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MOTORWORKSをご存知だろうか。石田ショーキチ(SPIRAL LIFE、Scudelia Elector)、黒沢健一(L⇔R)、田村明浩(スピッツ)、ホリノブヨシ(Scudelia Electroのサポートドラマー)というメンバーで2004年7月にデビュー。この降ってわいたようなスーパーバンド誕生のニュースに音楽好きたちは盛り上がった。しかし、1年も経たずに活動休止してしまう。


昨年12月5日、黒沢健一が48歳で逝去。哀悼の声がやまず、廃盤作品の再発が相次いだ。MOTORWORKSもシングルのカップリングなどを収録した2枚組ベストアルバムが無事リリースされる。


全17曲、リマスター済み。キラキラした生命力に溢れ、柔軟に自在にドライブしていく声と音。目的地も決めずに疾走するロマンティシズムがギターポップ、パワーポップとは何ぞや、に対する答えを提示してくれる。立ち上ってくるやんちゃな色気がまたたまらない。


ここに至るまでに流れた13年という月日を、石田ショーキチに語ってもらおう。


INTERVIEW & TEXT BY 佐々木美夏



俺たちのルーツミュージック、60年代のイギリスの音楽で遊ぼうか


──まずはMOTORWORKS結成のきっかけから。


石田ショーキチ CDのライナーにも書いたんですけど、2003年の5月にScudelia Electro(以下、スクーデリア)の最後のオリジナルアルバムをリリースしたんですよ。


でも、その前からスクーデリアの運営にすごく疲れてて、アマチュア時代から一緒にバンドをやってスクーデリアのサポートもやってくれてたドラムのホリくんにいつも愚痴を聞いてもらってて、彼がいてくれたおかげでギリギリ自分を保ってスクーデリアを維持できていた感じなんですよね。


その最後のアルバムを作ったあとにライブとかの予定もあったんだけど、もう本当しんどくなっちゃって。職業じゃないバンドをやりたいと思ってた。そんなときに黒沢健一がときどき僕とホリくんと飲みに町田まで来てたんですよ。3人でなんか遊びのバンドやりたい、俺たちのルーツミュージック、ザ・フーとかザ・キンクスとかザ・ビートルズとか、そういう60年代のイギリスの音楽で遊ぼうか、って話をしたたんですよ。


で、誰かベースいない? スピッツの田村くんってすげえ面白いベースがいるんだけど……って、彼を誘ったという。



ミリオンヒッターふたりがソフトケース担いで普通に電車で来るんですよ?


──最初はビジネスとはまったく関係ないところから始まった。


石田 そうそうそう。ビジネスから解放されたくて始めたから。で、黒沢も田村くんも代々木のスタジオに普通に電車で来てたの。終わったあと飲むから(笑)。ミリオンヒッターふたりがソフトケース担いで普通に電車で来るんですよ? で、スタジオでカバー曲を演奏したり、演奏もしないでだらだらエロ話したり、とにかくバンドで遊ぶっていうことを、35歳とかかな? そのくらいの年齢でゲラゲラだらだらやってたんですよ。


──人前で初めて演奏したのは?


石田 2003年の秋にスクーデリアがクアトロでマンスリーライブをやってて、その何回目かに田村くんと黒沢が観に来てたんで、ちょっとやっちゃう? ってアンコールで出てザ・ビートルズの「Come Together」となんかもう1曲やったと思うんだけど、それが最初ですね。


──それが仕事になっていく。


石田 僕らがスタジオで遊んでると、それぞれのマネージメントがついてくることもあるし、業界筋の人が観に来ることもあったんですよね。スピッツのディレクターの竹内さんが「どうするの?」「いや、どうするも何も」「何か作ってみたら面白いんじゃない?」「まぁ確かにねぇ」「オリジナルないの?」って。


1曲だけ作ってあったんですよ。それは田村くんを引き入れるために1曲彼が好きそうな曲を作るか、って言って作った「SPEEDER」。僕と黒沢でツインボーカルで歌ったデモを田村くんに聴かせたら「やるやるやる」って入ってきた。それっきりオリジナルは作ってなかったの。


竹内さんに「オリジナルないの?」って言われたときも「あるっちゃあるけど、これなぁ別になぁ」って感じで聴いてもらったら「すごく良いじゃん。このまま行ったら?」って。でも、そうは言っても動き出したのは2004年だと思う。


 


自分でも音楽活動の選択肢を模索してたんだと思いますね


──ビジネスになっちゃうのがイヤではなかった?


石田 このメンバーでやったら面白いだろうっていうのはあったから。取り分に関しても4で割って各々が自分のマネージメントと分けろと。そういう感じだった気がします。


──ショーキチくんがリーダーで。


石田 あの頃はリーダーとは名乗ってないですね。プロデューサーとは言ってたけど。なぜなら田村くんがリーダーというあだ名だったから(笑)。


──ドリーミュージック・に決めたのは?


