@AUTOCAR

写真拡大 (全13枚)

ブガッティEB110で北イタリアを目指し、それが生まれた工場を訪ねる聖地巡礼のドライブ。ミック・ウォルシュがこの4WDスーパーカーの魅力を探り、プロジェクトのキー・プレーヤーたちに話を聞く。

2台のブガッティEB110で里帰り

イタリア人は未来志向だが、われわれイギリス人はノスタルジアにふけるのが好きだ。エミリア・ロマーニャ地方で初めてブガッティEB110に試乗したのは、90年代前半のこと。私はその記憶を蘇らせながら、この300km/hオーバーの4WDスーパーカーを2台連ねて、生誕の地であるカンポガリアーノを目指した。マルーンのボディ・カラーは標準のGT、ブルーのほうはさらに希少な軽量バージョンのSS(=スーパースポーツ)だ。モデナの北西の平野を疾走するわれわれを見て、地元の人たちは見慣れぬ英国のライセンス・プレートに気付いたかもしれない。ロマーノ・アルティオーリが「ブガッティ・ブランドの再興」という夢を実現させた工場は、4年間で150台を生産しただけで95年に閉鎖された。そこに2台を里帰りさせるのが、今回のわれわれのミッションだ。

ブルーのSSはたった31台が生産されたなかの1台であり、アルティオーリが自分用に作らせたクルマだ。彼は工場を閉鎖する前に、プロジェクトの記念としてEB110を手に入れたかったのである。それをロンドンのディーラー、グレゴール・フィスケンが2013年にパリのレトロモービルのオークションで手に入れた。まだ走行1万4000kmほどで、€44万8900(7,630万円)だったという。縦置きミドシップの3.5ℓV12は、GTの561psから611psにパワーアップされた。フィスケンは今回の聖地巡礼に参加できなかったが、代理としてル・マンでも活躍したGTドライバーのサム・ハンコックを派遣してくれた。

カンポガリアーノに向けてGTを走らせるのは、ブガッティのテストドライバーだったトロンビ。それを現役レーサーのハンコックがSSで追いかける。

いままでEB110に持っていた悪い印象を改めよう

偉大なクルマをその生まれ故郷でドライブするというのは、何事にも代え難い経験だ。われわれは太陽が西に傾くまで、噛み締めるように2台を走らせた。「なんて素晴らしいクルマなんだ!」。まずは「よりソフト」なGTを試したハンコックが、熱っぽく語る。

「乗れば乗るほど、夢中になってしまうよ。これまで私にとって最高のスーパーカーはフェラーリF40だったけれど、このEB110に比べたら退屈に思える。跳ね上げ式のシザー・ドアは子供だましだし、4輪駆動は重量を増やして複雑化させるだけのものだと考えていたが、それを改めよう。街中でも驚くほどイージーに運転でき、その気になればパフォーマンスを爆発させることが出来る」

目的地に着く前に給油ストップ。艦載機の翼のようにドアを垂直に立てた2台のEB110は、スタンドの従業員の興味を誘ったようだ。すぐに4人が作業に取りかかり、クルマの左右にあるタンクに給油を始めた。ところがフィアットに乗ってきた女性は、われわれにまったく関心を示すことなく走り去った。V12のサウンドが静かすぎるからだろう、というのがハンコックと私の意見だ。

生まれ故郷の生産ラインに帰還を果たした2台のEB110。


「ドイツ向けにはスポーツ・エキゾーストが装着されていたが、1時間半も乗っていると耳が遠くなりそうな代物だった」と語るのは、自分のSSに乗ってわれわれを迎えに来てくれたフェデリコ・トロンビ。かつてブガッティでテスト・ドライバーを務めていた男だ。「カンポガリアーノの工場からモナコまで何度も往復したが、4基のターボがエンジンの音量を抑えてくれるおかげで、いつも疲れ知らずだった。トンネルの中で聞くターボ・サウンドは素晴らしかったけどね」

