【ライターコラムfromG大阪】「長かった」戦列復帰 米倉恒貴、逆襲へ

写真拡大

「長かった」

 明治安田生命J1リーグ第8節の大宮アルディージャ戦に68分から途中出場を果たし、試合を戦い終えた米倉恒貴は開口一番、そう口にした。

 ピッチに立つのは2016年10月22日以来、約6カ月ぶりのこと。昨年はスタートからケガで出遅れたことも響き、リーグ戦での出場時間が大幅に減ったことに加え、12月6日の練習中には再び股関節を痛めて、負傷離脱。その影響で今年もリハビリからのスタートになったが、ようやく戦列復帰が見えてきた4月2日の練習試合で右肩鎖関節脱臼のケガを負い、更に復帰が遅れた。幸い右肩は大事には至らず、回復までに長い時間を要することはなかったが、相次ぐケガに、プレーできないジレンマが募っていたのは言うまでもない。

 その鬱憤をぶつけるかのごとく、大宮戦での約25分間、米倉は躍動した。

 当初の予定では攻撃的なポジションで使われるはずだったが、5−0と大きくリードを奪っている展開の中、「おそらく試合展開を踏まえて、監督が本来のポジションで(試合勘を取り戻すために)慣らさせてくれたんだと思います」(米倉)との言葉通り、本来の右サイドバックでプレー。持ち味であるスピードを生かした縦への突破、ペナルティエリア内まで侵入した思い切りのいい攻撃参加、シュート、サイドチェンジなど、一つひとつのプレーを確かめるように、そしてプレーできる喜びを噛み締めるように、イキイキとピッチを走り回った。

「とにかく試合勘を戻そうという思いだった。攻撃にも絡もうと思っていた通りに積極的にプレーできたのは良かったけど、年齢を考えれば、試合勘とか言っている場合じゃない。早く明確な結果を数字で残せるようにしたい」

 ガンバ大阪に加入した14年は、三冠に大きく貢献。それは翌年にも続き、翌年の7月には日本代表に初選出され、8月の東アジアカップ・中国戦では国際Aマッチデビューを飾った。更に、同年AFCチャンピオンズリーグ準々決勝の全北現代戦セカンドレグにおける劇的な勝ち越し弾はファンの間で今でも“伝説”として語り継がれるゴールに。その後もチャンピオンシップなどタイトルを争うシーンには常に米倉の姿があった。その2年に比べると、昨年は悔しさ募る1年になったのは間違いなく、年末には「自分の本来の良さは攻撃なのに、今年は出場した試合でもどこか安パイなプレーに終始してしまっていた」と話す。事実、過去2年では何度も目にした驚異的な運動量、スピードをベースに繰り広げられてきた果敢な攻撃参加は鳴りを潜めた。

「もちろんチームとしての戦い方や役割もあるので、自分の好きなように攻めればいいとは思っていない。でも相手を攻撃で押し込むことで守備をしない時間を作ることも大事だった。そういうプレーを出場した試合で出し切れなかったことも、出場時間が減った理由の1つだと受け止めています」

 と同時に、その反省を踏まえ、新シーズンへの決意を語っていたものだ。昨年末、ケガで戦列を離れる前の米倉の言葉が蘇る。

「厳しい競争は覚悟の上で、ガンバに来たんだし、自分らしいプレーで勝負することも、それによって先発のポジションを奪うことも、全部、自分の力で取り戻さなければいけないこと。乗り越えてみせますよ」

 長いリハビリを乗り越え、その決意を示すときがきた。米倉の逆襲はここから始まる。

文=高村美砂