石田 そのとき竹内さんがドリーミュージック・にいたから。あ、そうだ。「“Teenage Symphony”ってレーベルを立ち上げるから、きみたちもどうだい?」って言われた気がする。青山陽一さんとかゲントウキとかbonobosとかセロファンとかがいたレーベル。


──そこからオリジナルを作るバンドに変わっていくわけで。


石田 そうそう。でも、どうなのかな? できるのかな? っていうのはあったんですよ。スピッツがレコーディングに入ってたから田村くんはあっち行ったりこっち来たりしてたし、僕は自分のプロデュース案件いくつか抱えてたし、黒沢も節操なくものすごくいろんなことやってた時期だし。


当時ライブのMCで「おまえ誰とでも寝る女みたいだな」って俺に言われたくらい(笑)。だから自分でも音楽活動の選択肢を模索してたんだと思いますね。



 


僕が欲しかった情報をあの兄弟は全部持ってた。すげえ奴らと知り合った!


──健一くんとの共作が多いけど、どうやって進めていったんでしょう。


石田 健一と曲そのものを共作したのは少ないですね。あいつが曲を作ってきて、「石田、詞を書いてくれ」って投げられたものが多い。みんなでバンドでスタジオで作った曲も結構多いし、アレンジはみんなでやったかな。


面白かったのは、こういうバンドだから健一がこっちになんでも投げてくるんですよ。自分のソロだったら全部自分で作らなきゃいけないじゃないですか。曲作ったら作詞もしなきゃいけないし、L⇔Rもほぼ自分でやってたし。


でもこれは「石田、あと頼む」。そういうのがすごい多かったです。途中まで書いて「ここから先は無理、頼む」とか。すごく気楽にやってましたよ。


──元々、L⇔RとSPIRAL LIFEはレーベルメイトですごく仲が良かったんだよね。L⇔Rが2年先輩?


石田 そうですね。僕、東京に出てきたのが90年なんですよ。当時は60年代のイギリスの音楽についての情報が楽に手に入る時代じゃなかった。今みたいにインターネットが発達してるとか、CDがたくさん再発されて出てるとか、そんな時代じゃなかったから、本当にマニアックな中古レコード屋に行ってサクサク掘らないと欲しいものが見つからない世の中だったんだけど、僕が欲しかった情報をあの兄弟(黒沢健一・秀樹)は全部持ってた。すげえ奴らと知り合った!


昔のロックについて趣味が合う人が、田舎にいた頃もいなかったし東京に来てからもいなかったから、初めてそういう話ができる相手でしたね、あの兄弟は。ベースの木下くんはユーロビートも好きで、僕はストック・エイトキン・ウォーターマン(イギリスのプロデューサーチーム。ユーロビートの一時代を築いた)に憧れてこの世界に入りたいと思った人間なんで、そこは全然違うジャンルなのに3人と話が合いましたね。


──L⇔Rがいろいろと大変そうな時期も知っていた?


石田 まぁ移籍する前後ですね。アルバム『LAND OF RICHES』の頃見てて大変そうだなっていうのがあって、そのときに1回「つまんないことは忘れてバンドやろうぜ」って話が持ち上がったんですよ。それが1993年か1994年。でも飲み会だけやって終わっちゃった。


ベースはヴィーナス・ペーターの古閑(裕)くんで、ギターはL⇔Rのライブに時々サポートで入っていた宮崎くんで、ドラムはホリちゃんで、あと俺と健一。2回飲み会やって終わった。


──そうか。ショーキチくんは健一くんとバンドをやりたかったんだね。


石田 そうっすね。でもそのときはバンドをやりたかったというより、健一が大変そうだから遊び相手になって気を紛らわせてやりたかった、ぐらいの話ですね。だから本当に飲み会で良かったの。


 


田村くんのベースは楽しいし、モッズバンドやったらハマる


──じゃあMOTORWORKSで想いが通じて一緒にバンドができるようになって。


石田 そういうんじゃないって、だから(笑)。


──レコーディングは楽しかった?


石田 楽しかったですね。気の良い仲間のバンドなんで、リハーサルでアレンジとかも出来上がってる。僕はレコーディングエンジニアもやるからプロトゥールスをセッティングしたら卓の前でギター弾くんですけど、みんなはスタジオに入ってどか〜んって演奏して2、3テイクでOKで「早え〜な〜。じゃ次の曲!」とか言ってバンバン録り進んでいって。


──ショーキチくんが思う、ベーシスト田村くんの魅力は?