マルーンのGTは自動車ブローカーのサイモン・キッドストンのクルマだ。幸いなことに彼はイタリア語が堪能で、今は空き家の工場を管理している通称“エツィオ”に何度も電話して交渉。最後はサイモンの人間的な魅力が通じたのだろう。その日の午後遅く、別の仕事から戻ったエツィオが門を開けてわれわれを招き入れてくれた。当時のブガッティのメンバーは95年の閉鎖以来、誰もここに来ていない。それだけに、これは感動的な瞬間だ。「ここにいると、戦争が終わったのを知らずにジャングルに隠れていた日本兵のような気分になるよ」と、エツィオが冗談を飛ばす。彼は今、かつてアルティオーリが自宅にしていた屋敷に住んでいるという。

メインゲートには今も往時の社名が掲げられている。

いよいよ生まれ故郷へ

エツィオのフィアット・パンダに先導されてメイン・ゲートを通過。夕暮れ迫る工場と3台のEB110の取り合わせは、なんだかSFじみた光景だ。アウトストラーダA22号線から聞こえる絶え間ない騒音がV12のアイドリングをかき消すなか、雑草に覆われた連絡路を縫うように進むと、メインの建物を取り囲むようにレイアウトされたテスト・コースに出る。工場建屋の裏でヘッドランプに浮かび上がったのは、何匹も野ノウサギだった。

「クルマのテストが始まると、他の従業員に注意を促すためにサイレンが鳴り、建物の周囲の赤いランプが点滅したものだ」とトロンビが述懐する。ふと見ると、お馴染みのブルーの壁にブガッティのマークが……。VWが商標権を買い取ったときにペンキで塗りつぶされたが、あれから16年を経て塗料が剥がれ、赤地に白文字のオーバルが少しずつ姿を現してきているのだ。

当時としてはハイテクだった工場跡

警備員が旧組み立て工場のドアの鍵を開けると、トロンビは黙りこくった。天井のガラス越しに見える空は、ターコイズからオレンジへのグラデーションを描いている。かつて人々が希望を抱いて忙しく働いていた場所が、今や廃墟だ。ピットには瓦礫やオイル、水が溜まり、モニターは死んだまま。天井から吊るされた作業ユニットには、今も点検ランプや工具用のエア・コネクターが備わっている。窓の向こうに目をやれば、エンジン工場の壁に巨大な「EB」のモノグラムが見える。

「当時としては、とてもハイテクな工場だった」とエツィオ。「エンジンのテスト装置はエアコンの動力を兼ねていたし、使うオイルはすべて環境に優しい生分解性のもの。ロマーノはガーデニングが趣味だったから、敷地にはいつも花が咲いていた」

トロンビがここで働いていたのは20年近く前だが、最後の日のことは鮮明に覚えている。「土曜の朝、12人のチームでル・マン・カーの準備をしていたとき、メイン・ゲートがロックされた。われわれは塀を乗り越えて外に出たんだ。あれから今日まで、ここに来ることはなかった」

日が暮れて廃墟感がいっそう強まってきたなか、3台のEB110がゆっくりと歩を進める。無法者が侵入し、この奇妙な静寂をブチ壊していたとしても不思議はないだろう。しかし驚くことに、けっして豊かではない地方にありながら、工場は破壊や落書きを免れてきた。

モデナ近郊のスタンドで給油。2台で4つの燃料タンクがあるので、作業は4人がかりだ。

日の丸が壁に……

エツィオを説得して、懐中電灯を手に本社棟にも入らせてもらった。白い大理石の廊下の先は、かってタイプ35が展示されていたレセプション・エリア。書架の「Old Cars」や「Yachting」が埃をかぶり、訪問者記録の最後は95年7月だ。EB110の東京発表会(94年4月13日)を記念した日の丸の旗が壁に飾られている。壁のヒビは地震のせいだろう。円形のショールームに入ると、タイプ59のホイールをモチーフにした天井が印象的。片隅にはカゴ一杯のエスプレッソ・カップが洗わないまま放置されている。「エットーレ・ブガッティの胸像もあったのだが、盗まれてしまった」とエツィオ。「ロマーノはショールームで演説することがあったが、従業員の8割にとってそこは立ち入り禁止の場所だった」

