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存知のように、ファッションとは移り気なものだ。最新の必須アイテムだったものが、次の大きな流行が来るとすぐに時代遅れになってしまう。しかし「逆反り」リア・ウインドウ、つまり後傾したリア・ウインドウほど短命に終わったトレンドが、他にあるろうか? まず50年代にコンセプトカーやデザイン習作に採用され、まもなく量産車に広まったにもかかわらず、主要車種では1962年に登場したいくつかの例を最後に使われなくなってしまった。

70年代を迎えてこれらの生産が終結すると、後傾リア・ウインドウは古臭いものと見なされるようになった。とはいえ、このアイデアが完全に死に絶えたわけではない。1975年にピニンファリーナがアルファ・ロメオのワンオフでそれを復活させたし、トヨタは2000年にレトロなコンパクト・カーにこのモチーフを採用した。

さらに2001年、シトロエンがクサラの後継車に後傾リア・ウインドウを使うという情報が出回ったが、ルノーの2代目メガーヌのスタイルを見たシトロエンは尻込み。ライバルの真似をしたと思われるのを避けて安全策をとり、C4はコンベンショナルなシルエットになった。しかしC4クーペの後傾したリア・ピラーには、アミ6のイメージを復活させたい意図が見え隠れするとも言えるのではないだろうか?

第10位 トヨタ・WiLL Vi(2000年)


21世紀に向けて後傾リア・ウインドウを復活させた唯一のメーカーがトヨタだ。同社は異業種と協業し、ライフスタイルに焦点を当てた「WiLLブランド”」を展開。その第一弾として2000年1月、日本専用車のWiLL Viを発売した。初代ヴィッツの1.3ℓをベースとし、ターゲットは20代から30代前半の女性。後傾リア・ウインドウに加えて、ビードを刻んだボディ・サイド、コラム・シフト、フロントのベンチシートなどを特徴とする。キャンバス・トップをオプションで用意し、さまざまなパステル・カラーのボディ色を揃えたが販売が伸びることはなく、2001年12月で打ち切りとなった。

第9位 シトロエン C60 プロトタイプ(1960年)


後傾リア・ウインドウがシトロエンのチーフ・デザイナー、フラミニオ・ベルトーニのお気に入りのモチーフだったのは明らかだ。そもそもアミは2CVとDSの間を埋めるクルマとして企画されたが、実際には2CVベースだからDSと距離がある。そこでシトロエンはアミとDSの中間に向けて、1960年にC60のプロジェクトをスタート。ここでもベルトーニは後傾リア・ウインドウを採用した。C60は空冷フラット4を積み、ハイドロニューマチックを装備。それが1962年、5ドア・ハッチバックの「プロジェクトF」へと移行したのだが、スタイルがルノー16に似ていることをひとつの理由として、これも67年にキャンセルとなった。改めて仕切り直した「プロジェクトG」から生まれたのがGSである。

第8位 トライアンフ・ゼブ・プロトタイプ(1958年)


後のトライアンフ2000につながるプロジェクトは、1957年に「ゼブ」というコードネームでスタート。1960年の発売を目指した。当初計画は独立式リア・サスペンション、トランスアクスルの前輪駆動、ピラーレス・ボディ、後傾リア・ウインドウといった野心的な内容だったが、ライバル・メーカーが同じようなリア・スタイルのクルマを発表するというスクープ記事が流れ、模倣批判を避けたいトライアンフは見直しを迫られる。スタイル変更が提案されたが経営陣はこれを承認せず、プロジェクトは棚上げとなって、1961年に「バーブ」のコードネームで再スタート。スタイリングにはミケロッティを起用し、24ヶ月という短期間で集中的に開発を進めた結果、1963年のロンドン・ショーでトライアンフ2000がデビューした。

第7位 パッカード・バルボア-X(1953年)


異論がなければ、このコンセプトカーこそが後傾リア・ウインドウが広まったきっかけだ。リア・ウインドウを額縁のように囲む「キャノピートップ」のデザインは、そこに雨や雪が付着して後方視界を遮るのを避けるためのアイデアだったとされる。しかもこのリア・ウインドウは開閉可能で、室内の換気に役立った。パッカードの広告コピーには、「(後席背後の)パーセルシェルフに置いたものが風で飛ばされる心配はない」と書かれていたが、後傾ウインドウゆえにそもそもパーセルシェルフがないので、これはいささか強引な宣伝文句と言うべきだ。

第6位 リライアント・リーガル(1962年)


Mr.ビーンで嫌われ者役となった3輪自動車、リライアント・ロビンのひとつ前のモデルがこのリーガル。英国では免許や税制面での優遇措置があったため、ある程度ポピュラーな存在だった。FRP製の小さなボディを有効に使うため、後傾リア・ウインドウを採用した。1962年から約10年間製造がされた。エンジンは、モーターサイクル用の600ccOHVを搭載。

第5位 アウトビアンキ・ビアンキーナ・クアトロポスティ(1962年)


自転車メーカーだったビアンキが自動車に進出するにあたり、ピレリとフィアットから出資を得て1955年に創立したのがアウトビアンキである。まずはフィアット500をベースとしたモデルで、リア・ウインドウの左右にピラーを延ばしたバットレス・スタイルなので分かりにくいが、リア・ウインドウを僅かに後傾させて後席ヘッドルームを確保したデザインが採用された。1968年までに約6万8000台が生産された。そもそもアウトビアンキはフィアットの底辺を拡大するための新ブランドだったが、売れすぎたために63年にフィアットに吸収されてしまう。