石田 めちゃくちゃ跳ねるじゃないですか。フレーズが跳ねてるわけでもないんだけど、彼のベースを聴いてると体が跳ねてくるんですよね。ものすごくハッピーなビートを出す。


僕がスピッツのプロデューサーをやってたのは2000年から2002年くらいだと思うんですけど、その時期に彼に1回言ったことがあるんですよ、「モッズバンドやろうよ。田村くんのベースは楽しいし、モッズバンドやったらハマるぜ」って。「いつかやろうぜ」って。


だから片思いが実ったのは田村くんのほうですよ、むしろ。実際スクーデリアの最後のアルバムでも弾いてもらったりしてるし。あと田舎が近いんで、少年期に同じライブの会場に居合わせたりしてるんですよね。面識はなかったけど。


──なんのライブ?


石田 地元のメタルバンドとか。静岡にライブハウスは一軒か二軒しかないんで、ツアーで来たバンドを観に行くのはそこしかないんですよ。


 


自分のリードボーカルはイマイチだけどそっちは才能があると思ってて(笑)


──では、ショーキチくんが思うボーカリスト黒沢健一の魅力は?


石田 あー、確かにその魅力を言葉で表したことなかったな、今まで……単に歌がうまいってことじゃなくて、いにしえのロックンロールをちゃんと理解して踏襲した歌のスタイル、そこに魅かれましたね。


あいつジーン・ヴィンセント(50年代アメリカのロカビリーシンガー。ザ・ビートルズにも多大な影響を与えた)とかがすごく好きだったんですよ。そういう洋楽スタイル、元々洋楽のコピーバンドがやりたかったわけだから、そういうニュアンスが表現できるボーカリストとしてやっぱり天下一品だったと思います。


──ショーキチくんとダブルボーカルの曲も結構あるけど、声がうまく溶け合ってる。相性が良い。


石田 良い組み合わせだったと思いますね。ていうか僕はハモりのほうが得意なんで、わりと誰とでもうまくハモるんですよ(笑)。自分のリードボーカルはイマイチだけどそっちは才能があると思ってて(笑)。ハモりのほうが良い声ってあるんですよ。リードボーカルとしての突破力はあまり大したことないです。


──1stシングルと2ndシングルにはカバーが入ってるけど「I’ll be there」をロックバンドがやるっていうのは新しいよね。


石田 でしょ。しかも、イントロが「ハイウェイスター」(ディープパープルの代表曲。ハードロックのお手本)みたいな。イギリスの60年代のビートバンドってみんなアメリカのR&Bに憧れていろんなカバーをやってたんですよね。


ザ・ビートルズもガールズコーラスグループのカバーがすごく多いし、1枚目に入れた「恋のヒートウェイヴ」だってカバーしているバンドがたくさんいる。MOTORWORKSっていうバンドは何たるかを示すために、シングルのカップリングではアメリカのR&Bを自分たちらしくカバーしようと。


──リマスターのためにアルバムを聴き直してみて、どうだった?


石田 いやぁ、すごく良く出来てました。このバンドが目指していた、とにかく楽しみたいというところに向かってのまっすぐな演奏の純真さに満ち溢れてましたね。素晴らしいアルバムでした。



ドラムのホリちゃんが岡山に帰郷してしまったのが結構大きくて


──でもアルバムを出して半年も経たないうちに活動休止。期待のバンドだったのに(笑)。


石田 (笑)。楽しいか楽しくないかで言ったら全然楽しくやってたんですけど、あんまり売れなかったんですよね。


──期待されたほどは売れなかった。


石田 数字的には1万5000枚くらいしか売れなかったんですよ。でもメーカー的には5万は売るつもりでいて、最低3万、それが1万5000前後までしか行かなかった。CDが売れない時代になり始めたとは聞いてましたけど、さすがにそこまで売れないとちょっとガッカリしたところがあって。それもあったけど、単純にまたみんな忙しくなって集まりにくくなったってとこですかね。


──明確にここでいったん休止、って4人で話し合ったの? それともフェイドアウト?


石田 フェイドアウトですね(笑)。また暇になったらやろう、っていうそんな感じ。来年はやろう来年はやろうって言ってるうちにずるずる忙しくなっていき、ドラムのホリちゃんが岡山に帰郷してしまったのが結構大きくて。動けねえなぁ、誰かドラムいないかなぁ、って言いながらずるずる時間が経っていった。


毎年年頭に田村くんが「今年はやろうぜ」って言ってたんだけど(笑)。そうこうしてるうちに(黒沢)秀樹がサンコン(ウルフルズのサンコンJr.)誘ってやったらいいじゃん、って言ったんですよ。「ドラムいねえんだろ? サンコンすごく良いよ」「マジで? やってくれるかな」って言ったら偶然にも町田に引っ越してきてて、それで彼が入ってくれることになって始めたんですよ。



──再結成ライブはあの新宿LOFT1回きりだっけ?