GTに付けられた「EB」のモノグラム(組み合わせ文字)はエットーレの時代から受け継ぐもの。


2階には設計室があり、そこでの最後のプロジェクトはイタリア軍向けの4WDオフローダーだった。「設計室の仕切りはすべて可動式で、スタッフが月曜に出社するたびに部屋が大きくなったり小さくなったりしていた」。最上階のアルティオーリの執務室でわれわれが見つけたのは、モデナの銀行家の名刺だけ。エツィオがこう振り返る。「何年もの間、私はしつこい訪問者たちに煩わされてきた。そのなかにアルゼンチン人がいたのだが、後にそれがホラチオ・パガーニだとわかった。彼はゾンダを生産する場所を探していたのだ」

この記念碑的な施設を再活用する計画は、シルク工場にすることを含めていくつもあった。ローマの弁護士が格安で手に入れて今も所有しているが、将来はまだ決まっていない。在庫のシャシーやスペアパーツは、倒産時のオークションでモナコ・レーシング・チームのジルド・パストール(ヴェンチュリーの現オーナー)が買い取り、すぐにダウアーに転売。16台の20フィート・コンテナに詰めて、列車でドイツに送った。それを使ってダウアーは数台のEB110を生産している。

SSは31台だけ生産され、うち1台はアルティオーリのために作られたものだった。

当時のスタッフが活躍するBエンジニアリング

静かな田舎町に見えるカンポガリアーノだが、ブガッティとのつながりが完全に途絶えたわけではない。モデナに戻る前に、われわれは何の変哲もない倉庫のような建物に立ち寄った。そこはBエンジニアリングのワークショップだ。なんと6台のEB110が整列しているではないか! 数個のカーボンファイバー製のモノコック、5台分のスペアパーツもある。さらにロータス・エリーゼ、錆びたシトロエンDS、カウンタックのシャシーが並び、そして片隅にはゴールドのエドニスがある。EB110をベースにBエンジニアリングが後輪駆動に改修したクルマだ。「2000年のジュネーブ・ショーでこれを発表した。エンジンはSSのV12だが、4基のターボを大径のツイン・ターボに換えている」とBエンジニアリングの共同経営者、ジャン・マルク・ボレルが語る。ブガッティ・アウトモビリSpAでアルティオーリの右腕だった男だ。

EB110を生産した4年間で何がハイライトだったのか? ボレルに聞いてみた。「93年にドイツのアウト・モーター・ウント・シュポルトがスーパーカーの比較テストを掲載した。南仏にあるグッドイヤーのテスト・コースで、ミハエル・シューマッハがフェラーリF40、ジャガーXJ220、ポルシェ・ターボ、そしてわれわれのEB110を乗り比べるというものだったのだが、あれは特別な思い出だ。シューマッハはEB110をとても気に入り、自分用に買うことを決めたのだからね。彼がイエローのEB110を受け取りに工場にやって来たときのことも忘れられない。SSだが内装はGT仕様。この組み合わせは2台しか存在しない」

パオロ・スタンツァーニに遭遇!

