現役時代の北川哲也氏【写真提供:北川哲也氏】

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44歳を迎えた元ヤクルト北川哲也氏が続ける活動とは

 プロ野球の新シーズンが幕を開け、続いて東京六大学野球、東都大学野球でも熱戦が繰り広げられている。4年生にはプロ入りを目指しアピールを続ける選手のほか、卒業後の進路を考え、就職活動を行う部員たちもいる。そんな学生たちに、自らの経験を伝えアドバイスを送っている元プロ野球選手がいる。ヤクルトのドラフト1位右腕、北川哲也さんだ。

 千葉・暁星国際高時代に小笠原道大・現中日2軍監督とバッテリーを組み、2年夏の県大会で準優勝。その後、社会人の日産自動車を経て、1994年のドラフトでヤクルトの指名を受けた。5年間のプロ生活では36試合に登板。4勝5敗1セーブの成績で、1999年に引退した。

 以降、社会人野球のシダックスにも所属し、引退後は同社のカラオケ店にも勤務。そして44歳となった現在は、株式会社トレジャー・トレーディングで野球部の学生を対象にした就職支援を行っている。

 北川さんは、企業と学生たちが対話できるマッチングイベントを開催。開催時期をリーグ戦の合間にするなど、野球部の学生に特化した就職支援を行っている。忍耐力、継続力のある野球部の学生たちは、企業からも必要とされている人材だといい、これまで商社や不動産など、さまざまな業種に学生たちを送り出している。

 北川さんはなぜこのような活動を始めたのか。それは引退後にやりたいことが見つからず、転職を繰り返した経験があったからだ。

「何が出来るか悩み、転職も多く苦労しました。野球部の学生には自分の経験を参考に、転職のない、自分に合った人生を送って欲しいと思っています」

 北川さんは「プロ入りまでとんとん拍子に話が進んだため、引退後に自分に何ができるか全くわからなかった」と振り返る。

飲食店で成功する元選手は少数、「人脈だけでは仕事はできない」

「ヤクルトを戦力外になり、シダックスの話が決まったときは『まだ野球がやれるんだ』という気持ちしかありませんでした。でも、シダックスで契約をしてもらえなくなったとき、何をしていいかわからなくなり、戦力外を受けた時とまた同じ気持ちになりました。結婚して子供もいたので、何でもいいから仕事を探して、シダックスのカラオケ店の仕事を始めました」

 その後、3年ほどで退社し、転職を繰り返したという。

「いくらのものを売って、いくら利益が出るのか。経営を全く理解していませんでした。飲食を始める元選手は多いですが、ノウハウがわかっていないので成功する人は少ないですね。人脈だけでは仕事はできないと思います」

 高校を卒業後、日産自動車に入社した当初は「3年でプロに行けなかったら、会社を辞める」と決めていたという。

「今考えれば、プロに行けなければそのまま会社に残って働くのが1番だと思います。高卒で、日産のような大企業に入社できるなんてほとんどありません。でも、当時は先まで考えていませんでした。プロしか見ていなかったですね」

 そう振り返る北川さんは、社会人野球でのプレーを続けていこうとする学生たちに「夢をバッサリ切り捨てる言い方はできないが、現実もしっかり見て欲しい」と話す。

「社会人のチームは、自分たちの時は160ほどありましたが、今は80ほどしかありません。企業が野球のチームを維持するには、年間約3億円かります。不景気の影響でどんどんチームが減ってきています。『これがどういうことかわかるか』と学生たちには話しています。企業の採用も早くなってきているので、就職活動に乗り遅れると厳しくなってくる。内定はいくつあってもいいですから、野球をやりながら就職活動も頭の片隅に置いてほしいですね」

最近は安定志向の学生も増加、「野球のスタイルも違います」

 日大野球部で学生コーチを務めている石井辰哉さんも北川さんからアドバイスを受ける学生の一人だ。

「具体的な職種はまだ決めていませんが、営業の仕事を希望しています。野球はコミュニケーションが取れないとできません。学生コーチは、選手のちょっとした仕草や表情で、ケガをしていないか声をかけることがあります。野球で培った気遣いやコミュニケーション力を生かせればと思っています」

 3年の秋に選手から学生コーチに転身したという石井さんに、北川さんは「レギュラーになれないから退部するのではなく、学生コーチとして選手の役に立つ仕事を選んだ。途中で辞めずに、最後までやり通すことができる石井くんは、企業からも声がかかるはずですよ」と期待を込める。

 北川さんによると、野球を続けることにこだわる学生がいる一方で、最近は真面目で先を考え、安定志向の学生も多くなっているという。

「野球のスタイルも違いますね。昔はケンカ野球でしたけど、今は怪我をしないようにプレーしています。時代の違いでしょうか。大手に勤めれば、安定しているし両親の期待に応えられるかもしれない。でも勤めるのは自分です。自分に合った仕事を見つけてほしいと思います」

 週末には、コーチを務める東京都大田区の「城南ボーイズ」で子供たちに野球の楽しさを伝えている北川さん。学生たちに自らが味わった厳しい環境を伝えるだけでなく、野球の面白さも子供たちに教える第2の人生は、忙しい毎日のようだ。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki