テニスへの情熱は、15ヵ月の歳月を経てもすり減るどころか、むしろ一層の熱を帯び、”戒め”が解けるその時、彼女は1日たりとも無駄にせずコートへと帰ってくる。

 マリア・シャラポワ(ロシア)――。


マリア・シャラポワが15ヵ月ぶりにコートに戻ってくる 女子テニス界の代名詞とも言えるこの希代のスタープレーヤーに、昨年3月、禁止薬物メルドニウム使用による出場停止処分が下された。当初の停止期間は2年。だが、メルドニウムが2016年から新たに禁止薬物リストに加わったこと、そして医療目的で約10年にわたって同薬を使用し続けてきたことなどを理由に、シャラポワは処分の軽減を求めてスポーツ仲裁裁判所に上訴した。結果、期間は15ヵ月にまで軽減され、テニス界の元女王は来たる4月26日から、晴れて公式戦へと戻れることになったのだ。

 ただ、この復帰のタイミングが、テニス界に波紋を広げている。

 シャラポワの復帰戦となるのは、4月24日にドイツ・シュツットガルトで開幕するポルシェ・テニスグランプリ。現在のシャラポワはランキングが消失しているため、主催者推薦枠(ワイルドカード)を得ての出場だ。同大会の冠スポンサーであるポルシェは、シャラポワの個人スポンサーでもある。話題性豊富なスター選手にいわば”招待状”を送るのは、ビジネス的側面を考慮しても妥当な判断ではあるだろう。

 しかし先述したように、シャラポワの出場停止が解けるのは26日(水曜日)。これは大会開幕から、すでに2日が経過した日のことだ。たしかにスケジュールだけでいえば、水曜日に初戦を戦っても、日曜日の決勝に間に合うは間に合う。しかし、開幕の時点でまだ謹慎処分の最中にいる選手の出場が許されるというのは、誰もが首をひねる事態だ。

 この特例とも取られかねないシャラポワへの処遇に、選手たちも戸惑いを隠せない。ドイツのナンバーワン選手であるアンジェリック・ケルバーは、「最初の数日は会場に来ることすら許されない選手が、突然水曜日に現れて試合をするというのは奇妙」と所感を述べたうえで、本来なら地元のドイツ選手に使われるはずのワイルドカードがシャラポワに出されたことにも疑問を呈した。

「ドイツには今、いい選手がたくさんいる。私たちはドイツ代表として、国のために戦っているのに……」

 ちなみにポルシェは、フェドカップ(国別対抗戦)ドイツ代表チームの公式スポンサーでもある。

 このケルバーより一層、明確に異議の声を挙げたのは、自らも禁止薬物使用のかどで6ヵ月の出場停止処分を受けたことのあるバルボラ・ストリコバ(チェコ)だ。

「今回の処遇は正しいとは思えない。彼女がシュツットガルト大会に出られると聞いたときは驚いた」

 ストリコバ自身は、謹慎が解けた後も下部大会を転戦し、約3年かけて現在の17位まで這い上がってきた経緯がある。それだけに不公平感を覚えたようだが、「でも彼女は、マリアだもの。なんでもできる」と、シャラポワの知名度や人気が厚遇の背景にあると言外に匂わせた。

 WTA(女子テニス協会)は、3月中旬に「シャラポワのシュツットガルト出場はルール上問題ない」と異例ともいえる声明を出し、事態の収拾を図ったが、選手や関係者の間に広がる疑念と不満はぬぐいがたい。とはいえ、今の女子テニス界には多少のグレーゾーンを攻めてでも、シャラポワに早く戻ってもらいたい事情もある。

 今季開幕を世界1位で迎え、現在も僅差の2位につけるケルバーは、昨年、プロ13年目にしてグランドスラム初タイトルを手にした29歳。その年齢も長期政権を望めぬ理由のひとつだが、そもそもスポットライトを好まぬシャイな性格だ。自ら率先し、女子テニス界の”顔”を務めるタイプではないだろう。

 その意味では、知名度や性格面でもセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)が圧倒的な資質を示すが、彼女もすでに35歳。グランドスラム優勝回数でシュテフィ・グラフ(ドイツ)が持っていた22回を抜き、モチベーションの低下が懸念されていたその矢先に、先ごろ妊娠を発表した。本人は来季の復帰を目指すというが、未来はあまりに不確かだ。

 では、肝心の若手はと言えば、「次期女王」と期待された選手たちの足踏みが続いているのが現状だ。その最たる例が、2014年ウインブルドン準優勝者のウージニー・ブシャール(カナダ)だろう。同年に世界の5位まで大躍進した当時20歳のカナダ人は、ブロンド輝く艶やかな容姿もあいまって、本人が望むと望まざるとにかかわらず「シャラポワ2世」と呼ばれもした。

 しかし以降は伸び悩み、最近ではツイッターでデートを申し込んできたファンとバスケットボール観戦をするなど、話題を振りまくのは主にオフコート。オンコートでは、勝利と自信を得るために出た下部大会で896位の選手に敗れるなど、陥ったスランプは深刻だ。

 その停滞感ただよう女子テニス界に、かつての女王が種々の物議を絡め取りながら帰ってくる。

 前出のストリコバは「マリアに友人はいない。ロッカールームでも、彼女は孤立するだろう」と、ヒリヒリした現場の空気に言及した。

 一方のシャラポワは「批判を気にしている暇など私にはない」と、周囲の声を意に介する様子はなし。4月19日に30歳を迎えた不屈のファイターは「多くの人たちが、私は終わったと思ったはず。でも私は、キャリアの最後は自分が納得できる形で決めたい。テニスから離れたことで改めて、自分がどれだけテニスを愛しているかを知った」と、コートへの燃えるような渇望を口にした。

 決して健全な形とは言いがたいが、シャラポワの帰還によって生じる巨大な渦は、周囲のことごとくを巻き込んで、選手たちの心を波立たせる。

 硬直化していた世界に、新たな熱が生まれる――。

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