EB110のオーナーから「作った人たちに整備してほしい」と頼りにされるBエンジニアリングで、もうひとつ私が目を奪われたのが、ヘッドを開けた状態で展示されていたV12だ。特徴的な5バルブやIHIのタービンが興味をそそる。「当時のマセラティもそうだったが、1段目のターボが過熱してオイルが結晶化する問題があった」とトロンビ。「そこで40台を生産した後、タービンをボール・ベアリング式に変更した。このおかげでタービンの回転の立ち上がりが速くなり、低速トルクを増やす効果も得ることができた。SSはすべてこのタービンだ」

その夜は、あるシークレット・ゲストとディナーを共にすることになった。名前を出せないのは、ブガッティの元従業員の間に今でも仲違いの記憶が残っているからである。われわれはエミリア通りにあるレストランに入った。家族経営の陽気な店だ。すると、驚いたことにパオロ・スタンツァーニがやって来たではないか! フェルッチョ・ランボルギーニの盟友であり、ミウラやカウンタック、そしてEB110を手掛けたエンジニア。77歳とは思えぬほど元気そうに見える。

インパネにウッドパネルをあしらったGTの豪華なインテリア。


フェルッチョは72年にトラクター部門を売却した後、自動車事業も手放さざるをえなくなった。「自動車ビジネスを失った彼は、生きる意欲もなくしていた」とスタンツァーニは振り返る。「しかし彼は再スタートを計画し、85年にそれを私に語り始めた。アルティオーリと会談を持ったのは、86年のジュネーブ・モーターショーから間もない頃のことだ。アルティオーリはそのプロジェクトにとても興奮し、フェルッチョに取り入ったのだが、彼の興味はフェルッチョの復帰ではなくカネだった」

結局、スタンツァーニは新会社に30%出資して開発部門を率いることになったのだが、アルティオーリの短気な性格と大きすぎる野望が彼を悩ませ続けた。

「われわれは大急ぎで最初のプロトタイプを作り始めたのだが、アルティオーリはガンディーニのデザインに不満だった。彼はいつも、もうひとつのランボルギーニを作りたいのではない、と言っていた。だから従兄弟で建築家のジャンパオロ・ベネディーニにデザインを手直しさせたのだ。私から見ると、スタイリングの個性が失われたと思う。彼らは昔のブガッティの要素を寄せ集めようとしたが、白紙からスタートするべきだったのだ」

561psを発揮するGTのV12ターボ・ユニット。

アルティオーリとスタンツァーニの衝突

それに、アルティオーリは純粋なビジネスマンではなかった。窮地に陥ると、とくに会社の価値に関わることではそうなのだが、はったりで切り抜けようとする。工作機械メーカーのマンデッリから出資話があったのに彼はそのチャンスを逃し、派手な工場建屋など、役に立たないことにカネを注ぎ込んだのだ。彼がフェラーリをボロクソに言い始めると、サプライヤーたちもだんだん神経質になった。彼は客を制限しようとさえ考えていた。血管に青い血が流れている人だけがブガッティに乗ればよい、とでも思っていたのだろう」

ふたりの意見が衝突した結果、スタンツァーニはブガッティを追われ、後任にはストラトスやF40を設計したニコラ・マテラッツィが就いた。「悪い終わり方になったのは残念だが、EB110には多くの『世界初』を盛り込むことができたし、あのV12は並外れたエンジンだと思っている」とスタンツァーニ。「友人だったポール・フレールは、EB110をベスト・スーパーカーと評価してくれた」

ディナーがほろ酔い気分で終わりかけた頃、スタンツァーニはテスト・ドライバーのボブ・ウォレスと一緒に行った公道テストなど、ランボルギーニ時代の楽しい思い出を熱く語った。「ブガッティの雰囲気とは正反対だった。ランボルギーニではディレクターもスタッフもお客さんも、同じ食堂でランチしていたほどだ」

リア・スポイラーは電動で盛り上がる。ライセンス・プレートの文字はパーフェクト。

名テスト・ドライバー、ビオッチと共に

翌日の午前中は試乗に集中した。というのも、カンポガリアーノの工場でロリス・ビオッチと待ち合わせて、彼がかつてクルマを評価するときに使っていたボローニャ西部のルートを案内してもらうことにしていたからだ。スーパーカーのテスターとして、ビオッチのキャリアは傑出している。ランボルギーニ(最終型カウンタックとディアブロ)に始まり、ブガッティやパガーニやケーニグセグを経て、現在はヴェイロンの主任テスト・ドライバーを務めている。

