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第4位 フォード・コンサル・クラシック(1961年)


105E型アングリアがバーミンガムのフォードR&Dセンターで開発されていたのとほぼ同じ頃、それとは別にロンドン近郊のダグナム工場が100E型の後継車を模索。105E型より上級モデルとして、1961年にコンサル・クラシックを送り出した。

第3位 マツダ・キャロル(1962年)


東洋工業(現マツダ)が1962年に発売したリア・エンジンのキャロルは、同社にとって初のセダンであり、日本の軽自動車カテゴリーを席巻するほどの人気を博した。全長3mながら、「クリフカットのリア・ウインドウ」(当時マツダはそう称した)のおかげで4人が乗れる室内スペースを実現。とくに4ドア仕様はミニチュア・セダンの傑作となった。1970年8月まで販売され、総生産台数は26万5226台。うち8800台が62年から2年間だけ生産された上級モデルのキャロル600だった。

第2位 フォード・アングリア(1959年)


英国を代表する後傾リヤウインドウ・デザインが、105E型のアングリアだ。不動の人気を築いていた100E型の後継車として、コストダウンを図るべく105E型の開発がスタート。原価の安いフラット・ガラスのリア・ウインドウを採用する方針が後傾リア・ウインドウをもたらしたわけだが、同時にそれはルーフラインを軽やかに見せ、フォルム全体をボクシーにしないための工夫でもあった。最終デザインは米国フォードから転勤してきたデザイナー、エルウッド・エンジェルの影響が色濃いとされる。



第1位 シトロエン・アミ6(1961年)


シトロエン2CVと同じ2400mmのホイールベースの上に、3ボックスに見えるエレガントなセダンのプロポーションを与えることができるか、という問いに、当時のシトロエンのチーフ・デザイナー、フラミニオ・ベルトーニが出した答えが特徴的な後傾リア・ウインドウの採用だった。彼はピニンファリーナが1955年のジュネーブ・モーターショーで披露したフィアット600ベースのプロトタイプを見て、後傾ピラーの可能性に気付いたという。残存するスケッチによれば、後傾ピラーに湾曲したリア・ウインドウを組み合わせる案も検討したようだが、それではコストがかかるし、プラスチック製のウインドウにでもしないと重量も嵩んでしまう。結果的にベルトーニは安価なフラット・ガラスを選んだ。

まだある後傾リア・ウインドウ

ピニンファリーナ・フィアット600(1955年)

1955年のトリノ・ショーで、ピニンファリーナがフィアット600をベースとする後傾リア・ウインドウのクーペを披露。ベルトーニはこれに触発されてアミをデザインしたと言われ、英国フォードのボスだったパトリック・ヘネシー卿もこのデザインに目を奪われたとされる。

パッカード・プレディクター(1956年)

ギヤが製作したコンセプトカー。”ロケット時代”を映し出すように、プレディクターは突き出した縦長グリルやコンシールド・ヘッドランプ、テール・フィンと砲弾型のリア・バンパー・オーバーライダーなどの未来的なスタイル要素を多用し、そこにさらに後傾リア・ウインドウを組み合わせた。サイド・ウインドウの上のパネルはスライドして開閉し、背の低いボディの乗降性を改善する。

マーキュリー・ターンパイク(1956年)

ターンパイク・クルーザーは57年型でモデルチェンジしたマーキュリーの最上級モデル。後傾リア・ウインドウを開閉式にした最初の量産車であり、ウインドウの中央部が電動チルトする。マーキュリーはこれを「ブリーズウェイ・ウインドウ」と呼んだ。58年の打ち切りまでに8305台が生産された。

エルヴァ・クーリア MkII(1960年)

クーリアはMkIIになって世間に認められる存在となった。当初はソフトトップ仕様だけだったが、60年に後傾リア・ウインドウを持つクーペを追加。しかしあまり売れなかったため、62年にMkIIIに進化した段階でクーペはオーソドックスなファストバックに改められた。

フォード・ラ・ギャラクシー(1958年)

エルウッド・エンジェルがデザインし、58年シカゴ・モーターショーで披露されたコンセプトカー。丸い大きなクロームベゼルの奥深くに埋め込んだヘッドランプ、ベルトラインをステップアップさせたピラーレスのグリーンハウスなど、かなり奇抜なスタイルだ。もちろんリア・ウインドウは後傾している。

GSM デルタ・クーペ(1959年)

GSMは58年に南アフリカで創業した小さなスポーツカー・メーカー。その最初の製品であるダートは英国でも生産され、デルタの名で売られた。エンジンはフォード・アングリア用。当初はオープンだけだったが、後に後傾リア・ウインドウのハードトップも用意した。ちなみに1962年にラインナップに加わったフラミンゴはファストバック・クーペである。

ボンド・ミニカー・タイプG(1961年)

ボンド・ミニカーは1949年に誕生した3輪コミューター。その最終進化型が1961年9月デビューのタイプGである。ボディはオール・グラスファイバー製となり、後席居住性を稼ぐために後傾リア・ウインドウを採用。長いルーフはそれまでのタイプfのエステート/バンを連想させる。

スズライト・スポーツ 360(1961年)

当時のスズキのスズライトはボクシーなスタイルの前輪駆動車だったが、1961年の東京モーターショーに出品したスズライト・スポーツはリア・エンジン・レイアウトを採用した後傾リア・ウインドウのクーペ。「最高速120km/hの4人乗りスポーツカー」と謳った。生産化には至らなかったが、これが後のフロンテの伏線になった。

サブラ・キャメル(1963年)

キャメルはイスラエルのオートカー社の最初の乗用車。開発にはリライアントが協力し、リーガルのリア・スタイルを移植した。しかし評判が芳しくなかったため、1年も経たないうちに写真のコンベンショナルなノッチバックに変更された。

リンカーン・コンチネンタルMk VIII(1957年)

ライバルのキャデラックを凌駕すべく、ボディ・サイズと室内の 広さでそれを超えるクルマとしてリンカーンが58年型で送り出したのがMk VIIIだ。全長5.8mのボディはフロント・フェンダーに「ポッド」と呼ぶ出っ張りを設け、4灯式ヘッドランプを斜めに配置するなど、いささか煩雑なスタイル。後傾したリア・ウインドウは開閉可能だ。独立した車種というより、コンチネンタルの最上級モデルとして販売された。

ピニンファリーナ・アルファロメオ・イーグル(1975年)

当時のピニンファリーナのチーフ・デザイナー、アルド・プロヴァローネがアルフェッタをベースにデザインし、75年トリノ・モーターショーで披露されたワンオフの習作。アメリカの安全規制強化でオープンカーの存続が危ぶまれていた時代に、ロールバーを巧く活かすデザインを提案した。後傾したロールバーにはリア・ウインドウが嵌め込まれている。