ドラマはあくまでもフィクション、現実の話ではない。そう分かっているが、ドラマを見ていると「そんなわけあるかよ〜」と言いたくなるような、奇妙な描写も少なくない。

奇跡に近い偶然が連発していたり、登場人物がただの記号のような役目しか果たさないキャラクターでしかなかったり。結構気になることもある。(文:松本ミゾレ)

「夜中に神社、崖に呼び出されてのこのこ出ていく人」も理解不能

先日「ガールズちゃんねる」に「ドラマだから仕方ないけど気になること」と題するトピックが立っていた。投稿者は「呼ばれるのを分かっていたように振り返る人。偶然出会い過ぎ」と書いている。こういうのが気になりだすと、何から何までおかしいことばかりだという話になってくる。

しかし、不自然も度が過ぎると、視聴者としては突っ込みを入れたくなるのも無理はない。

今回は、このトピックに見られる、ドラマの気になる描写について、いくつか紹介していきたい。

「こんなにイケメン、美女ばかりじゃない!」
「目覚めてすぐキスをする」「急いでるのにタクシーに乗らず走る」
「夜中に神社、崖に呼び出されてのこのこ出ていく人。しかも自分を憎んでいる相手に」
「イケメンに好かれる」

こんな感じで「ああ、分かる分かる」と言いたくなる意見が目に付いた。

最近のドラマはドラマの中だけで成立する表現を使い過ぎ?

ドラマによっては、冴えないルックスの女性役に美人がキャスティングされているものがあるが、ああいうのを観ると本物のブスの視聴者の大多数は白けてしまうはず。本当のブスがモテないブス役として出演するドラマは視聴率が稼げないことは分かるけど、それにしても限度はある。

日常生活についても違和感がある。寝るときに化粧をしたままだったり、寝起きでキスをしたりなんてことは、そうそうない。

前者は肌に悪く、後者に至っては「おい、口臭とか大丈夫かよ、起床時の口腔内には最近がいっぱい……」と余計な心配をしてしまう。まあ、日常でも起こりうることをそのままなぞるだけなら、別にドラマにする必要もないので、ある程度の違和感は欠かせないものなんだろうけど。

それにしても、現実では絶対に起きるはずがない物語だからこそ、ドラマは成り立つのだろうか。ドラマとは一体、そもそも何なんだろう。ただの娯楽というだけのものには留まらない。

僕の好きな映画監督に、登場人物に「ドラマは常に真実を要求されている」と喋らせている人がいた。実相寺昭雄という人物だ。このセリフ、劇中の登場人物が、劇中劇を作るうえで漏らした些細な言葉である。

だけど作品を見ている視聴者は、現実とドラマの境界線を感じることができるセリフとして機能する。視聴者に「これはドラマだ」と認識をさせているわけだ。

他方で、今のドラマって、ドラマの中だけで成立するフォーマットを、無意識に使い過ぎているきらいがあるように思える。ドラマなのでドラマチックに描写をするというのは分かるけど、「これどっかで見たな」という部分が増え過ぎているように感じられるのだ。

ドラマはもう少しだけ、ドラマ臭さを抜いてもいいのではないだろうか。