「ここで働いたのは、私の人生のなかでも最高の時期だった」とビオッチ。「目指すゴールが野心的だったし、マセラティやフェラーリ、ランボルギーニから集まった素晴らしい仲間にも恵まれた。刺激に満ちた環境のなかで、われわれはフローティング式のディスク・ブレーキから内製のABSまで、多くの新しいアイデアを開発したのだ。EB110は高速域で素晴らしく安定していた。ナルドで334km/hを出したとき、バルブの温度を示す計器に視線を落としたのを覚えている。それでもクルマは直進性を維持していた。あんな超高速で前方から視線を外すなんて、他のスーパーカーではできないことだよ」

そしてビオッチは「ロマーノは私にとって第二の父親のような存在だ」と続けた。「彼はちょっと尋常じゃないところがあったが、それは良い意味での話だ。ランボルギーニの同僚はブガッティに移った私を気でも狂ったのかと思ったらしいけれど、1号機のエンジンをプロトタイプに積んでテストし始めたとき、この決断が正しかったと確信したんだ。これまでにテストしたクルマはそれぞれ思い出深いが、1番はやはりEB110だね。あれほど特別な日々を過ごさせてくれたのだから」

対象的なインテリア

まずは工場敷地内のテスト・コースに向かい、ビオッチとトロンビがかつての仕事場を探索する。私はSSで彼らの後に続くことにした。GTのタンの革内装や木目パネルは、ドラマチックなシザー・ドアとは対照的に豪華すぎて拍子抜け。しかし無駄な装備を省いたSSのインテリアは、いい雰囲気だ。ブラックのダッシュボードが平凡なスイッチ類を目立たなくしてくれる一方、ポルトローナ製のシートはカーボンファイバーの骨格を持つ。センター・トンネルやサイド・シルは格子状にキルティングをした革でカバーされ、機能的なイメージだ。ナルディのスパルタンなステアリング、航空機スタイルのオーバーヘッド・スイッチ、真正面に見える10,000rpmまで刻んだタコメーターがインテリアのオーラをさらに強調している。パワーウインドウは備えず、GTでは電動格納式のリア・スポイラーも固定式。ルーム・ミラーの視界を邪魔するのだが……。その一方、軽量なSSにさえナカミチのカセットプレーヤーは標準装備である。

SSのインテリアはブラックのモノトーン。カーボンファイバー・シートやナルディのステアリングを備え、センター・トンネルとサイド・シルは格子状のキルティングを施した革でカバーされている。


「EB」のモノグラムを型押しした革製の飾りが付いたキーをコラムに差し込み、ひと捻りすればV12は瞬時に目覚める。アイドリングは静かだが、背後から聞こえるメカニカル・ノイズは小さくない。6速ギアボックスの手触りは低速ではやや引っ掛かり気味。暖まるのに時間がかかるが、だんだん短いレバーが滑らかに動くようになってくる。回転を合わせてダウンシフトすればさらに好感触だ。

クォーターピラーのエアインテークはチーズ削り器をヒントにしたデザイン。

まさにロケットのように次のコーナーへ

エンジンはトルキーかつスムーズで、低回転域ではエキサイティングというより洗練された印象。2段目のターボがドラマを演じ始めるのは、4000rpmを超えてからだ。サスペンションは350km/hカーには当然の硬さだが、ダンピングの効いた乗り心地は悪くない。大きな段差を乗り越えるときには異音が出るものの、速度を上げるにつれて完璧なフラット・ライドになってくる。

