6節・神戸戦でプロデビュー。59分からピッチに立つと、堂々とした振る舞いでスタジアムを沸かせた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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 あれから、1年以上が経過した。明るかった未来が暗転し、その後のプランを再構築せざるを得なくなった日だ。
 
 2016年2月13日、黒川淳史がプレシーズンマッチ・山形戦でNACK5スタジアム大宮に立った。74分に泉澤仁(現・G大阪)と交代。まだ線の細さが際立つ18歳。ただ、物怖じはしない。
 
「NACK5スタジアム大宮での囲み取材は初ですけど、ユースの時から慣れてはいるんで緊張はしてないです」
 
 そんな大物然とした言葉を残した前途洋々の若者を、大怪我が襲った。翌日の練習試合・東洋大戦で左膝前十字靭帯損傷。2月20日にクラブから負傷についての公式リリースが発表された。新星は、長期離脱者リストに名を連ねてしまった。
 
 周囲は開幕戦のベンチ入りも当確だろうと見ていた。そして、FC東京を相手にアウェーの地でJリーグデビューを飾るだろうと期待していた。結局、希望の日となったであろう16年2月27日から、デビューは17年4月8日の6節・神戸戦まで、400日以上を待つことになる。
 
 昨季、幾度か黒川を目当てに大宮のクラブハウスを訪れた。怪我からの完全復帰を目指した特別メニューに取り組んでいる期間中のインタビューも印象に残る。だが、それよりも覚えているのは、10月14日の練習後の囲み取材。空は曇りがかってはいたが、晴れていたと記憶している。
 
 入院は2月23日から3月23日までだった。病院に1か月もいて肌が白くなり、「これだと白川じゃないか」と仲間に弄られた男は、見事なまでに褐色に日焼けした肌を取り戻していた。

「実戦復帰を果たした。率直な感想は?」。そう聞いた記者に、黒川は満面の笑みで答えた。

「やっぱりサッカーは楽しいですね。幸せです」「ボールを触るのが好きなんで。今はサッカーをしたくてしたくて仕方がない」と。
 
 練習試合で手応えを掴んでいるようだった。「負傷中に筋トレをして、身体作りを基本からやり直したんです。だから、以前よりもボールをしっかりとキープできている感じはあります。それに倒れなくなった」
 
 クラブのフィジオセラピストである堀田泰史氏の下で、怪我に強い身体を一から作ろうという気持ちで臨んだ成果だった。ただただ、「細い」――。その単語が記者席から聞こえていた山形戦から、約8か月が経過していた。
 
 そして、ついに待ち望んだ時を迎えたのだ。
 
 長谷川アーリアジャスールに代わって59分からピッチに立った神戸戦では、スペースに顔を出してパスコースを作り、受け、前を向いてドリブルで仕掛けた。「公式戦初出場は素直に嬉しい。ボールを持ったら前を向いて仕掛けようと思いました」。十分にカンフル剤としての役目を果たしたと言っていいだろう。
 神戸戦から5日後の4月13日。時間を置いて、改めてJリーグデビュー戦を振り返ってもらった。
 
「思い切りやろう、と。最初は緊張しましたが、ピッチに入ったら意外と冷静な自分がいた。良い緊張感のなかでプレーできましたね。ベンチから戦況を眺めていて、やるべきことは整理できていました。
 
 自分としては『もっとミスするかな』『浮き足立つかな』と思っていたんですけどね。今季は絶対にチャンスがくるだろうと信じて練習に取り組んでいたし、『やっと一歩を踏み出せたかな』と感じてはいます」
 
 チームは0-2で敗れてしまった。泥沼の6連敗。自身の出場はたった31分間。シュートは1本のみ。思い描いていた絵とは程遠かったかもしれない。それでも、スタートラインで待ち続けた黒川にやっと号砲が鳴ったのだ。
 
「相手を背負ってのキープは、より安定感が増しました。ただ、自分ではミスが多いなって。『こんなに簡単にボールを奪われるか』というシーンもありましたから。周りからは『ボールを失わない』と言われますけど、完璧なパフォーマンスを目指しています」