自由民主党 衆議院議員 吉野正芳公式サイトより

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「まだ東北で良かった」発言で辞任した今村復興相の後任に、安倍首相は自身の出身派閥である「清和会」所属で、福島県いわき市出身の吉野正芳衆院議員を起用した。吉野復興相は26日、「私も被災者だ。被災者の気持ちはどなたよりも理解できる」と語り、被災地選出議員であることを強調した。

 だが、ほんとうにそうなのか。実は、吉野復興相の過去の発言や行動を検証してみると、被災地によりそっているどころか、東京電力などの原子力ムラの代弁者としか思えないのだ。

 たとえば、原発事故が起こってわずか約1カ月半の2011年4月29日、吉野議員は衆院予算委員会で "原発事故の責任を東電に負わせるな"と発言していた。

「原賠法の一番最後、天変地異、こういう莫大な災害が起きた場合に、もう東電の責任云々かんぬんを無視して全部国が見る、こういう規定になっているんです。連帯責任を認めたならば、一義的に東電、何でもかんでも東電、窓口にしろ、そうじゃなくて、国が窓口になってください」

 じつは吉野議員がこう発言する前日、東京電力の清水正孝社長(当時)もまた、この原子力損害賠償法の免責規定について「私どもとして、そういう理解があり得ると考えている」「資金繰りは厳しい。国の支援をたまわればという思いだ」と言及していた。吉野議員の国会質疑は、清水社長と足並みを揃えるかのような発言だったのだ。

 露骨なまでの電力会社擁護──。吉野議員のこうした姿勢は、この発言だけに留まらない。吉野議員は2014年に原子力規制委員会のあり方などを検討する自民党「原子力規制に関するプロジェクトチーム(PT)」座長に就任。原発事故後、野党だった自民党は原子力規制委について、政治と距離をとって独立性を高めるべきだとしてきたが、与党に返り咲くと一変し、この「原子力規制に関するPT」でも原子力規制委に対して「(電力会社などとも)コミュニケーションを深めること」と要求しはじめた。そんななかで座長の吉野議員は、地元紙のインタビューでも「組織の独立性を守ろうとするあまり、外部関係者の誰とも会おうとしない。最悪の状態だ」(福島民報2014年9月30日付)と批判したのだ。

 また、吉野議員はこの「原子力規制に関するPT」に、「有識者」として、元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏や再稼働を目指す「原子力国民会議」の宮健三代表理事といった「原子力ムラ」の代表メンバーを招致。このあからさまな"原発再稼働ありき"の人選には、同じ自民党の河野太郎衆院議員が「原子力ムラが跋扈するヒアリングであってはならない」と苦言を呈したほどだ。

 さらに、昨年11月に吉野議員が九州電力玄海原発を視察した際には、「玄海に関しては一生懸命やっているという印象。新基準はクリアして当然だと思う」とお墨付きを与え、先日24日、佐賀県の山口祥義知事も3・4号機の再稼働に同意した。しかし、原子力規制委の判断に対しては、学識経験者らからも「事故時の住民避難を審査対象にしていない」「基準地震動の設定値に問題がある」などの疑義が呈されている。

 原子力規制委への圧力と介入を強め、安倍首相を筆頭に原発再稼働に向けた動きを加速させる。いわば吉野復興相は、事故後まもない時期から電力会社を擁護し、再稼働を推進するために"尽力"してきたのである。

 前述したように、吉野復興相の地元はいわき市であり、2012年の解散総選挙で比例中国ブロックに鞍替えした以外は福島5区、福島3区もしくは比例東北ブロックと東北から出馬してきた。とくに直近の総選挙で当選を果たし本来の選挙区である福島5区といえば、福島第一原発のある大熊町や双葉町をはじめ、楢葉町、富岡町、浪江町、川内村などといった原発事故によって甚大な被害を受けたエリアにあたる。

 しかし、吉野議員が目を向けていたのは、被災者の暮らしではなく、復興ムードの「演出」のほうだった。たとえば、ほぼ全域が福島第一原発から20キロ圏内の楢葉町は2015年9月に避難指示が解除されたが、これは全域避難した町村で初の避難指示解除となった。この"早期解除"の決定には当然、「除染がいきとどいていないのでは」「棄民政策だ」と不安や怒りの声があがっていたが、吉野議員は毎日新聞の取材に対し、こう明言している。

「楢葉町の解除にはルールを変える政治決断が必要だった。他の自治体にとってもずるずる解除が延びるより期間を区切った方が自立につながる」(毎日新聞2016年3月8日付)

 この吉野議員の発言通り、楢葉町の早期解除が先鞭を付け、今春には一部の帰還困難区域を除き9市町村で避難が解除された。しかし、解除されたなかには除染も進んでおらずいまだ高い数値を示す場所もあり、実際は帰還できるほど安全な状況になっていない地域も多い。にもかかわらず、国は年間線量が20ミリシーベルト以下になったことを根拠にこれらの地域から避難指示を解除したのだ。言っておくがこれは通常の被曝限度である年間1ミリシーベルトの、実に約20倍の数値だ。

 吉野議員は2013年、当選を果たした中国地方の地元紙で、こう語っていた。

「私は原発が大好きな人間だった。好きだから良くしたいという思いで、原子力安全・保安院(当時)の経済産業省からの分離・独立を訴えてきた。それが実現できないまま事故が起きた。もう福島に原発はいらない。40年廃炉のルールを厳格に守り、新規立地は認めるべきではない」
「線量が高い地域の人々には、本当のことを言わないといけない。「ごめんね。あなたの所は帰れないよ」と。それが政治の役割だ。自民党は近々やる」(中国新聞2013年2月8日)

「原子力安全・保安院の分離・独立」を訴えながら、その後継である原子力規制委に介入する。「福島に原発はいらない」と言いながら、再稼働は推進する。
そして復興の演出のためには、線量など住民から不安の声があがる地域へも帰宅を促し、支援を打ち切っていく。──なんという二枚舌だろう。

 ようするに、この大臣は原発事故の直後、責任逃れのために一時的に「原発はいらない」などと主張したが、本人の言う「原発大好き」という本質は何も変わっていなかったのである。そして、安倍政権が再稼働と避難住民の強制帰還、支援打ち切りを打ち出すと、嬉々としてその政策に乗っかっていく。

 そういう意味で、吉野大臣は選挙区のことを考えて「東北で良かった」などと口にしないとしても、「棄民」大臣であることには変わりはない。

 ちなみに、吉野大臣は、2003年に有事法制三法案が審議されていたとき、「自民党の部会で、小学校単位の新しい『隣組』制度をつくるという話が出た」などと言い、戦時体制時の監視組織の復活を言い出したこともある。

 結局、安倍首相が閣僚に選ぶのは、こういう輩なのである。
(編集部)