おう・とうじゅん=’46年生まれ、東京都出身

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海外情報クイズの先駆けとして一世を風靡した「なるほど!ザ・ワールド」('81〜'96年)をはじめ、「クイズ・ドレミファドン!」('76〜'88年)、「クイズ!年の差なんて」('88〜'94年)など、フジテレビの人気バラエティーを数多く生み出してきた王東順氏。常に時代の先を行くものを追い求めてきた名プロデューサーは果たして、どんなことを考えながら番組を作ってきたのか。各番組の知られざる制作秘話を織り交ぜながら、アイデアを生み出す秘訣を語ってもらった。

タイトル命名など「めざましテレビ」(フジ系)の番組立ち上げにも貢献。今年3月に放送され好評を博した「業界用語大辞典」(BSフジ)も王氏のプロデュース

■ 考え続けることで、ひらめきが降りてくることもあるんです

――プロデューサーとして一本立ちされたのは「クイズ・ドレミファドン!」だそうですね。この番組を手掛けることになったきっかけは?

「私が29歳のときですね。フジテレビで日曜の昼12時枠が空くことになって、会社から音楽とクイズを扱う番組を作ってくれと言われたんです。音楽は華やかでかっこいいし、僕も目指していたジャンルだったんですが、クイズというのは、当時は業界内でのランクは低くてね。どうしようかなと思いました。そもそもフジテレビにとっては、視聴率が2%ぐらいしかない厳しい時間帯でしたから。裏番組の『大正テレビ寄席』('63〜'78年テレビ朝日系)は、今でいう『笑点』(日本テレビ系)のような存在。ドカンと据わった老舗の番組だったので、それまでなかなかその牙城は崩せなかったんです。そこで…これはあまりよくない考え方ですけど…仮に引き受けて失敗しても、まぁそんなにダメージはないだろうと。ちょっとズルい計算をしました(笑)。

そしたら案の定、やり始めたら全然うまくいかない。一生懸命作っているのに視聴率も上がってこない。われわれ作り手と視聴者のバイオリズムが合ってなかったんでしょうね。結局、半年間ぐらい苦しみました」

――そうした苦しい状況の中で工夫したことは?

「番組開始当初、“イントロクイズ”はオープニングに使っていたんです。それを一番後ろに持ってきて、決勝戦のクイズにしようと。あとは、音の出し方と解答者が答えるタイミングの呼吸。これが本当に難しかった。なぜしっくり来ないのか分からなかったんですよ。それでも、ずっと考え続けた結果、毎年京都で行われている小倉百人一首の大会のイメージがぱっと浮かんできて。イントロクイズには、あの独特の間や空気感が合うんじゃないかと思い付いたんです。そうして、ようやくイントロクイズならではのテンポが出来上がって、その3カ月後ぐらいですかね、視聴率が20%を超えたんです。日曜のお昼という放送枠ではありえない数字ですから、かなり話題になりました。その後イントロクイズはクイズの定番になりました。

実はこのイントロクイズのアイデアには裏話があって。高校時代、私は決して成績は悪くなかったんですけど、担任の先生が教える国語の小倉百人一首が苦手だったんですよね。これが必ず試験に出てくるからトラウマになって、いつの間にか刷り込まれていたのかもしれない(笑)。私の場合はそんな風に、ひたすら考え続けることを一番大事にしています。ふとした瞬間に昔の記憶とつながってアイデアが浮かぶこともあるし、考え続けることで、ひらめきが降りてくることもあるんです」

■ 崖っぷちに立たされたときに面白い企画が生まれたりするんですよ

――「なるほど!ザ・ワールド」では、どんなアイデアが生まれましたか?

「『なるほど!ザ・ワールド』も、始まった当初の視聴率は1ケタで、何とか話題を作らないといけないと思っていたんです。そんなときに、ニューヨークのタイムズスクエアにある大型ビジョンに番宣の映像を流したら面白いかなと思い付いて。周りにはGMやフォード、日本のソニーといった大メジャーな企業の広告が流れているわけですよ。そこに肩を並べることができたらかっこいいかなって(笑)。単純にそう思ったんですよね。ただ、固定した広告看板をかけることは予算的に無理なので、1回10万円の映像を5回だけ流したんです。そして、その模様を番組のオープニングで放送した。そしたら、これに対する反響が凄まじくて。要するに、視聴者の方々がアメリカでも放送されている番組だと勘違いしちゃったんです。これはものすごい番組だぞと(笑)。局内の人間からも言われましたからね、『“なるほど”ってアメリカでもやってるの?』って(笑)。

その結果、どんどん番組の評価が上がって、視聴率も20%を超えるようになっていったんです。これは後付けになってしまうんですけど、老子の言葉に『無用の用』という言葉があって。一見、何の役にも立たない無駄のようなことでも、時には大きな変化をもたらすこともある。タイムズスクエアの広告は、まさに『無用の用』だったんだと思います」

――また「なるほど!ザ・ワールド」では壮大な海外ロケも行っていましたが、番組の制作予算は潤沢だったんですか?

