぶまれた14日目。稀勢の里は痛々しいテーピング姿で強行出場するも、横綱・鶴竜相手に為すすべなく、2敗目を喫してしました。もはやこのときは、手負いの稀勢の里と千秋楽で対戦する、1敗の大関・照ノ富士の優勝は決まったも同然と思われました。が、千秋楽で稀勢の里は圧巻の相撲を見せました。

 この日も左肩にテーピングを巻いた状態でしたが、本割では突き落としで照ノ富士に勝利。見事2敗をキープして優勝決定戦に持ち込むと、今度は小手投げで照ノ富士を破って、なんと2度目の優勝を決めたのです。

 あまりにも劇的な優勝に、私も驚くしかありませんでしたね。厳しい状況を打ち破って土俵上に立つ稀勢の里の堂々たる姿に、ただただ感服させられました。

「横綱の器を持つ男」と言われ続けていた大関時代の稀勢の里。彼がもうひとつ上を極められない理由を問われると、私は彼の”精神面”を挙げていました。実力が申し分ないのは誰もが認めるところでしたが、横綱を狙う気持ちがほんの少しだけ欠けているように思えたからです。

 けれども、初場所(1月場所)で初優勝を飾って、その後の横綱昇進を機にして、彼は間違いなく変わったように思います。

 横綱は責任のある立場です。かつて、長い間ひとり横綱を務めていた私は、常に「(横綱の自分が)休んではいけない。自分ががんばらなければいけない」という気持ちでいっぱいでした。もちろん、今も変わらぬ気持ちでいますが、その重圧は相当なものでした。

 この春場所、私が途中休場し、鶴竜、日馬富士と他の横綱も調子が上がらない中で、稀勢の里は「自分ががんばらなければいけない」という気持ちを強くしていったのではないでしょうか。賛否はあるかもしれませんが、それが14日目の強行出場、千秋楽の大逆転劇へとつながったのだと思います。

 横綱の強さを見せつけた稀勢の里の活躍は、先輩横綱として頼もしく感じましたし、私も改めて「がんばらなければいけない」という気持ちが強くなりましたね。

 春場所が終わると、春の巡業が行なわれました。私はその前半を休ませていただいて、母国モンゴルでケガの治療に専念していました。

 その間、ヨガに取り組んだり、軍隊向けのトレーニングをしたり、結構ハードなリハビリメニューをこなしていたんですよ。今回はモンゴルでも所用に追われることなく、そうやってリハビリに専念できたことで、体だけでなく心も洗われた感じがします。

 そのおかげで、4月17日の靖国神社奉納相撲から春巡業に帯同。巡業の稽古では、宇良など若手力士に胸を出すこともできました。

 そうしたときに飛び込んできたのが、長年フィギュアスケート界を引っ張ってきた、浅田真央選手引退のニュースでした。


浅田真央選手の引退について語る白鵬 彼女のことについて、一番印象に残っているのは、やはり2014年のソチ五輪でのフリーの演技です。

 これまで、見ている人をあれほど惹きつける演技があったでしょうか。さらに演技を終えた瞬間の、彼女の何とも言えない表情……。努力に努力を重ねた者にしか浮かべることのできない表情だった――私には、そんなふうに見えました。

 その後、1年間の休養を挟んで復帰。次の五輪を目指していたのでしょうが、もしかしたら彼女は、彼女の代名詞であるトリプルアクセルを、自信を持って跳べなくなってしまったのかもしれません。

 ともあれ、現在26歳の彼女は、2006年の全日本選手権で優勝しているんですよね。つまり、その時点で日本一の選手です。それから、2008年には世界選手権で優勝し、2010年のバンクーバー五輪では銀メダルを獲得。前述のソチ五輪で2度目の五輪出場も果たしました。その間、全日本選手権では2006年から2015年までの10年間(2014年は休養中)で6度の優勝を飾って、世界選手権でも3度頂点に立っています。

 実に10年もの間、彼女はトップを張ってきたんですよね。そういう意味では、引退のタイミングは常に考えていたのではないでしょうか。

 私も同様です。彼女の引退を聞いて、22歳で横綱に昇進したときのことを思い出しました。

 横綱という地位は、一度昇進したら降格はありません。要するに、後戻りはできないわけです。結果が伴わなければ、辞めなければいけないという厳しい地位です。

 ですから、当時の私は一日、一日を、横綱として務めることで精一杯でした。5年後の自分を思い描くこともできませんでした。25歳になったときでも、「きっと、29歳か30歳ぐらいで引退するんだろうな……」と漠然と考えていたくらいです。それからすると、32歳になった今でも現役を務めているということは、自分でも不思議なくらいなんですよ。

 彼女の10年間も、苦しいことの連続だったと思います。それでも、リンクを降りたときでも、まるで苦労などしていなかったかのように、常に明るい笑顔を見せてくれていました。

 そんな折、私が新横綱となる場所前に受けたインタビュー記事を、改めて目にする機会がありました。そこで、私はこんなことを言っているんです。

「横綱は土俵では強く、土俵の外ではみんなに優しくしなきゃね」

 ちょっと驚きましたね。あまり公言していないのですが、実はこれが私の心の中のモットーだからです。

 土俵とリンクの違いはあっても、真央さんも同じ思いで、だからこそ、彼女は多くの人々に愛されたのでしょう。引退発表の際にもさわやかな笑顔を振りまいていた真央さん、長い間、本当におつかれさまでした。

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