石田 いや、2014年に合計5ステージやってますね。6月の頭だったよね、LOFTやったのは。それが終わって、健一とじゃあ夏にふたりで一緒に作曲の合宿をしてアルバムを作る準備をしようぜ、って話をしてたんですよ。


でも6月の終わりくらいになって、健一の体調があまりよくないらしくて病院にも通ってると。じゃあちょっと様子を見ようぜ、8月くらいからぼちぼち曲作りでもするか、って。


そしたら健一がこう言ったんですよ。「やるにはやりたいんだけど、体力的に自信がない。あんまりキツくないライブだったらやりたい。石田、何か考えてくれ」って。とはいえ下北沢あたりのライブハウスに出るのも大変だしなー、と考えてたところにたまたまビルボードから「MOTORWORKSどうですか? 再始動したんですよね?」って言われて。


話を聞いたら1時間のセットを1日2ステージ。それを東京と大阪でやると、これこれギャラを差し上げますと。良いなぁと思ったのは、東京は自分の家から行けるし、大阪は泊まりになるけど1回その現場に足を運べば2回ステージができる。これは健一にとってすごく良いライブだなと思って。


ギャラも悪くなかったし、それで決めたんですよ。実際すごく良い感じでライブができて、そこで得たギャラの一部をレコーディングの費用にストックしたんですね。今でもしてありますけど。それが11月か。健一はビルボードが気に入ったみたいで翌年ソロでもやってましたね。



ありがとうございます。ファンの皆様の声がメーカーを動かしました。健一、よろこべ、再発だぞ。 https://t.co/XkrnZ8zRfu


- 石田ショーキチ (@Ishidalf) February 10, 2017



あの健一節が全開になってるあいつの名唱をさ、聴いてほしいから


──MOTORWORKSを再発してほしいという声が上がって、ショーキチくんがSNSで呼びかけたわけだけど、あの電子署名はどれくらい集まった?


石田 4日か5日で2,700とか2,800とか。


──それは説得材料になった?


石田 大きくなりました。ドリーミュージック・も最初に僕が交渉っていうか意見を聞きにいったときに、どうかなぁ、出すのはいいけどリマスターとかそんなにお金かけられるかなぁ、2枚組高いしねぇ、って感じだったんですよ。


でもちゃんとマーケットはあるはずですよ、その数が示せればいいんですね、みたいな話をして電子署名やったら3000近く集まって、じゃあ大丈夫そうですね、って。ある程度予算も出してもらえて。


──リマスターでは何を心がけた?


石田 そうだなぁ……僕は正直昔の音のままでも満足していたんですよ。マスタリングエンジニアは宮本さんっていう名人がやってくださったんだけど、13年前と同じエンジニアの人がその音をもう1回触ったときに、それをどう感じるか、それをどう今の音にアジャストしてくれるか、そこに期待しただけで、僕自身は当時のままでもいいと思ってたのが、さらに良くなりました。



──スタジオで大音量で健一くんの声を聴いて思ったことは?


石田 そうですねぇ……健一節が全開になってますね、あのアルバムは。やっぱり自分がビジネスとして作品を作ってるときって、どういうものを作らなければいけない、どうならなければいけない、って必ずテーマが立つんですよ。でもあのバンドの場合は自分がどうしたいかだけで全員ぶっちぎって演奏していたので、健一も本当の健一が全開になってる歌でしたね。


──再発は健一くんのためでもあった?


石田 うーん、でもお客さんのためだよね。僕らは自分たちがやった音は自分たちで持ってるしさ。でもあれをもう聴くことができない人がいることが残念じゃないですか。やっぱりあの健一節が全開になってるあいつの名唱をさ、聴いてほしいから。


陽の塊だったあのバンドの気合い全開の感じを、ね、次の世代の人にも聴いてほしいので。だからお客さんのためですね。



届いたぞ、健一。俺たちの結晶が。 #motorworks426 pic.twitter.com/Otn3SfDJN9


- 石田ショーキチ (@Ishidalf) April 15, 2017




プロフィール


モーターワークス/石田ショーキチ(SPIRAL LIFE、Scudelia Electoro)、黒沢健一(L⇔R)、田村明浩(スピッツ)、ホリノブヨシ(ex. modern gray)が趣味のサークル的に始めたロックバンド。2003年に始動、2004年にはオリジナル作品を発表するも、2005年には個々の本業が忙しさを増したことにより活動を停止。2016年12月、黒沢が脳腫瘍のため他界。ファンの間から再発を望む声がネット上で噴出、『MOTORWORKS 〜COMPLETE BEST〜』がリリースされることとなった。


オフィシャルサイト



リリース情報


2017.4.26 ON SALE

ALBUM『MOTORWORKS 〜COMPLETE BEST〜』

ドリーミュージック・