吉林華橋外国語学院の陳倩瑶さんは、日本人の真面目さについて作文につづっている。

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中国人が日本人に対してよく抱く印象の中に「真面目」がある。昨年には、日本や日本人を表す言葉として、「職人」や「匠の精神」といったワードが挙げられた。一つのことに真剣に取り組み、極める姿勢が、中国で再評価されているのかもしれない。吉林華橋外国語学院の陳倩瑶さんは、そんな日本人の真面目さについて作文に次のようにつづっている。

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「そこまでやる必要はあるの?」。それは大学に入る前の夏休みのことです。私はインターネットで日本のテレビ番組を見ていました。その番組では、ある日本人がどうやってトマトを切れば、汁を溢れさせずに切ることができるのかを研究していました。精密な科学機器まで使って包丁の角度を検証していたのを見て、私は違和感を抱きました。

「汁が溢れても、後で洗えばいいだけなのに……。どうしてこのようなことをこんなに真面目に調べているんだろう」当時の私は、日本人のそのような真面目さはただ手間がかかるだけで、意味のないもの、必要のないものだと考えていました。

しかし、大学に入って、実際に日本人と出会って、私の考えは大きく変わったのです。あれは1年生の時の作文の授業でのことです。その時に私たちに作文を指導してくれていたのは、平野先生という女の先生でした。その授業で平野先生は私たちを叱りました。平野先生が何回も指摘してくれたことを、私たちがまた間違えてしまったからです。「どうして分からないの?私の授業が分からないの?」と言いながら、先生は声を震わせて怒りました。私は恥ずかしくて、ずっと下を向いていました。

しかし、反省をしながらも頭の中では「ですやら、ますやら、であるやら、そのぐらいのこといいじゃないか。先生はどうしてそんなに怒るんだろう」と思っていました。しかし、ふっと先生の顔を見上げると、その目は涙で潤んでいました。「先生が泣いている!」。私は驚きのあまり、おろおろしてしまいました。まさか授業で先生が泣いてしまうとは、夢にも思わなかったのです。

どうして先生は泣いてしまったのだろう。私はしばらく経ってから平野先生に直接尋ねました。すると、先生の口から思いもかけない答えが返ってきました。先生が泣いたのは、私たちに腹が立ったからではなく、しっかりと私たちを教えられなかったことに責任を感じ、自分を責めたからだというのです。私はその答えに言葉を失いました。このことは私たちのせいなのに、先生は学生を責めるのではなく、まず自分を責めるなんて。先生はなんて真面目な人なんだろうとしみじみ思いました。

先生のこの答えを聞いて、私は以前に習った日本語の「職人精神」という言葉を思い出しました。日本には職人精神というものがあります。日本の職人たちは極みに達するまで、何十年かけても同じことを繰り返して自分の技を磨くといいます。この職人精神の根底にあるものは、「真面目さ」というものではないでしょうか。日本人の先生も、言葉の指導に全力をかけて取り組んでくれました。それもまさに職人精神だと思います。いかにしてトマトの汁を溢れさせないかという話でもそうです。

日本人は、どんな些細な事でも、職人精神を持って極みを追求することで、より良い世界を作ろうとするのです。平野先生を泣かせた件は大学生活の中では、たった一つのシーンに過ぎないのですが、私にとっては人生の宝物です。平野先生は日本語の作文を教えてくれただけではなく、自分の仕事に臨む姿勢をもって日本人の職人精神を私たちに教えてくれたのです。(編集/北田)

※本文は、第十二回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「訪日中国人『爆買い』以外にできること」(段躍中編、日本僑報社、2016年)より、陳倩瑶さん(吉林華橋外国語学院)の作品「日本人の先生が教えてくれたこと」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。