テスト・コースを数周するうちに、短い直線部分でもスロットルを床まで踏み付ける自信が湧いてきた。こうなるとEB110のパフォーマンスは異次元だ。爆発的なパワーの推進力と4WDの駆動力が相俟って、まさにロケットのように次のコーナーに向けて飛んでいく。低速ギアで加速する区間は限られているが、シートに背中を押し付けられる感覚には思わずニヤけてしまう。その後、郊外のオープン・ロードに向かうと、そこでは滑らかで安心感のあるパワー・デリバリーが印象的だった。F40の尖った感覚とはまったく対照的だ。トップ・エンドまで引っ張ればサウンドは独特の雄叫びに変わるが、ターン・インに向けてスロットルをオフにしたときに聞こえるウエストゲートのドラマチックな音はもっと興味深い。

さぁ、もう待ち切れない。もっと静かな環境でEB110のポテンシャルを探るべく、ビオッチの先導でモデナから南下してパブロ・ネル・フリニャーノを目指す。交通量が減るにつれ、ペースが上がってきた。ハンコックは真剣な表情でビオッチのGTを追いかける。ふたりの凄腕ドライバーがハイペースのランデブーを繰り広げ、丘の頂上に着いたところでコーヒー・ブレイクにした。

SSのリア・スポイラーはGTとは異なり固定式だ。

5000rpmから9000rpmまで続く加速

「4WDのおかげで、グリップはズバ抜けている。ブレークさせられるかと思って試してみたけれど、できなかったよ」とハンコック。「ブレーキングのときだけは、車重を意識しなくてはいけない。フローティング・ディスクの感触は、私の好みからすると剛性感が足りない印象だ。ステアリングの重さとレシオはパーフェクトだと思うが、ヘアピンでは舵角が大きくなるので操作が忙しい。タイト・コーナーでパワー・バンドから外すと素早く立ち上がるのが難しくなるが、ターボの回転を保つようにスロットル操作すれば並外れたパフォーマンスを味わえる。5000rpmから9000rpmまで続く加速は、まるでミサイルに縛り付けられたような感覚だ」

ハンコックは少年時代、自分の部屋にEB110のポスターを飾っていたという。しかし実物を見たのは今回が初めて。「本当に感動した。マクラーレンF1とこのEB110は、ひとつの時代の終わりを表しているのだと思う。それ以後はすべてがガジェットになってしまった」

現在のSSの市場価格が概ねマクラーレンF1と同等であることを考えれば、このイタリア製ブガッティの価値はかなり高いと言えそうだ。にもかかわらずF1ほど話題になっていないのは何故だろう? 理由をピン・ポイントで説明するのは難しいが、究極のスーパーカーを求める欲望の火に油を注ぐには、スタイリングがユニークすぎるし、エンジニアリングが賢明すぎるのかもしれない。ひとつ確かなのは、これを開発した人たちには溢れるほどの情熱があったということだ。

ブガッティEB110GT(SS)

■生産期間 1992-1995年 
■生産台数 123台 
■車体構造 カーボンファイバー・タブ + カーボン・ケブラー・ボディ 
■エンジン形式 オールアロイDOHC60°V12 3500cc IHIターボチャージャー 
■エンジン配置 ミド 
■駆動方式 4輪駆動 
■最高出力 561ps/8000rpm(611ps/8250rpm) 
■最大トルク 62.4kg-m/3750rpm(66.2kg-m/4250rpm) 
■変速機 6段M/T 
■全長 4400mm 
■全幅 1940mm(1960mm) 
■全高 1125mm 
■ホイールベース 2550mm 
■車両重量 1566kg(1570kg) 
■サスペンション ウィッシュボーン + コイル 
■ステアリング パワーアシスト付きラック&ピニオン 
■ブレーキ ABS装着ベンチレーテッド・ディスク 
■0-97km 4.5秒(3.1秒) 
■最高速度 340km/h(349km/h) 
■現在中古車価格 3,000〜4,000万円(6,300〜7,000万円)