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33台が生産されたロータス30の中で、唯一オリジナル・エンジンを搭載していると思われるモデルが26年ぶりに再び現れた。このロータス30は、コーリン・チャプマンの息子のクライブ・チャプマンによってシャシー・ナンバーが10であることが証明されたマシンでもある。

1964年にスポーツ・レーサーとしてデビューするロータス30は、チャプマンとマーチン・ウェイドの設計で、フォードGT40にも搭載されていた4.7ℓフォードV8を積むマシンだった。ジム・クラークの手によってデビュー初戦で勝利を収める速さを見せたが、実は多くの問題があるマシンだった。その問題の多くは、スティール製フレームの強度不足によるものであった。

ここに取り上げたマシンは当初、フランスに納車された。最初のオーナーはベルギー人ドライバーのジーン・ブラトン。彼はジーン・ビュルリスのペンネームでも知られる人物で、彼の姪キャサリンはジャッキー・イクスと結婚している。

1965年にブラトンはロータス30シリーズ2をオーダーしたが、火災を起こし激しくダメージを負ってしまう。

そこで、彼はこのマシンを工場に送り返し、あらゆる改良を施したロータス30に変更するオーダーをする。その理由は「危険に思ったから」だと言う。新しいマシンはシャシーを強化され、エンジンを改良し、ZF25ギアボックスを装備し、F3タイプのホイールを履ける仕様にした。そこで、シャシー・ナンバー10が与えられることになる。

ブラトンはこのマシンで幾つかの成功を収めた。特にヒルクライムでは圧倒的な強さを見せた。1969年にはエイマール・ヴィレンファン氏に売り、その後スピッツァー兄弟に売られた。さらに歴史的なレーサーであるサージ・ポッツォーリ氏の手に渡ったが、その友人のマルセル・アルクイエ氏が1990年のアヴィニヨンGPの際にクラッシュして炎上し、そのまま放置されることになる。

その後現在のオーナーが手に入れることになるが、現在、このロータス30は売りに出されている。
 
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