「そんなことはありませんよ。南極ロケで1000万円の赤字を作っちゃったこともありますからね。おかげで、予算の帳尻合わせをするために制作費を削らないといけなくなって。そんなときにスタッフとの雑談の中で、国際線のCAさんは日帰りで上海に行くことがある、という話を聞いたんです。その場合、上海に滞在するのが6時間ぐらいだという。だったら、われわれも6時間あれば上海のロケを1本撮れるんじゃないかと(笑)。でも、私がそう言うと、当然ディレクター陣は猛反対するわけですよ、『絶対無理です!』って(笑)。そこで私はさらに考えて、カメラを2台持っていくことを提案したんです。短時間で慌てて撮影しているロケ隊を、もう1台のカメラで撮影して、その映像も番組の中に盛り込んでしまえ、と。すると、ディレクターたちもみんな面白がってくれて、日帰りで上海にロケに行くことができたんです。あと、香港にも行きました。

通常は1週間かけて1本撮るところを、たった1日で終わらせるわけですから、大幅な経費削減で結果的に赤字はゼロになりました。その分現場は大変でしたが。これが、今ではよくバラエティー番組で見かける“弾丸ツアー”の始まりなんです。そんな風に、面白い企画って、切羽詰まって崖っぷちに立たされたときに生まれたりするものなんですよね」

■ 3つの“ない”を追い求めていけば、テレビはもっと面白くなる

――「クイズ!年の差なんて」は、“世代間ギャップ”という着眼点が斬新でした。

「これは企画が固まるまで1年ぐらい掛かったんじゃないかな。例によって、その間ずーっと考えていたんですが、いいアイデアが浮かばなくて疲れてきちゃったんですよ。そんなある日、会議をしていたら、若いスタッフは意外と一般常識を知らないんだなということに気が付いて。それで試しに黒板に『金色夜叉』(こんじきやしゃ)と書いて…しかも、わざと『叉』に点を打たずに『又』って書いたんですけど(笑)…それで、これを何と読むかって聞いたら、『きんいろよるまた』って答えた子がいてね(笑)。あまりにも情けなくなってバカにしたんです。そうしたら、今度は若い子たちが『じゃあ、王さんはこの言葉分かります?』って、当時流行っていた、いわゆる“ギャル語”を言ってきた。当然『分からない』と答えたら、今度は反対に『こんなことも知らないんですか?』ってバカにされてしまって(笑)。そういう会話の中で、大人からは子供に対して大人の常識を、子供は大人に対して子供たちの間で流行っているものをクイズにして出題したら、トンチンカンな答えが飛び出して面白いんじゃないかと思いついたんです。

これは私の中では一貫していることなんですが、ただおちゃらけて終わる番組は作りたくないんですね。だから、この企画も学術的なバックボーンが欲しくて、比較文化論をやっている知り合いの大学教授に会いに行って、企画意図を説明したら、『人間には精神年齢と肉体年齢があるけど、これは“文化年齢”だね』という言葉をいただいて。そこから、“大人と若者が文化年齢を刺激し合う番組”というコンセプトが出来上がったんです」

――ところで王さんは、今現在のテレビ業界やバラエティー番組の状況についてどう思われますか?

「みんなが箱庭の中でやっている感じというのかな、どの番組を見てもひな壇トークだし、出演者も同じような顔触れがグルグル回っているように見えますよね。作る側も出る側も、冒険をしてないような気がします。“いつも通り”を良しとしてしまっている、というか。でも、クリエイティビティーの観点から言えば、その“いつも通り”が一番つまらない。私は『これまでにない』『他にない』『見たことない』の3つの“ない”を追い求めていけば、テレビはもっと面白くなると思っていて。いい意味で期待を裏切ることが大切なんじゃないでしょうか。これからも、視聴者のド肝を抜くようなイノベ―ティブな番組を作りたいし、作ってほしいですね」