シリーズ「もう一度投げたかった」──森慎二(前編)

 2002年、2003年と2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した西武ライオンズの快速リリーフ投手は、2005年オフにポスティング制度を使ってタンパベイ・デビルレイズ移籍を果たした。だが、シーズン開幕直前、投手生命を絶たれるほどの大ケガに見舞われてしまった……。右肩脱臼で全治1年──。メジャーリーグが夢と消えた瞬間、森慎二は何を思ったのか?


右肩を脱臼した直後、激痛にうずくまる森慎二

超合金ロボットの部品が壊れるみたいに……

──2006年、森慎二さんはメジャーリーグでプレーするためにタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)と契約し、アメリカに渡りました。当時、31歳。日本のプロ野球で9年間の実績を残し、満を持してポスティング制度でのメジャー移籍でした。いちばん脂が乗り切った時期でしたね。

「アメリカで野球をすることについて、気になるところが全然なかったわけではありませんが、ほとんどはクリアできると思っていました」

──メジャーリーグのボールは、日本とは大きさも手触りも異なります。マウンドはコンクリートのように硬い。当然、気候も全然違います。もちろん、言語やトレーニング方法も。

「そうですね。日本と違うところはたくさんありました。でも、ボールの違いもマウンドの硬さにも、すぐに対応できました。日本だとリリーフでマウンドに上がるときにはボコッと掘れていることが多くて、リリーフ投手としては投げにくいときもありましたが、アメリカではその心配がありませんでした。やりにくさを感じたのは、投球練習の球数が制限されていたことくらい。それも、練習後に遠投を増やすことで不安は解消できました」

──気候についてはいかがでしたか。

「春季キャンプはフロリダで行なわれたのですが、太陽が出ているときは乾燥しやすいなと感じたものの、暖かいので汗も出て、僕にとってはやりやすかった」

──ところがキャンプ中から右肩に違和感があり、何度かオープン戦の登板を回避しました。そして開幕を控えた3月20日、森さんはついにオープン戦のマウンドに上がりました。

「結果的には、もっと慎重にやればよかった。あのとき、投げなければよかった。原因はひとつではなかったのですが、どれかひとつでも取り除くことができれば、あんなことは起こらなかったと思います。

その前に違和感があったときに、軽い肩の肉離れをしていたのかもしれません。でも自分では『大丈夫、投げられそうだ』と思ったので、マウンドに上がりました」

──3球目を投げた瞬間、マウンドでうずくまってしまいました。

「ボールを離す直前に、肩がポコッと外れてしまいました。超合金ロボットのおもちゃの部品が壊れるみたいに。『あっ、右腕がとれた……』と思いました。正確には後ろに外れたのですが、自分としては『腕が飛んだ』ように感じました」

──そのとき、何を思いましたか。

「これは『もう終わったな』と……二度とボールは投げられないと」

脇腹から右腕が生えている…...

──当然、凄まじい痛みが襲ったと思いますが……。

「それはもう、ものすごい痛さで、えづくほどでした。そのときに自分のなかにあったのは、『痛い!』というのと『もう終わったな』という感情が半分半分。腕がポロンと落ちるんじゃないかと感じたので、本能的に左手で右腕を支えました。でも、関節が外れているから、重くて重くて……自分の腕とは思えないくらい。そのままの体勢ではいられなかったので、マウンドにしゃがみ込んで、右腕を足の上に置きました」

──本当に一瞬のことですよね。

「上腕の骨頭が脇腹に当たりゴリゴリしているのがわかって、『まだついている』と気づきましたが。脇腹から腕が生えているような感じ」

──冷静でいることはできましたか。

「いやいや、痛さと絶望感で、あのときの記憶は定かではありません。そのままカートに乗せられて、トレーナールームに連れていかれました。写真を撮ってもらおうと思ったんですけど、まわりがそんな雰囲気ではなくて、かなり深刻だったことをはっきりと覚えています。右腕の感覚もないし、原型をとどめてないだろうなと覚悟しました。裸になったら、人間の姿はしていましたけど」


腕が脇腹のあたりにある感じ.....と説明する森慎二コーチ photo by Motonaga Tomohiro

──本当に腕が飛んでいったと感じたのですね。それからどんな処置をされましたか。

「テープで肩を固定して、アイシングをしながら病院へ直行しました。脱臼といえば大相撲の千代の富士のイメージがあって、無理やりに肩を入れるのかと思ったのですが、ちょっと違いました。診察台の上にうつぶせに寝て、右腕を下ろし、手首に重りをつけた状態で『リラックスしろ』と言われました」

──そのような状況で「リラックスしろ」と言われて、できるものですか

「ものすごく痛いので、力が入りっぱなし。筋肉も緊張していました。ですから、『力を抜け!』と言われても『無理』と答えました。『でも、力を抜かないと肩が入らないよ』と言われたので、肩以外の部分をすこしずつ緩めていって……力が抜けたら、そのうち、重りと腕の重さで自然に元に戻りました」

──痛みは和らぎましたか。

「はまった瞬間に、半分くらいになりました。それでもまだ気持ち悪かったり、痛かったりしたのですが、『もしかしたら治るかも』という考えが頭をよぎりました。診察を受けたら『手術するしかない』と言われたので、仕方がないと思いました」

(後編につづく)

森慎二(もり しんじ)

1974年、山口県生まれ。岩国工高から新日鐵君津を経て、1996年ドラフト2位で西武ライオンズに入団。プロ1年目の1997年は6勝2敗9セーブ、1998年は8勝8敗5セーブという成績を残し、2年連続でリーグ連覇に貢献した。2000年は抑えとして23セーブをマーク。2002年、2003年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。2005年オフ、ポスティングシステムを使ってタンパベイ・デビルレイズに移籍したが、右肩脱臼のためメジャーリーグ登板は果たせなかった。その後、復帰を目指してリハビリを続けたが、断念。2009年にはBCリーグの石川ミリオンスターズのコーチ兼選手、2010年から2013年まで監督をつとめた。2015年からライオンズのコーチに。

■「もう一度投げたかった」元ヤクルト・石井弘寿編はこちら>>

■「もう一度投げたかった」元ソフトバンク・斉藤和巳編はこちら>>

プロ野球記事一覧>>